★ 私儀、甚だ多用にて ★

★ 第十章 ★

★ 1 ★

 暦の上で秋と呼ばれても、この街は少しも涼しくならない。鳩渓は部屋の障子を全開にして、左手で止まることなく団扇で仰ぎ続ける。
 文机に広げたのは幸左衛門から借りた貴重な阿蘭陀本なので、汗で汚してはいけない。頁をめくる指は頻繁に着物で拭われる。額から汗が落ちるのを防ぐのに、頭には手拭いも巻かれていた。春の初めに志度を出た時初めて結った儒者頭はもう面影も無く、伸び放題の茶筅が背に届いて汗で張り付いていた。髪を結い直す時間があったら、一冊でも多くここの本を読みたい。
 月に二回の阿蘭陀語の勉強会くらいでは、この家にある本は全く歯が立たなかった。かろうじてアベシを覚え、綴りを見て発音の見当が付くようになったぐらいだ。発音できても、単語の意味がわからないから本を理解することはできなかったが。
 この家にあるのは学術書だけでない。外国の戯作やお伽噺の本も多く、子供向けの物には挿絵も豊富で、異国の絵やレイアウトを見るのだけでも楽しかった。十歳も下かと思える書生にも、臆せずわからぬことを尋ねた。彼らは答えられることは教えてくれたが、知識は鳩渓とそう変わらなかった。それに『平賀さん要注意令』が出ているらしく、話しかけると一歩後退って距離をあけ、妙によそよそしい。だいたい、吉雄家の奥方の視線が非常に冷たい。女中達はこちらを盗み見てはクスクス笑っているし。まあ、女性に嫌われるのは慣れていた。

 幸左衛門に「今日はこんな挿絵を見た」と言うと、詳しく粗筋を教えてくれたりもした。ストーリーを聞けば、あの絵はそういう意味かと合点がいく。
 挿絵にはたくさんの情報が詰まっている。外国の服装や髪形、食事の習慣、日本では見たこともない動物や花、乗り物、家具、建物、道具。
 絵に描いてある西洋箪笥の裏側を見たくて、つい本を裏返してしまい、虚しくため息をついた。幸左衛門に尋ねても、たぶん言葉ではうまく説明してもらえないだろうし、彼は失笑するぐらい絵は下手だった(一度描いて貰って懲りた)。商館長邸には似た箪笥が置いてあるそうだ。把手を握って開くのは、挿絵でもわかるのだが。
 知識欲というのは限りが無いものだ。もっともっと、色々なことが知りたかった。すぐそばの出島には阿蘭陀が有るのにと、もどかしく思う。

 幸左衛門は、多忙であるが、鳩渓が浴びせる山のような質問に、ひとつずつ丁寧に答えてくれる。鳩渓を勉強熱心な男として好感を抱いているようである。家で見た本のことだけでなく、出島のこと、カピタンや付き添う阿蘭陀医師や副商館長のこと。
 頼恭も平気で猪や鹿などの四つ足を狩って食べたが、出島の阿蘭陀人は牛を食べるのだと言う。日本では牛は高価な動物で、農耕や荷物を運ぶことなどに役立て、屠殺することはなかった。出島では食用に牛を何頭か飼っているそうだ。
 絵で見た、食事に使う小さな刀『えつ・めす』と熊手『で・ふぉーく』の動かし方を、幸左衛門は鳩渓に手本を示して見せた。彼はカピタンのところで何度も西洋風の食事をしている。食材は、唐の国から阿蘭陀人用に輸入しているものが多い。日本の食材を使っても、違う調理法を用いているそうだ。ぼーとる(バター)という調味料を多量に使うと教えてくれた。幸左衛門は『くどい味で好きではない』と述べた。
 毎日、掌に掴み切れないほどの、新しい知識と出会う。驚きとわくわくした気持ちで、常に小走りに駆けているような気がした。毎晩床に入るのが惜しい。だが、明日は何を知ることができるのか、翌日が来るのが楽しみでもあった。
 高松のことは殆ど思い出さなかった。頼恭と遠く離れて、寂しく思う暇も無かった。

 こんな時、国倫の傍らには、そっと李山が寄り添う。李山は寡黙な男であり、そこに居るだけである。国倫と言葉を交わすわけではない。
 国倫は、李山が生まれた時のことを思い出して苦笑する。野山で何日も鳩渓が夢中で草木の採集をしていた、あの時。鳩渓は、内に国倫がいるのさえ、たぶん忘れていただろう。
 今は・・・どうなのだろうか。
 李山は、言葉に出さずに、国倫の問いに苦笑で肩をすくめて見せる。国倫は、静かに李山の肩に頬を寄せた。

 その日、珍しく幸左衛門が夕刻前に帰宅し、鳩渓の部屋を覗いた。桑閑は街で同年代の医者の友人ができて、そこで診療を手伝うようになっていた。鳩渓は勉強に夢中であるし、よほど退屈だったのだろう。この時間、桑閑はまだ帰っていなかった。
「どうしました?お早いようですが」
「いや。もしかしたら、平賀殿を出島に連れていけるかもしれません」
 広い額に皺を作って、屈託ない笑顔になった。彼は、腹に隠しておくことができず、全部を言葉にする。最初は戸惑ったりむっとしたりの鳩渓だったが、幸左衛門の真っ直ぐさを理解すると、信頼して好感も抱くようになった。
「武士のあなたに、こんなことを持ちかけたら失礼なのだとは思います。でも、平賀殿は、出島に入れるなら、武士の誇りなど気にしないかただと思ったので」
 これだってかなり失礼な物言いだと思うのだが。鳩渓は心の中で苦笑しつつ「なんですか?じらさずに、早く教えて下さいよ」と穏やかに答えた。
「実は・・・。ええと、何から話そう。阿蘭陀人は、キリスト教の布教をしない約束だが、彼らは全員キリシタンです。男色は禁止されていて、破ると一番重いので磔だそうです。ですから、彼らは、自分の国では禁を犯しません。まあ、陰では色々あるようですが」
「ええと、だから、いったい???」
 鳩渓は、赤面しながら、その露骨な話を我慢強く聞いていた。幸左衛門は照れることもなく続けた。
「阿蘭陀人船乗り達には男色家が多く、船上と出島では好き放題というわけです。出島には、花魁だけでなく、若衆も呼ばれます。今夜これから、若衆に混じって、あなたを出島に入れることができそうです。男娼のふりをしろと言っているわけで、不愉快でしたら謝ります」
「・・・。」
「もちろん、中へ入ったら私と合流して、カピタンと面会できるようにしてあります」
 鳩渓はめまいを感じた。
 究極の選択と言いたいところだが、実は全く抵抗がなかった。出島に行けるという歓喜で、喉から声が出そうだった。抵抗がないことに、武士として学者として、わたしってどうだろうと困惑した気持ちもあったが。

★ 2 ★

 十三、四の蔭子たちに混じって二十五になる鳩渓が同類だと言い通すのは無理がある気がしたが、提燈と彼らの荷物を持たされて出島への細い橋を辿った。
「すみません、お荷物など持たせて。本当はお侍様なのですよね?」
 一番年長らしい蔭子は事情を聞いているらしく、三味線を手渡す時に詫びを入れた。彼はまだ前髪だったが、振袖は無理がある少し育った少年で、鳩渓同様、袖の短い着物に袴を着用している。李山がちょっかいを出したがっていたので、『余計な発言は禁止です』と鳩渓が先手を打った。李山は、国倫とは違い、彼らの容貌・・・そして肉体にのみ興味を持つ。
 鳩渓は特に咎め立てなく門も木戸も通された。後で聞いた話だが、日本では少年を女性の代用として買うことが多いが、西洋では青年を好むことも多く、出島でもそういう要望が多いのだそうだ。鳩渓の年代の男娼が通過するのは珍しくないらしい。
 密輸品を持ち込んでいないか、建物の中で一度着物を解いて調べられた後、大きな建物へ向かって連れて行かれた。出島は男の足なら半刻もいらずに全部歩き回れる程度の狭い敷地で、白と茶を基調にした建物が幾つも立ち並んでいた。建築物は日本家屋だが、屋根のむこうに三色の旗が翻るのが見えた。絵で見たことがある。阿蘭陀の国旗だ。
 玄関前の大きな廊下(大広間だろうか)で、鳩渓たちは待たされた。
「平賀どの」と、すぐに幸左衛門が呼びに訪れ、鳩渓は安堵した。先に蔭子を買う阿蘭陀人たちが来たらどうしようと、おどおどしていたところだった。

 商館長の館は他の建物より大きいようだ。室内も日本家屋と同じに玄関があり、廊下があり、部屋には畳が敷いてある。違うのは、畳の上に寝床くらい大きな膳が置かれていたことだった。
「今のカピタンはホメットと言います。あなたが、磁針器を見ただけでその仕組みに気付き、しかも『日本で作れる』と言ったことに興味を持ったようです」
「カピタンに、わたしのことを話したのですか?」
 幸左衛門は笑って頷いた。鳩渓にカピタンのことを話していたのだから、反対もあり得ただろう。
「江戸で我々が常宿としている長崎屋という旅館にも、地元の学者たちが色々な質問をしに訪れます。カピタン達は向学心のある者に好感を持つようで、結構親切ですよ」
 参府で他の街で宿泊する時には、カピタン一行は現地日本人との接触は許されない。唯一、江戸の長崎屋でだけ許された接触なのだそうだ。

 鳩渓を導いて来た廊下の突き当たりに木製の戸があった。幸左衛門は握り拳でその戸を叩いた。コンコンと大きな音がする。中から声がして、幸左衛門が引き戸を開けた。
 畳の部屋に、大きな机と書棚と・・・あとは、座る為の家具だろうか、茶屋で腰掛ける長椅子を立派にしたようなのが置いてあった。机の奥にいた西洋人が立ち上がって、早口で何か言っている。体の幅は広いが、背は鳩渓とそう変わらない。決して鬼のように大きいわけではなかった。枯れ草色と長崎の者が称した髪が、大きな白い衿にかかっていた。仙人のような口髭が口許を隠す。瞳は水のような透明な色だった。
『国倫さん。代わってくださいっ』
 鳩渓は緊張で体が固まったみたいだった。目尻の下がった阿蘭陀人の顔は、鳩渓を見てさらに笑顔になり、決して恐ろしいものではなかったが、国倫の方が気後れせずに色々と喋れるだろうと思う。
『しょうがないのう』と、国倫が腰を上げた。
 幸左衛門の身振りと、阿蘭陀語の中に『ゲンナイ・ヒラガ』という言葉があったので、自分を紹介してくれているのがわかる。
「平賀殿、こちらがカピタンのヘンドリック・ホメット様です」
「挨拶をするのに、立ったままでええんか?」
 武士らしく正座して礼をしなくていいのだろうか?
 幸左衛門に問うている間に、カピタンは右手を国倫の前に差し出した。
「立ったままでいいですよ。右手を握り返してください。西洋式の挨拶です」
 恐る恐る手を出すと、ホメットの方から握り返し、何か言った。
「会えてうれしいと言っています」
 大通詞が訳して国倫に伝えた。
「あ・・・わしもですけん。夢みたいです」
 生まれて初めて会った外国人。それも、相手は長崎商館長だ。
 幸左衛門が国倫の言葉を伝え、ホメットは笑った。手で、長椅子の方へ座れと促した。
 彼が畳の上でも履物を履いているのに気付いた。西洋人は寝床に入る時以外履物は脱がないのだそうだが、まさか畳の上でもそうしているとは思ってもみなかった。何だか不公平な気がした。国倫は下駄で来たので素足だが、幸左衛門などは白足袋の裏は真っ黒になることだろう。
 夏の暑い日に、ごろりと畳の上で昼寝する心地よさ。その畳を、泥の付いた履物で踏まれていく。それは、国倫が感じる阿蘭陀と日本の貿易の不平等に似た不快さだった。二つの国の関係に似ていた。

 振る舞われた茶は、把手のついた陶器に入れられ、黒くて濁っていた。
「で・かーふぃ(珈琲)という飲み物です。砂糖と牛の乳を好みで入れて飲みます」
 贅沢品である砂糖を、茶に入れて日常的に使用していることに驚く。牛は、食用だけでなく、乳の為に飼っているものもあるのだろう。
「平賀殿が砂糖を作る仕事をしていると聞いて、嬉しいと言っていますよ」
「なぜかいね?」
「日本に砂糖が普及すれば、で・かーふぃをもっとたくさん買って貰えるからだそうです。日本人は他のものには飛びついたのに、で・かーふぃは今一つ人気がないそうで。カピタンは、砂糖が一般化されていないことも一因と考えているようです」
「阿蘭陀人を儲けさす為に、わしは砂糖を作っとるわけじゃないぞ!」
 国倫が怒鳴ったそのままに幸左衛門は伝えたようで、ホメットは笑みのまま眉を下げてすまなそうな表情を作った。
「すまないと言ってます」
「わしが怒ったのに、奴は嬉しそうじゃぞ?」
「前に磁針器の話をした時もそうでした。
 江戸で会う偉い学者達も、阿蘭陀の文明や文化に呑まれて、新しい物に夢中になったり好奇心に溺れたりして我を忘れる。西洋の機械をただ珍しがるだけです。
 あなたが国益のことを真っ先に考えたり、作ってみる発想をしたのを聞いて、カピタンはあなたに興味を持ったんです」
 そんなことで面白がられてもと、憮然とする国倫だった。

「平賀殿は本草学者ということですが、見てほしい鉢があるそうです。日本人商人から買った物だそうですが。
 黄色い朝顔というのはとても貴重だそうで、かなり高価だったとか」
 幸左衛門の説明を聞かなくても、ホメットが抱えて来た鉢植えを見て、彼が騙された事が国倫にはすぐにわかった。淡い黄色の花はどちらかと言うと白色に近い。漏斗型の朝顔とは似ても似つかない形だ。葉の形も花の付き方も全く違う。
「これは、ふくべ(瓢箪)じゃ。夕顔の種類じゃが・・・夕顔と朝顔は、名前は似ちょるが、全然違うもんじゃけん」
 幸左衛門から国倫の言葉を聞いたカピタンは、大袈裟に嘆いて肩をすくめた。幸左衛門は平謝りだ。
「私が草花に疎いので、訳す時にカピタンに勘違いさせてしまったようです」
 それにしても、これだけ形が違うものを間違えるとは信じ難い。朝顔と夕顔。日本人の幸左衛門でも知らなかった。人々の本草の知識など、そんなものかもしれない。

★ 3 ★

 ホメットとの会見は、国倫にとってそういい思い出では無かったが、何故かその後もさかんに遊びに来いと誘われた。
「あなたが正直に『これは朝顔ではない』と言ったのを、感謝していると言っていました。日本人は曖昧ではっきり物を言わないので、会話がしづらいと、いつもこぼしています。あなたを気に入ったようですよ」
 幸左衛門がカピタンに信頼される理由もわかる気がした。茶を濁すような言い回しは、西洋人は嫌うらしい。
 幸左衛門のはっきり物を言う性質は、人柄もあるだろうが、通詞という仕事も影響しているようだった。微妙なニュアンスで物を言っても、阿蘭陀人には伝わらない。白か黒か。赤か白か。要るのか要らないのか。正しいのか違うのか。通詞は返答を迫られる。日本人が語った言葉が曖昧だからと言って曖昧なままに伝えると、的確な言葉をホメットから求められる。幸左衛門は、歯に衣を着せぬ言葉で訳さねばならないのだ。

 もっと西洋の物を見たい、新しい物を見たいという想いは強く、国倫は誘われるままに何度も出島を訪れた。量程器(万歩計)やら海図やら地球儀やらも見た。地球儀は幕府や財力のある藩は所有していると聞くが、高松藩は持っていない。
「世界地図は有ったたはずじゃし、球のものに貼れば作れるじゃろ?」
 量程器も作れる。国倫はしくみを覗き込む。
「あなたは何でも自分で作ろうとするんですね」と、幸左衛門は笑った。それはカピタンの言葉を訳したのでなく、彼の感想らしい。
「地図の上と下は、中心とは縮小率が狂っとるか。このままでは地球儀はできんな」
 気付いて国倫はため息をついた。
 珈琲は、豆を触らせてもらったり、厨房で轢いた豆で入れる所を見せて貰ったりもした。料理人は日本人だ。通いで来ていて、参府にも付いていくのだそうだ。
 阿蘭陀人がいない厨房で、黒い液体がポットに落ちていくのを眺めながら、幸左衛門が告げた。
「西洋には、茶葉を日本とは違う製法で蒸らして飲むしきたりもあるんです。日本にある茶葉で作れるのに伝わらないのは、その飲み物を作る国と阿蘭陀が敵対しているからです。まあ、その飲み物も砂糖を使うらしいですけどね」
「敵国とは、えんへらんと(イングランド)のことですか?」
「ああ、ご存じでしたか。平賀殿はよく勉強されてるなあ」
「砂糖を入れる飲み物なんぞ、よけいに喉が乾きそうじゃがのう」
「乾きを癒すより、ほっと一息付くのが目的のようです。西洋の茶は休息であり、歓談の為の時間らしい」
 国倫はふうんと、曖昧に頷く。日本の金持ち道楽の茶の湯に似ているかもと思う。厨房は珈琲の香りで一杯になった。この匂いは好きだった。

 珈琲は利尿効果が高く、芒硝と似た効能がある。芒硝は唐から輸入する高価な薬だ。将来源内は伊豆で発見し、日本にも芒硝があることを証明するのだが、今この時期に肝臓の薬としては唐渡りしか流通していない。
 珈琲は覚醒効果も高い。また、内蔵の働きを高めるので、二日酔いなどにも効く。ただし、芒硝に似て手に入り難く、高価でもある。
 長崎の唐薬問屋には、興味深い薬品がたくさん置いてある。珈琲豆もあった。出島へ出入りする以外に、鳩渓はよく唐薬問屋を覗いた。彼が買えるような安価なものは無いが、本物を見て、店員にあれこれ尋ねるだけでも勉強になる。
 出島の館医・エーフェルスにも紹介された。彼は外科医だったが、内科の知識も豊富で薬草にも詳しかった。ただ、この当時長崎に出向してきた阿蘭陀人は、『飛ばされた』感が強い。東インド会社が優秀な人材を送り込んで来るのは、かなり後年のことである。
 この頃出島に居たカピタン達は、決してエリートではなかった。だが。彼らだったからこそ、西洋の知識の無い若い学者を馬鹿にせずに、丁寧に質問に答えてくれたと言うこともできる。

 ホメットからは、西洋の蹴鞠『で・ふっとばある』も教わった。日本の蹴鞠は円陣になって下に落とさぬように遊ぶものだが、西洋の蹴鞠は好戦的だ。二つの組に分かれ、毬を奪い合うのだと言う。
 イングランドでフットボールが始まったのは12世紀。ダービィシャーのアシュボーンにて、「告解火曜日」に行われた毬を取り合う遊技が最初と言われている。
 源内の時代、十八世紀後半のフットボールは、足だけで扱うゲームとラグビー形式のものとがやっと分離しつつあった。現在のフットボール・ルールは十九世紀を待たねばならない。
 西洋蹴鞠は、欧州では盛んな遊技だそうだ。手を使わなければ良しとされ、頭や胸で毬を弾いてもいいのだと言う。頭で弾く時は、額を使うと痛くないし遠くまで飛ぶ。毬の来るのに合わせて、足腰で跳ねて飛ばすと成功する。国倫はホメットに習ってすぐに巧くなった。高松に帰ったら、頼恭に教えてやろうと思う。
 出島では、羽根突きに似た遊技も行われていた。日本の羽子板よりだいぶ大きな物を振り回すが、板では無く木枠に糸が張ってあるようだ。あとは、大きな台で握り拳ほどの玉を棒でつつく遊技をしているのも見た。

 地球儀が既に日本に幾つか有り、地動説も一部の学者には浸透していた。国倫はうっすらとしか知らなかったその説を、幸左衛門を通してホメットから学ぶことができた。ホメットは「欧州の一般人の方が、地動説を信じない」と嘆いていた。
 それは、キリスト教の教えに背くからなのだそうだ。その教えの内容をホメットが伝えることは禁止されているが、国倫は推測することはできた。

 冬には『冬至まつり』というのにも呼ばれた。出島での阿蘭陀人達の宴会だ。小さな針葉樹が部屋に置かれて、折り紙のような飾りがぶら下がっていた。
 キリスト教は禁止なので、阿蘭陀人たちは『冬至まつり』と称してケルストミス(クリスマス)を祝っていたのだった。カピタン達は敬虔なキリシタンだ。親しくさせてもらった国倫は、彼らの言葉の端々から宗教的な思想が溢れ出るのを感じていたし、だからクリスマスのことも気付いていた。
 率直で何でも言葉にする幸左衛門が言及しないところを見ると、通詞達はわかっていないのかもしれない。知っていて参加すれば、国倫も通詞達も罪を問われるだろう。国倫は気付かない振りを決め込んだ。

 ほろ酔いで幸左衛門と辿る帰路、息も空の星も凍るような夜だった。澄んだ月が、半月に近い形で浮かんでいた。
「あなたは武士だが、蔵番を継がず本草学者になった。凄いことです」
「蔵番になりたくなかっただけじゃ」
「なりたくないからって、親の跡を継がないで済む人が、いったい何人います?」
 まるで、通詞の仕事を継ぎたくなかったような口ぶりだ。通詞の仕事は、学者や医者に比べると低く見られていたし、実際給料も安かったようだ。また、阿蘭陀の代表者と幕府との橋渡しという役どころは、心労も多いことだろう。
「私は生まれた時から通詞になると決められていたから、何になりたいなどと考えたこともありませんでした。平賀殿、あなたが羨ましいです」
 酒のせいなのか、幸左衛門は普段飲み込んでいることも吐露しているように見えた。喋りたいのだろう。国倫は黙って傍らを歩く。
「いや、違うな。私は、阿蘭陀人たちと話すようになって、価値観が変わってしまったのかもしれない。きっと、変な日本人ですよ、通詞はみんな」
「わしも変じゃけん、同類じゃな」
「あなたは、あの月から・・・いや、もっと遠い星からでも来た、異国の人みたいですよ」
「・・・おんし、酔いすぎじゃぞ?」
 国倫は苦笑して、月を振り返った。満月なら美しかろう、三日月なら哀しかろう。だが今夜の月は、肥えた甘薯みたいな不格好な成りだった。
 立ち止まって、暫し月を眺めた。
 頼恭はもう江戸へ向かっただろう。会えないことのつらさは、時間の長さであり、距離の遠さではない。だが、遠ざかっていくのを実感するのに、心が痛くないはずもない。
 自分はちっぽけな、ただの人間だ。
「平賀殿?」
 高松を離れて一年近くたった。長崎は、出島は、源内を変えた。頭は新しい知識であふれ返り、別の価値観が体を支配する。
 ここへ来る前に感じた危惧は払拭され、自分は日本で一番進んだ場所で通用するのだという自信は確固としたものとなった。
 もっと学ぼうとする者、上へ行こうとする者へのやっかみ。宿舎の戸を開けた時に床に散らばっていた湯飲みの破片。忌引で不在時の研究の結果を、何も伝えようとしなかった上司。蔵番の息子が御薬坊主主任以上になる見込みの無い土地だ。志度の母親は、早く嫁を取って跡継ぎを作れとしか言わない。
 高松は、遠い。今の国倫にはとても遠く・・・別の地に感じられた。
「わしの留学もあと少しじゃ・・・」
「長崎がお気に召したようですね」と、幸左衛門は嬉しそうだ。
「もっとここで学びたいが・・・」
 約束は一年だった。きちんと長崎へ出してくれた頼恭への感謝は忘れていない。期限通りに帰ると決めていた。
 決めてはいたが・・・。
『たぶん、もう、わしは高松には居られない』
 あの城ではもう、天井が低くて呼吸できそうにない。
 あそこの空は、世界へは続いていないのだから。


第11章へつづく

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