★ 私儀、甚だ多用にて ★
第十二章
★ 1 ★
随分と長い夢を見てしまったものだと思う。
薬園の宿舎、薄い布団で目覚めた鳩渓は、明るくなるのが早くなったと障子をぼんやりと見つめる。
夢が楽しければ楽しいほど、目覚めた時の甘酸っぱい切なさが大きくなる。夢は夢だとわかっている。もう一度布団に潜って続きを見たいと思うのは、欲張り過ぎだろうか。
「さて、今日も甘蔗の苗植えの続きですね」
独りの部屋で声を出して言ってみる。よいしょ、と起き上がって身繕いする。上掛けを被って丸まったままでは、人は生きて行けない。
長崎から帰ったからと言って、薬園での源内の生活は何ら変わるものではなかった。待遇も仕事もそのまま。長崎で得た知識を生かすセクションに付くこともなく、一年前と同じ、甘蔗の世話を続けた。城内の学者たちも、興味も無いのか嫉妬の心からか、何一つ長崎について尋ねようとせず、源内を無視した。
同僚の玄丈でさえも、二つ三つのエピソードは笑顔で聞いたものの、反応が『ただの土産話を聞いてあげている』という印象だった。どどにゆうすの『ころいとぼつく』という図鑑(ドドネウスの『紅毛本草(Kruid-Boek)』)の精密な美しさを語っても、「美しいものをご覧になれて、よかったですね」とにっこりと笑い、今年の甘蔗計画表へと視線を戻す。源内は、天の橋立を見に行ったわけではないのだ。
玄丈の興味は、今の薬園仕事にしかないようだった。源内は、一年も薬園主任の仕事を空けて、玄丈に負担をかけた。もう、彼に長崎を語ることは控えた。
頼恭が江戸でなく高松にいたら、事情は違っただろうか。だが、自分と離れた場所で刺激的な日々を楽しむ恋人の話を、あのひとが喜んで聞くとは考えにくい。
思えば、源内は長崎で本草学の勉強をしたわけではない。医師のエーフェルは外科医だった。もちろん多少の薬品の知識はあり、西洋のハウツーについて尋ねる機会もあったが、本草の知識の無い通詞を交えたやり取りはもどかしかった。自分は西洋の文化と文明をちらりと垣間見たに過ぎない。甘蔗作りや朝鮮人参作りには役に立たない。
現実と切り離された出来事、それは夢と同じだ。
鳩渓は(たぶん他の二人も)、今、夢うつつの日々を過ごしている。薬園の仕事が、現実のものとして受け入れられない。「わたしはここで何をしているのだろう?」と苛立つこともしばしばだ。以前ほどこの仕事に喜びを感じられなかった。
「そら、里与。これを帯に下げて部屋を一周してみろ」
李山は、紐を下げた握り拳ほどの真鍮の箱を妹に差し出した。休みは志度の自宅へ戻り、自室に籠もって長崎で見たからくり作りに精出した。量程器も方位磁石も仕組みはわかっている。代用できる材料は日本にも、そして讃岐にもあった。
里与は兄に言われた通り、本や薬草があちこち散らばる部屋を、物を踏まないように跨ぎながら一周してから、腰に下げた箱を持ち上げた。
「兄上、これ、狂っています。この狭い部屋を一回りしただけで二里って」
「おまえが、飛び上がったり小走りになったりするからだ」
「そう思ったら、お部屋を片付けなさいませ」
なかなか口の減らない娘だ。里与は十二にしては背も高く、男顔で愛想もなかった。理屈っぽくて、兄によく似ていた。
李山は苦笑すると「浜で計ってみるか」と立ち上がる。女嫌いの李山も、里与と接する時だけは暖かく微笑む。
「お外へは母上が出してくれませんよ。これからどこぞのお嬢さんが、菜人参を届けに来るそうです」
つまり、また見合いの女が来るのだ。
「それだったら、余計、家に居られるか」
李山は量程器を握りしめると、框を飛び越えて裸足のままで窓から裏庭へ降りた。
「里与、それも取ってくれ」
文机に置かれた岡持に似たからくりを顎で差す。
「兄上の逃亡の手助けをすると、里与が叱られます」
唇を尖らして岡持を渡し、「少しお待ちくだされ」と玄関から草履まで持って来てくれた。
「だんきゅう・うぇる」
阿蘭陀語で礼を言い、そのまま浜辺へ向かった。
春とは言え、曇りの日の浜辺は肌寒かった。濁った空の汚れを映すように、海の水も暗く沈んでいる。風は無く、生臭い潮のにおいが澱んでいた。
李山は砂浜に立つと、岡持もどきの蓋を外して煙草盆のようなものを取り出し、砂浜を草履でならして水平にすると地面にそっと置いた。箱の中央には円盤が置かれ、鋼の棒が乗る。からくりの正面を海に向けると、棒の色の付いた先が、触れもしないのにやや左へ動いた。
「子(ね)の方向。あちらに小豆島。よし、正しく向いてる」
これも、部屋に籠もって作ったからくりだ。商館長邸で見た磁針器を真似て作った。
次に李山は志度浜の北端まで行くと、部屋で妹に試させていた量程器を袂から取り出し、指で目盛りを最初に戻すと袴の紐へくくりつけた。そして、海岸線を早い足取りで歩き始めた。振動で歩数を測り、目盛りには歩数から換算した距離が一目でわかるよう工夫されていた。女々しい歩調で歩いても、又は飛んだり走ったりしても、正しく測れない。李山は姿勢を正した一定の調子で、砂浜を歩いていく。
「草鞋にすればよかったか」
歩を進めるほどに、砂が草履と裸足の足の裏に入り込んで歩きにくくなる。浜の途中で草履を脱ぎ捨てると、さらにひたすら続けて歩いた。肌寒さは消え、汗ばんできた。李山は汗も拭かずに歩いた。
南端の岩場まで歩き着いて、目盛りを確認する。一里の真ん中辺りだが、歩いた距離が少なすぎて正確にはわからない。
「二、三往復せんと駄目か」
回れ右をして、今来た道を戻る。北端まで行き着いて目盛りを見ると、一里を少し回った付近を差していた。同じ距離を歩いて、きちんと同じだけ目盛りが動いている。李山はにやりと笑って成功を喜んだ。
『巧くできたものじゃの』と国倫も喜び、鳩渓も『李山さんの仕事の正確さが生きましたね』と祝福する。設計は三人でやったが、造ったのは細工ものの得意な李山だった。
三人とも得意な心持ちだった。李山は珍しく頬を紅潮させ、目を細めると量程器をきつく握った。
長崎を『いい夢を見た』で終わらせるのは、あまりに悔しい。特に、中心になって学んだ鳩渓にとっては、哀しみと虚無に押し潰されそうな毎日だったようだ。
あそこで学んだことを少しでも形にしておきたかった。それに、長崎を思い出しながらコツコツとこれらを造るのは、心慰められる作業でもあった。長崎に無頓着な人々の中で暮らす孤独、それを忘れることができた。
しかし、作り終えてみると再び軽い虚しさが襲って、李山はそれを否定して首を振った。凪(なぎ)のせいで、ほつれた茶筅髷がそのまま首筋に汗で張り付いた。
これらの機械を、自分は、外見を見て機能を聞いただけで仕組みを理解し、そして造ってしまった。どれだけ凄いことをしたか。それは、大抵の人には理解されないだろう。少なくても今讃岐にはわかってくれる人物はいない。
「大坂・・・そして江戸」
そこなら、自分達と話ができる人間がいるのではないか。平賀源内をわかってくれる者が。
「この海の水は、そこへ続いていると言うのにな」
俺達は何故ここにいるのだと、李山は唇を噛む。
砂浜に白い鳥が蹲まっているが見えた。治療してやろうかと駆け寄ると、果たしてそれは見間違いだった。白い紙鳶が、浜に打ち捨てられていたのだ。木枠は折れ、紙も切れてくしゃりと曲がっていたが、くるくると木片に巻かれた糸は封が貼られたままだ。一度も揚げられていないようだった。
空から落ちて破損したのではなく、風が無くて揚げられなかったので、浜に捨て置かれたのだろう。
『どんなによく出来た凧も、風が無くては空を飛べませんね』
鳩渓が呟く。彼の言いたいことが、痛みを伴い李山の心を刺した。風のある丘は、さぞ見晴らしもよく、気持ちよいことだろう。讃岐にいては、自分たちは、この凧のように使われる機会もなく朽ちていくだけだ。
国倫は、二人の声を重苦しい想いで聞いた。結論は一つだが、二人とも、国倫に遠慮して言い出せずにいる。
『讃岐を。高松藩を。・・・頼恭を捨てよう』、言葉にならない、わざと言葉にしない、だがその想いは国倫にもひしひしと感じられた。
特に、逃避癖の強い鳩渓の内には、逐電・失踪・出奔などという、穏やかでない単語が飛び交う。
「鳩渓、まあ、頭を冷やせや。ちっと、冷静になったらどうな?」
あっという間に国倫が体の舵を奪い、水音を立てて波の中へ足首を浸した。火照った体にひやりと水が滲みた。歩き疲れたふくら脛を、海水が優しく洗う。袴の裾が濡れるのも頓着せず、国倫はざぶざふと浅瀬に入った。
「藩を脱走したら、家族は罰せられるじゃろう。頼恭さまが大目に見てくださったとしても、里与やもう若くない母上の生活は?おんし、里与がどうなってもええんか?」
『・・・。』
「それに、逐電して名前を変えて暮らしたとしても、わしらほどの学者が学問を続ければ、必ず名が売れ、いつか藩にも知れてしもう。
きちんと脱藩の手続きをして、平賀家も里与に婿を取って跡目を継がせるんが、一番ええやろ」
鳩渓は『国倫さんはそれでいいのですか?』と問おうとして、その言葉を飲み込む。いいわけはない。国倫は頼恭を愛しているのだから。
「わしの色恋に、いつまでもおんしらを巻き込むわけにいかん」
それでなくても、今まで二人には負担をかけて来たのだ。李山も鳩渓も、国倫が藩主の愛人である以上、恋人を作ることは許されなかっただろう。国倫の恋に付き合わせて来た。
国倫も、このまま讃岐でみすみす能力を錆付かせるのは耐えられなかった。江戸という学問と文化の中心地が、自分を呼んでいる声が聞こえるのだ。
もちろん、国倫が提案した方法にも問題は山積みで、可能かどうかはやってみなくてはわからない。藩が脱藩を許可してくれるのか。母をどう説得するのか。
藩が許したとしても、頼恭の怒りは?寵愛を受け、長崎留学までさせてもらって。誠意を裏切ったと、切腹を言い渡されてもおかしくないし、頼恭に斬り付けられても文句は言えない。
「だから、今がええんじゃ。頼恭さまが高松不在の今しか無い。藩の役人らはわしのことを疎んでおるし、辞めたいと言えばホイホイ判を押すじゃろ。頼恭さまとわしのことは、数人しか知らん。西尾様も木村様も一緒に江戸行っておる」
乾いた情報と状況のみを、国倫は淡々と語る。痛みも悲しみも見せず、するべきことを述べる。明日、薬園に戻ったら、退役願いを提出しようと心を決めながら。
浜は少し風が出て来た。濁った空気を一掃し、爽やかな風が頬を撫でた。
「よもきちーーーっ!」
風に乗って、女の声が聞こえた。自分と同じ幼名の子供。戯れに海へ入ろうとして、母か婆に止められたのか。必死さのこもる声に、子供への愛情が感じられて微笑ましい。
「よもきちっ!」
気付くと、浜辺で母がこちらへ向かって走って来ていた。足元の砂が黒く濡れているのは、そこまで波が訪れるからだ。水が母の足元で弾け、歩がもつれそうになる。
「母上!気ぃつけて!」
自分が見合いの女から逃げたので、ここまで追って来たのだろうか。立腹して興奮しているので、幼名が飛び出したのかもしれない。なだめるのが大儀そうだ。国倫は、母の足元を気づかって、浅瀬から抜けて走り寄った。
「家から出て来て、すまんかったの・・・」と謝ろうする国倫の衿に、母は両手でしがみつくように飛びつく。母の手元から、先程浜に脱ぎ捨てた源内の草履が落ちた。
「死なんでくれっ!母が悪かった!もう、嫁を取れなどと言わんけん!」
「・・・えっ?」
荒い息で唾を飛ばしながら、母はほとばしる言葉だけを立て続けにぽんぽんと吐き出す。中年も過ぎた母の頬はもう滲みだらけでどす黒く、それがさらに上気して、まだらな赤紫に見えた。皺の増えた目尻から幾筋も涙が流れていた。
「・・・あのぅ?」
国倫が居たのは、水が膝にも満たない浅瀬であった。母が探しに来た経緯は国倫の推測通りだろうが、草履を脱いで海に入っているのを見て、入水自殺すると勘違いしたらしい。国倫は困惑して母見る。母は真顔である。
「無理に嫁など迎えんでええ。四方吉が衆道なこと、うすうす気付いとった。それを、知らん顔して、家の為に嫁を取って跡継ぎを作らそうとした。きっと、おんしはつらかったことじゃろう。母を許せ」
成人した男子が、歳を取った母に面と向かって性癖のことを語られるというのは、実に居心地の悪いものだ。「そげんこと、でかい声で言わんでも」と、国倫は苦笑する。
育ててくれた感謝は人並みにしていたものの、これまでの国倫は(そして鳩渓も李山も)、あまり母親を好きではなかった。通り一遍の言葉しか発しない母が苦手であり、敬遠していたところが多い。だが今、思わず幼名を叫びながら顔を崩して自分を案じる母に、胸が詰まる想いがした。
「母上、ちいと落ち着け。こんな浅い浜で、どうせっちゅうんじゃ?それに、わしは、泳ぎは達者じゃけん、よほど荒れてないと死ねんよ?」
今度は母が「はっ?」と目を見開く。自分の間違いに気付き、かあっと額までも顔を赤くすると、一転して今度は不機嫌な表情になった。
「志度に戻るといつもずっと部屋に籠もっておったから、悩んどるのかと心配させたかもしれん。すまんかった」
国倫は素直に頭を下げた。母のふくれっ面は照れであろう。それとも、いらぬことを約束してしまったという悔いなのか。
「今日はいい着物を着ていらっしゃる。濡れとりますよ」
見合いのせいか、母は普段着でないものを召していた。国倫は「よいしょ」と母を抱き抱えると、浜の上の方へ歩き出す。
「母上は軽いですね」
「歳とって、骨だけになってしもうた」と、母は照れ隠しに悪態をつく。現実には、母はそこまで高齢ではない。
「やはりおなごは軽いな。こうしておなごを抱きかかえるのは初めてじゃけん。蔭子は何度か有りもうしたが」と、国倫は笑ってみせた。母に指摘された"性癖"を、何気に肯定しておいた。母を静かに砂浜へ降ろす。
「すみません。・・・ということですけん、里与に婿を取って家督を継がせてくれんじゃろか」
母は、笑いと泣き顔を綯い交ぜにした表情で、整った細い眉を八の字に下げた。仕方ないと、肩を落として溜息をついた。
★ 2 ★
夏には藩に出した退役届けが受理され、源内は晴れて浪人となった。平賀家は、親戚筋の磯五郎(後の権太夫)を婿に迎えた。彼は源内の従兄弟に当たる。里与の祝言は、質素ながら、人形のような花嫁花婿が皆の笑顔を誘い、暖かい雰囲気の中で行われた。何せ磯五郎の方も、里与と同じ十二歳であった。
退役の聴許を待つ間も、源内は無為に過ごしたわけではない。試作の量程器や磁針計の精度を上げる研究、平線儀の作成、長崎で見聞きし写した書籍の整理。道が決まれば、遊んでいる時間など無かった。
源内はいつかは江戸に出るつもりだったが、あちらには何のツテも無い。ただ、現在朝鮮人参の研究で日本一と言われる本草学者・田村藍水(元雄)に師事したいという漠然とした希望があった。
長崎に同行した久保桑閑が、大坂の医師・戸田旭山と面識があると言う。旭山は大坂でも著名な医者であると同時に、少し変人で、また、気骨のある人物として通っていた。
「あいつは、医者になりたての頃は貧乏で、按摩をしながら食いつないで、仕舞いには乞食までしておったそうじゃ。自分が苦労したせいか、貧乏な患者の治療代を待ってやるが、そうかと思えば指示に従わない患者からは倍の料金を取ったり。変り者じゃ」
桑閑が語ったその経歴と人物像に魅せられ、鳩渓は質問や意見の手紙を幾度か送った。船で大坂へ渡り、直接会ったりもした。
名声のある学者同士、知り合いなのは当然だったのかもしれない。源内が、江戸の田村藍水を尊敬していると告げたら、旭山は自分以外の学者の名が出ても嫌な顔ひとつせず、『江戸へ出る事があったら、紹介状を書いてやる』と約束してくれたのだ。
急に、江戸行きが現実のものとなって、源内の眼前に広がって行った。
当然、地味な、薬園の引き継ぎ作業もあった。
「いつか、出ていくひとだと思っていました。平賀さんは、狭量な高松藩の中で、窮屈な研究を続けるような人じゃない」
同僚の玄丈は、厭味も皮肉も無く、ただ淡々と別れを告げた。薬園の中で、孤独から国倫を救い、愛してくれた男。あの時期に彼がいなければ、薬園の仕事は続けられなかったかもしれない。
少年の骨格だった玄丈はすっかり大人になり、今は二児の父親だ。しっかりと儒者頭に結った髪は、陽に焼けて少し茶っけている。あの髪に頬を寄せた時の匂いを、まだ覚えていた。痛みと負い目と、そして甘美な想い出が国倫の胸を熱くした。
辞めると知って、源内にわざわざ会いに来た役人もいた。
「部署違いだが、優秀な男がいると聞いて、いつか会いたいと思っていたが。脱藩するのか。残念だ」
宿舎の壁を震わすような大声で、国倫の腕を取った中年は代官という高位の役職だったが、気さくで率直な好男子だった。名を田村清助という。
藩を去り自宅に戻った源内に本草を教わりに来たりもして、彼とは短い間に急に親しくなった。藩の者ではあっても、薬園と繋がりがないのが気楽だったのかもしれない。
彼は、後に源内が江戸に出てからも、平賀の家を気遣って時々訪問しては、書簡で様子を知らせてくれたりもするのだ。
幼馴染みの桃源と、そしてやはり子供の頃からの友達で、俳句仲間でもある材木問屋の安芸文江も、進んで源内を助けた。藩を辞めた後には、資金の融通を申し出てくれた。
この先大坂へ出ても、江戸へ出ても、源内は浪人である。収入の道が無いのだ。生活費だけでなく、学問を究めるには本も買わねばならないし、薬草も鉱物も安いものではない。源内にとっては、有り難い後ろ楯だった。
書簡で旭山に学んでいる間に、そろそろ頼恭が参府から高松へ戻る時期になる。源内の退役を聞けば、激怒するに決まっていた。
源内は、暫く旭山先生のところへ身を寄せることにした。家族には、『藩から何か言って来たら、大坂へ出たと伝えてくれ』と言い残して。
大坂は、長崎ほどではなかったにしろ、田舎育ちの源内にとって、刺激的な街であった。まず、長崎で輸入された商品が店に並んでいる。浄瑠璃の小屋もある。花街もある。もちろん勉強を名目に渡ったのだが、大坂行きの大きな目的は讃岐から遠ざかることと、江戸の藍水からの手紙を待つことだった。勉強が切迫していない分、大坂で都会の遊びを学ぶことも多かった。江戸で臆せず粋に振る舞えたのは、ここで遊んでいたからだろう。
大坂へは行きっ放しではなく、十二歳の跡継ぎを案じてか志度に戻る機会も多かった。磯五郎は農家の息子であるが、ある程度儒学も学び、学問もあった。源内は家に戻ると、義弟に本草を教えたりもした。
実家に戻っている時に、思わぬ人物が訪ねて来たことがある。
整った羽織・袴の二本差しの武士が、志度村を馬で走るだけで人々の注目を浴びた。馬は平賀家の門で停まる。
「源内殿はいるか?」
讃岐なまりのないきれいな発音が、奥の源内の居室にまで聞こえた。恐々と鳩渓@源内が玄関を覗いてみると、母と高松藩の木村季明がやり取りをしていた。
鳩渓は、「うわっ!」と叫ぶと、板張りの床に平伏した。
「すすすすす、すみませんっ!勝手に退役させていただきました!ご挨拶にも伺いませんで」
「よせよせ、そういう話で来たのではない」と、木村は指先で顔を上げろと合図した。
ちらりと目だけで木村を覗き仰ぐ。「頼恭さまは、ご立腹ですよね?」
藩主の名前が出ると、途端に木村の顔が険しくなった。
「だから、それで来たのではない。その話はするな。思い出すと、私もお前を数発殴りたくなる」
「うわっ、す、すみません!」
木村は、どこで噂を聞いたのか、磁針器の製作依頼に来たのだった。藩とは関係なく、個人的に欲しい、礼ははずむと語った。
「頼恭さまには内緒だぞ」
そう釘を刺されても、それは必要の無い釘だ。源内の口から洩れることは決して無い。頼恭にはもう会うこともないだろうから。
木村は讃岐の人間ではなく、頼恭付きで守山藩から一緒に来た男だった。家老の西尾より頼恭との関係が深く長い。頼恭の怒りや苛立ちを一番間近で受ける立場にいた。
源内に言いたいことは山のようにあるはずだ。だが、それよりも、源内の作った機械を評価し、殿様に内緒で欲しいと言う。仕事を認めて貰った鳩渓の喜びは大きかった。
江戸からの藍水の手紙は、『今は書生をこれ以上置けないが、近々』『薬園が拡大されたら人がいるので、その時は頼む』のような、『少し待ってくれ』という内容が続いていた。じりじりと苛立ちつつ、日々が過ぎる。旭山の元で漢方や医学(内科)を学びつつ、本草や鉱物の勉強も続けた。大坂を拠点に京都や奈良の山にも散策に出かけたし、歌舞伎や浄瑠璃の演目もたっぷりと見物した。
年が明けて源内はもう二十九になっていた。藍水を頼らず、江戸へ出て学ぼうと思っていたところへ、やっと良い返事が来る。ただし書生として置く余裕はないので、下宿は自分で何とかしてくれということだった。
源内は旭山の元を後にした。
そのまま江戸へ渡ったわけでなく、身辺整理と、家族や友人に別れを告げる為に、一度志度へ戻った。江戸へ出たら永住する覚悟でいた。それでなくても来年は三十。遅すぎる旅立ちだった。
国倫が桃源の元へ挨拶に行くと、大人の付き合いのように客間へと通された。富豪の渡辺家は歳の瀬には畳を替えるので、部屋には青々とした他人行儀な静けさが匂った。
三十半ばの桃源はすっかり恰幅もよくなり、二重になってしまった顎をさすりなが、国倫を酒と肴でもてなした。
「いつまでも江戸に出んから、いつ行くのか、行かないつもりなのか、イライラしておったぞ」と穏やかに笑う。母との別れより、里与との別れより、国倫にはこの幼馴染みとの別れがつらかった。源内の才能を初めて評価してくれ、いつも背を押して前へ進ませてくれた男だった。
「いよいよ江戸へ出られるというのに、浮かん顔じゃの。晴れの門出じゃろうに」
「そんなことは無い」と言ってみたものの。満面の笑みの桃源に、自分は引きつった笑顔しか返せなかった。
『幼い頃から一緒に遊んだものを。もっと寂しがってくれてもバチは当らんだろうに』などと、お門違いに、恨みがましく桃源の顔を見つめた。わかっている、自分はまだこんなに桃源に甘えているのだ。甘えて拗ねている。頭で冷静に自分の精神を分析しながら、国倫は最後の徳利を空けた。
「お邪魔したの。もう帰るけん」
「送る」と桃源も立ち上がった。
讃岐が暖かい国とは言え、雛の時期の夕暮れは気温もまだ低い。だが桃源は「港を回って行こう」と誘った。浜は更に寒いだろうに。
「承知」と、国倫は桃源の背に続く。寒さに備えて羽織の袂に両腕を突っ込む。別れ難く、遠回りしたいのは国倫も同じだった。
卯(東)の方角に面した志度の海は、夕焼けで赤く染まることもなくただ灰色に重たそうに広がっていた。般若の角に似た三日月が、まだ薄明るい空に白く浮かぶ。
「よくここへ船を見に来たのう」
楽しそうに桃源が口を開いた。国倫は両腕を抱くようにして暖を取りつつ頷いた。
「寒いか?おんしへの餞別のつもりで持って来たが、飲るか?」
桃源は、阿蘭陀渡りのガラス瓶を差し出す。無色の透明な瓶に透明な液体が波打つ。瓶には木製の栓がしてあった。
「むこうの酒じゃ。暖まるぞ」
国倫は遠慮なく栓を引き抜くと、瓶から直接酒を飲んだ。
「で・うぃいん(ワイン)か。懐かしいの」
桃源が砂浜に腰を降ろす。国倫もそれに倣い、瓶を手渡した。桃源もラッパ飲みして、再度国倫に戻す。若い頃は、こうしてよく酒を飲んだ。阿片煙草も回して吸った。
国倫は元々阿片は苦手だったが、鳩渓もすっぱりやめていた。懐中から煙草入れを取り出し、火皿に普通の刻みを詰めた。携帯用の火縄はまだ火を保っている。手慣れた仕種で火を付けた。
「派手な煙管じゃのう」
赤い羅宇に椿の花が描かれ、雁首にも吸い口にも椿が彫られた煙管だ。
「ああ、これか。江戸の花魁に人気の型じゃと言っておった。おなご用らしい」
大きく煙を吐く。息が白いのか煙の色かよくわからなかった。
「殿様にいただいた物か?」
桃源が、海でなく国倫の顔をじっと見つめているのを感じた。「そうじゃ」と国倫は前を見たまま軽く肯定した。普通は、贈り物に女物は選ばない。その意味も、桃源ならわかっているのだろう。
「もし時間が許せばだが・・・。おぬしが江戸へ出る前に、わしと文江と三人で有馬へ行かんか?」
桃源は話題を変えた。
「有馬・・・有馬温泉か?」
「おぬしの費用はわしと文江で持つ。名目は俳句会の解散旅行じゃ」
国倫は面食らってまばたきを繰り返した。今すぐにでも江戸へ出たい焦燥を、桃源だってわかっているはずだ。国倫もそう若くないし、一日でも早く江戸へ発ちたい。
しかし、幼友だちと別れ難い想いも本当だった。
「昔馴染みのわがままだ。急ぐ気持ちはわかるが、わしにもちいと情けをかけてくれんかの」
「そんな。わしだって名残惜しい。桃源と文江の頼みじゃけん」
こうして、源内は志度から江戸へ向かう道中の何分の一かを、有馬を経由して桃源と過ごすことになった。
志度から二人で船で大坂へ渡ると、文江と合流し、有馬温泉へと向かった。この三人は、実に一月も温泉に滞在し、句集まで刊行することになる。
ーー湯上がりや 世界の夏の先走りーー
有馬で源内が残した句のひとつである。
第13章へつづく
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