★ 私儀、甚だ多用にて ★

第三十章

★ 1 ★

 まだ日も暮れぬうちから、平賀邸には酒樽を下げた輩達が集まる。
「源内ちゃん、いる?」
 春信が敷居を跨いだ時も、座敷には既に平秩東作と川名林助が居て、「いいところへ!」と招き入れられた。歓迎されたのは春信ではなく、手に下げた樽だった。
「昼間っから飲んでんのね」と春信が呆れた声を発すると、「なんの。おんしこそ、一緒に呑もうと持参したのじゃろう?」と、言い返された。
 源内の瞳は既に酔いで充血し、焦点が甘い。大酒飲みの自分や平秩らと違い、源内はさほど酒は強くないし、今までも酔いに身を任せるほど呑むことは稀だった。
 彼の飲み方が変わったのは、風来山人の名で戯作者として成功し、気楽な町の文士らと仲良くなってからかもしれない。が、昼から酒をかっくらうようになったのは、ほんの最近。燃えない布を作るとか作らないとかで、どうもあまり巧くいかなかったようで。それ以来だった。
「アタシは、お願い事があって、御神酒をお持ちしただけよ。でも、酔ってるみたいだし、出直して来るわ。
 酔ってなさそな時に、又来るよ」
 そんな時が、あればよいのだけど。小声で呟き、後ろ手に戸を締めた。

 平秩も川名も才のある文士で、春信の友人でもある。会話は機知に溢れ、源内のような男には、打てば響く彼らと話すのは楽しいことだろう。
 以前よく訪れていたチビの医者と若い学者などは、面白い事を言ったのを春信は聞いたことがない。源内の話を聞いて笑ったり驚いたりして、自分らは目一杯楽しそうだったが。世間通りの反応、予測できる返事。それでも源内は、学問の話ができれば、それはそれでよかったのかもしれない。
 彼らはあまり訪れなくなった。源内は家で学問の話はしたくなさそうだった。
 今年の春に大金を出して手に入れた『どどにうすのころいとぶつく』(何度も聞かされ、春信まで名前を覚えてしまった)という本草の図鑑も、今は本箱に仕舞われたままで、箱には埃が積もっていた。
 文士たちと粋な会話を楽しむ源内の姿も、きっと嘘ではないと思う。だが、何かを見ない振りをして、少し無理をしているように思えた。それが、酒に出ているのだ。
「ああ、ヤだヤだ。あいつの親でもあるまいし。なんでアタシがこんな心配・・・」
 声に出してぶつくさ言いつつ、自宅に戻ろうと路地を曲がると、その例の『若い学者』とすれ違った。彼は小走りで通り抜け、挨拶も無かった。よほど慌てて出てきたのか羽織も着用せず、袴の膝あたりを手で握って走りやすくしていた。
 何だろう。何か事件に違いない。好奇心に勝てず、春信は今来た道を戻り、再び平賀宅を覗いた。

「源内さん!大変です!」
 と家に飛び込んで来た純亭は、客人、しかも苦手な文士達がいるのに気付き、勢いを失った。時刻はまだ七つ(四時頃)というのに、座敷は酒くさい。
「なんじゃ?」
 国倫は湯飲みを置き、まばたきもせずに次の言葉を待った。純亭はこの客人達に聞かせてよいものか躊躇したようだが、どうせすぐに知れると判断したのか、「実は、『紅毛談(オランダばなし)』が発禁になりました」と告げた。
「・・・なんじゃと?」
 最近刊行された『紅毛談』は、田村門下の先輩である老学者・後藤梨春の著作で、長崎屋で見聞きした阿蘭陀の学問や文化について書かれたものだった。
「そんな阿呆なこと。なぜじゃ?」
 国倫も本には目を通した。バテレンやキリシタンについては触れていないし、幕府や日本を批判した文も無い。思想も風刺も入っていない、純粋な学術書だった。
「わかりません。これから、田村先生のところに事情を聞きに行くところです。ついでに源内さんにも知らせておこうと思って」
 酔いは、いっぺんに覚めた。国倫は立ち上がった。
「宴会はお開きじゃ。すまんのう」と、腰を据える友人達に詫びると、瓶から杓で水をすくってごくごくと飲んだ。酒臭い息で師と会うわけにいかない。
「純亭、よく知らせてくれよった。・・・行こう」

 田村邸では師は不在だったが、他の門人達も噂を聞きつけて駆け付けていた。奥方の話では、藍水は梨春と連れ立って田沼様の屋敷へ事情を聞きに行ったのだと言う。
 部屋では門人達はみな押し黙り、不安そうに視線を合わせないようにしていた。数人が交互に茶をすする音と、ため息だけが部屋に響いた。
 藍水が帰ったのは、すぐにわかった。せっかちな藍水は、玄関を開く前から「帰った!」と奥方に声をかけ、その声の後に引き戸が開く音がした。
「まったく、アベシの阿蘭陀文字を使った為の発禁というのが、どういう了見かわからん!田沼様の説明で、理由はわかった!だが、納得できん!」
 憤りでいつもより声のでかくなった藍水が、迎えに出た奥方か息子の元長かに説明しているのだが、それが座敷に筒抜けだった。
「気の毒に、消沈して自宅へお帰りになったよ」
 これは、家人が「ご一緒した後藤様は?」と尋ねた答えなのだろう。
 
 座敷の障子を開けた藍水は、紋付きの着物だけを着ていた。廊下に点々と羽織と袴が落ちていた。田沼様の屋敷へ出向いたのなら、正装で出かけたわけだ。座敷へ向かいながら廊下で一枚ずつ脱いで行ったらしい。
「先生!」「先生!」
 藍水が座すと、若い門人達から不安気な声が飛んだ。声を発した者の中には純亭もいた。
「ああ、噂で聞いただろうが、実は後藤殿の」と初めから説明を始めようとするので、国倫が「発禁はアベシ文字のせいという先生の話、ここまで聞こえちょりましたけん」と、不要な話が長くなるのを止めた。
 藍水は「ああ、そうか」と一息ついた後、「田沼様でも、どうしようもないとおっしゃっていた。・・・ここだけの話だが、二度とこんな馬鹿な事が起きないよう、早く力が欲しいともおっしゃっていたな」と言葉を続けた。
 田沼様も歯噛みする悔しさを感じ、激しい言葉を選ばせたのかもしれない。ご政道批判とも取られ兼ねない言葉であった。
「田沼様がそうおっしゃるぐらいだ。まだ、俺達阿蘭陀医者は無力だ。だが、阿蘭陀の学問の優れたところを俺達が少しずつ広めていくのだ。それぐらいしかできることはないかもしれん」
 前向きのようで、消極的なセリフだ。藍水も、『紅毛談』の発禁にショックを受けているようだった。たかがアベシ文字を載せただけでという、その縛りの厳しさに茫然としているのかもしれない。
『わしも、もっと早くどどにうすが手に入っていたら、物類品隲にアベシ文字で阿蘭陀名を入れたかもしれん』
 背筋にぞくりと悪寒が走った。梨春の本の発禁は、人ごとではなかった。
『いや、違う。こんなことで発禁にするお上が間違っておるんじゃ!』
 これを、声にして発すると咎めを受ける。ここに座る皆も思っている筈だが、発言するわけにはいかず、唇を噛みしめている。
『これが狂歌や戯作じゃったら、時代を変え場所も変えて、面白おかしゅうお上の理不尽さを暴露して、笑い飛ばして溜飲を下げることもできるんじゃが。
 学者は・・・あかんのう』
 国倫の、湯飲みを握った手が、冷たくさえざえと固まっていく。いつからか、こんな風に、『学者』という仕事に対して限界を感じるようになっていた。儒学者・朱子学者達からの弾圧や、漢方医達のいやがらせは、ここに出入りすると毎日のように耳にする。士分である者は、学者でない藩士達のやっかみに遭う。国倫もそれは嫌というほど味わった。
 それに対抗する力も術も無い自分たち学者の、なんと無力なこと。国倫は、さらにきつく湯飲みを握りしめた。
 心は冷え、醒めた想いは日々少しずつ積み重なる。学者など孤独なものだ。誰もわかってくれない。助けてくれない。

「事情はわかりましたけん、帰ります」
 国倫は、さっと席を立って田村邸を辞した。長くここに座っていても、どうせ『後藤殿が気の毒だ』だとか『アベシ文字ぐらいで』という、愚痴と世間話が始まるだけだろう。
 平秩達はもう帰ってしまっただろうか。白壁町への帰路を急ぐ。彼らとこのネタで飲んだ方が、よほど建設的な意見が出てくるに違いない。

『学者は、あかんのう』
 最初にこう気付いてしまった時の、この『学者』は、間違いなく自分のことであった。
 それは、一年前、秩父で石綿を発見した出来事から始まる。

★ 2 ★

 東都薬品会に石麸を出品した中島利兵衛は武蔵国猪俣村の野中組の百姓であった。が、中島家は姓を許され、地頭として代々村を取りまとめている名士だ。
 石麸には、表面に埃にも似た繊維が張り付いていた。そして注視するとそれは幾層もの細い糸のようなものが規則正しく重なり、この糸が鉱物の内容物であることが知れた。たぶん指でほぐすと次々と繊維が剥がれて来ることだろう。
 江戸の防火対策は幕府にも頭が痛い問題らしく、鉱物から織る繊維には、田沼様が注目していることを鳩渓も知っていた。『石綿』は人々の生活の役に立つだろう。だが、どんな鉱物なのか、何の石から取り出せるのか、見当もつかずにいた。
 鳩渓は、石綿かと思われる石麸という鉱物を出品した中島に、出品物のことで会って話したいと、何度か人づてに打診した。彼は地頭の仕事で時々江戸を訪れるとのことで、猪俣村代官の江戸屋敷で初めて対面した。かなり高齢の老人と聞いてが、初老の利兵衛を見て驚いたものだった。中島利兵衛は世襲の名で、石麸を出品したのは今年亡くなったという父親の六代目だった。
 父親同様、七代目も本草や鉱物に興味があり、鳩渓に協力を申し出てくれた。『薬品会のあの平賀源内』に協力できるというので、舞い上がっている風にさえ見えた。鳩渓はその年の七月に『物類品隲』をも出版しており、今の江戸で三本の指に入る本草学者という評判だった。「そんな凄い学者様のお手伝いができるのは、中島家の誇りだ」と何度も鳩渓の手を握った。・・・しかし、父親がそれを採取した場所も息子には曖昧な記憶しかなかった。

 翌年、まとまった時間を作った鳩渓は、猪俣村まで出かけていき、利兵衛宅を根城にして付近を探索した。少年の頃から讃岐の山々を散策した健脚の鳩渓だからできた事だ。地頭の利兵衛は、農民と言っても役人と同じ仕事をしてきた者なので、足腰は強くなかった。彼を自宅へ残し、木こりや猟師で博識な者に案内を頼みつつ、十日も捜し回った。
 野中村から十里も離れた山奥。秩父の両神山へ向かう途中の皆野で、蛇紋岩を見つけた。崖の表面に蛇のような文様が現れ、蛇の皮のようにてらてらと光沢があった。蛇紋岩には石綿が含まれる事が多いと聞く。その岩は木こりが鶴嘴で軽く叩くとばらばらと崩れるほど脆かった。破片は毛羽立ち、白い鳥の羽を透かして見たようにきらきらと陽を反射した。出品された物と同じに見えた。鳩渓と案内役は背の駕籠に持てるだけ蛇紋石を詰め、中島邸へと引き返した。
 これを布に織る方法は、頭の中で国倫が幾通りもアイデアを考えていた。中島家には下男下女が十名以上いた。利兵衛の弟と息子も手伝い、石をほぐす作業から始まった。毛羽立った繊維で咳き込むので、口と鼻は手拭いで覆って作業した。
 駕籠一つほどの綿が出来ると、次はそれを指で縒り、糸を作ろうとした。が、本物の綿と違い繊維に張りがあり、うまく糸として繋がってくれなかった。途中でちぎれてしまうのだ。この作業では、手先の器用な李山が先頭に立った。あまり気乗りはしていない様子だったが。
「手間がかかるが、和紙で包むか」
 極薄の和紙を細く均等に切り、それを長く繋げた。利兵衛が「うどんみたいですね」と初めて冗談を言った。国倫ならお愛想笑いぐらいはしただろうが、今は何せ李山だ。ちらりと利兵衛を見上げると、にこりもせず、「のりしろは、なるべく少なくしろ」と命令に似た指示を出した。
「紙の重なる部分が多いと、細い糸ができんからな」
 和紙に縒った繊維を包み、さらにこの紙を縒って長い紙縒りを作る。それを織って布の形にし、後で紙を焼いて除けばいいのだ。
「は、はい。すみません」
『なにをうちの父上に偉そうな!』『あいつは居候じゃねえか。ただ飯食ってやがるくせに』・・・作業を手伝う家人達は、江戸の偉い学者様と聞いているだけで、源内の名も知らなかった。彼らは、主人が妙な事に手を出し、事業に失敗することを危ぶんだ。一銭も、くだらないことにつぎ込んで欲しくなかった。
 李山は、そんな家人達の思惑も見透かすように、「利益は、成功すれば付いてくる」と鼻で笑ってみせた。

 李山には、何故皆がこのように不器用なのか、理解できなかった。爪の先位と指定したのりしろは人差し指の先ほど大きく作る。糸を縒るには均一でなく芋虫のようになる。そして、扱いが雑で途中で和紙を切ってしまう。
 織物職人でもない李山でさえ、きちんと細い糸にできる作業だ。集中力が足りないのか、真剣にやっていないのか。短気な李山は苛々と煙管の雁首で床を叩いた。利兵衛はその音にびくりと肩を上げる。
「近所に、織物職人はいないのか?今回は試作品なので小さいものを手で編んだが。量産となると、糸を縒るのにも織り上げるのにもご当家の下働きでは心もとない」
「残念ながら、この猪俣村には・・・。秩父まで行きますと、織物は盛んなのですが」
「では、秩父から連れて来い」
「は、はいっ。かしこまりました」
 利兵衛は額を床に擦らんばかりに頭を伏せた。

 竈の中で紙だけ焼け落ち、石綿の布が完成した。大きさは女の掌ほどで、これを利用できる物は無いかと李山は考え込んだ。国倫がすぐに『香敷はどうじゃ』と案を出した。周りに銀の枠をはめ込み、体裁を整えた。
「すぐに、田沼様にお見せしに江戸へ戻る。これについての論文も書くので、一段落付いたらまた来る」と言い残し、李山は猪俣村を発った。中島家の人々は、ほっと安堵の息を吐く。
 源内は、蛇紋石探しと石綿製作で、ひと月以上も山に籠もっていたことになる。村はまだ雪が残っていたが、江戸にはもう春の花が咲き始めていた。

 藍水は前年から幕府に医官として用いられ、人参座のあれこれに関わっていた。今までの人参作りの技術が認められたのだ。香敷は藍水を経由して田沼へと報告され、お褒めの言葉と、このまま軌道に乗せてもう少し大きい物をという要望もいただいた。
 長崎屋に商館長らも来る季節で、彼らにも見て貰った。石綿は阿蘭陀や近隣ヨーロッパでは産出せず、昔トルコで産出したものの、戦乱が続き布に織る方法はもうわからなくなったとのこと。この小さな香敷を見て、貴重なものだと賞賛した。ただし、かつてトルコでは着る物位の大きく柔らかいものが作られていたとのことだった。香敷の石綿はバリバリで固く荒く、とても着物に加工はできそうにない。源内は自作したこれを火浣布と名付けたが・・・布と呼ぶには憚られる肌ざわりだった。
 この経緯を『火浣布説』として田沼へ上申書として提出し、新たな決意で猪俣村へ戻った。かつて他の国で着物が作られていたのなら、柔らかい大きな火浣布を織ることは不可能ではないのだ。
 正式な幕府から依頼の仕事へと変わり、中島家の態度は掌を返したようになった。早朝から日が落ちるまで、利兵衛の弟も息子も下男下女達も、糸を紡ぐ作業に精を出した。秩父から呼んだ職人は、結局、糸を紡ぐ作業は李山より下手で、李山が癇癪を起こして追い返してしまった。
「職人と名乗るおまえらより、この家の下男達の方がよほど仕事が丁寧だ」
 李山が職人に叩きつけたセリフが下男達には痛快だったようで、彼らはその後協力的になるというオマケが付いた。
『李山が人並み外れて器用なんじゃ。他の者にそれを求めるのは無理じゃけん』
 国倫がため息混じりに意見しても、李山は反駁した。自分は指に幾本も傷を作り、痛みも厭わず力を込めて縒っているが、職人の指には傷一つ無かった、と。

 中島家では、紙の種類を変えて縒ってみたり、紙でなく薄絹に混ぜて縒ってみたり、糊だけで試してみたり、試行錯誤が繰り返された。
 清からは、幕府に既に敷物大(馬掛け)の火浣布の注文が来ていた。最初に輸入品として香敷を売り込みに行った幕府は、「こんな小さいのはいらない。馬掛けなら買う」と言われた。李山の方は、女の掌の大きさを織るのがやっとだった。かつてトルコで秘伝とされ、今や世界中でどこの国も作る事の出来ない火鼠の皮衣なのだ、そう簡単に馬掛けなど織れるわけがない。これは、清の嫌がらせだった。いや、単なる断りの言い訳だったのかもしれない。だが、長崎奉行の言葉はそのまま幕府に伝わり、李山は馬掛けを作ることを命じられたのだ。
 李山は歯噛みした。自分は学者であり、職人でも商人でもない。だが、『できません』と言うのが死ぬほど嫌いな男だった。
 鳩渓と国倫と三人で知恵を出し合い、色々と試した後、絹糸と糊とで石綿の繊維を糸状にして機にかけて織る方法を見つけ出した。何とか手ぬぐいほどの大きさの火浣布を二枚、織り上げることができた。指定された六月に間に合った。中島家の従業員は十七名いたが、家事労働もあり全員を狩りだすわけにはいかなかった。交代で十名程が休み無く糸を紡ぎ、布を織った。知識の無い者達なので、常に李山が側に付き、トラブルがあれば即座に対処した。
「田沼様にはこれで勘弁してもらおう。みんな、よく頑張ってくれた」
「平賀様こそ、殆ど寝てねえだよ!」「平賀様が一番がんばっただ!」
 下男達の言葉に李山は苦笑した。自分はもの言いもきつく態度も偉そうだし、こういう者達には嫌われる人間だと思っていたのだが。
 利兵衛には深く礼を述べた。火浣布の本を刊行する際には、必ず利兵衛の名を載せることを約束し、江戸へ出たらいつでも歓迎すると告げた。社交辞令を言わない李山であるので、本心で感謝しているようだった。ただ、それを鳩渓なり国倫なりが指摘すると、機嫌が悪くなるのだが。

 江戸へ戻り、李山は、藍水に頼んで田沼邸へと同行させてもらった。大きさが足りないことを詫びたいという名目でだったが、田沼の本心を見たいという理由が大きかった。本当に大きな火浣布を欲していたのか、無理と知りつつ受けたのか。
 薬品会で見かけた事はあったが、正式に会うのは初めてだった。田沼邸の前には籠かきや中間らが大勢たむろし、訪問した主人が出てくるのを待っていた。田沼と会見したがる者は士分も商人も後を立たず、付け届けの質で会ってもらえるかどうかが決まる等という噂があった。藍水は裏の通用門から中へ入り、下女に用件を伝えた。表門の来訪者は、田沼に便宜を計ってもらうお願いに来た者達だ。正式な幕府の用事で来た藍水が、こうして裏口を通るのも妙なものだ。
 結果だけ言えば、田沼は笑みを浮かべつつこの大きさで了承し買い取ってくれた。つまり、初めから無理だとわかっていたのだ。

 平賀源内が火浣布という燃えない布を作っている事は、長崎屋でのやり取りや、清からの依頼などのせいもあり、学者や幕府・各藩の役人の間でさかんに話題になっていた。江戸の火事対策は幕府の重要課題であった。注目度は非常に高かった。当時、学者らは顔を合わせると平賀の火浣布の話になったほどだ。商人でも、学者らと交流のある薬問屋や本屋はこの話を知っていたし、庶民でも耳にした者は多かった。
 だから、馬掛けを一旦受けて出来ませんでしたと平賀が幕府に頭を下げた事実は、すぐに広まった。平賀の成功を妬んでいた学者も多いので、『詐欺師』などと陰口を言い中傷する者もいた。
李山は憮然とする。
 学術的には、蛇紋石の鉱脈を見つけ出し、そこから石綿を抽出して、糸にして布に織りだす方法も確立した。学者としては、成功したのだ。だが、技術が足りず大きな布が織れず、清への輸出という『事業』に失敗した。職人でも商人でもないものを。何故ここまで叩かれなければならないのだ。学者としての成功を讃える者がもっといてもいいものを。
『儲け話に繋がらんもんは、みんな、興味ないちゅうわけや』
 国倫が苦笑しつつ李山をなだめた。その国倫も、学者という仕事の限界を感じていた。鳩渓も同じだった。

『火浣布略説』。約束していた序を甫三に書いてもらい、『物類品隲』と同じ須原屋から本を出して、この件は落着した。入稿したのはだいぶ前だが、刊行は今年のつい最近のことだった。
 その間にも、今年の阿蘭陀人達の江戸参府があり、日本の学者達に寒暖計を馬鹿高く売りつけようとしたので仕組みを暴いて喝采を浴びたり、『どどねうすのころいとぶつく』を商館長から購入したり、学者として面目躍如の出来事もあった。
 だが、もう、かつてのような喜びを感じなくなっていた。どんなに凄い学問でも、金に結びつかねば、評価されない。鳩渓、国倫、李山、想いはそれぞれだが、三人の心の中で何か大切なものが壊れたのは同じだった。

★ 3 ★

 国倫こと風来山人が、『根南志具佐』『風流志道軒伝』と戯作を二作も立て続けに書いたのは、家主の岡本利兵衛の勧めもあったが、『物類品隲』を作り終えてほっと一息つき、ちょっと遊びに興じたい気持ちがあったからだ。遊びといってもくだらないおふざけを書くつもりはなかった。下世話な話題の中で世相や世間を斬りたかった。説教くささを感じさせず、笑いの中で斬りたかった。
 混沌と雑然と過激と猥雑と・・・そんな中の『上澄み』を、ほんの僅かな誰かが、一瞬感じてくれるような、そういう戯作を書いてみたかった。
 本はバカ売れした。貸本屋でも貸し出しが一位二位を争った。
 話の筋の面白おかしさや色っぽさだけを喝采する庶民や、卑猥さに眉を顰める学者も多かった。しかし、あの戯作のおかげで、貴重な文士の友人達もできた。
 書いていて気付いたのは、かつて桃源の付き合いでやっていた俳句が思いのほか役立ったということだ。自分は俳句はあまり好きではなく、江戸へ出てから全くやっていなかったが、惜しげも無く縁語を駆使する、たたみかけるような文が、岡本の絶賛に遭った。
 本が売れて儲かったのは岡本だけで、国倫は僅かな原稿料を貰っただけだったが、それでも気分は悪くなかった。

 長屋での扱いは、がらりと変わった。元々お高く止まっていたつもりはなく、自分は貧乏浪人であり貧乏学者だと思っていた。しかし、同じ敷地、縦割り長屋に住む職人達は、『お侍の、偉い学者の先生』として、少し離れて見ていたのだった。
 あの学者様が風来山人だと知れてからは、旦那も女房も子供さえも、気安く挨拶してくるようになった。寺子屋へ通う子供などは、わからないところを尋ねに来たりもした。いや、寺子屋の教師までが、うまく子供に説明できなかった部分の相談に来た。学ぶことは楽しいものだ。その手助けができるのは嬉しかった。
 文士らと遊び、長屋の皆と接し、自分は変わって行ったと思う。一言で言えば、『江戸のひと』になった。
『根南志具佐』の両国広小路の川遊びの風景を書いた時に、思い知らされた。自分はこれほどにこの街を好きなのか、と。

 この男も『江戸のひと』という風情を持つ。国倫は、春信の家の戸を覗いた。
 先日は何か頼み事に来たが、こちらが平秩達と酔っぱらっていたので帰ってしまった。その後は梨春の発禁騒ぎでうやむやになり、きちんと話を聞いてやっていなかったのを思い出したのだ。
 春信はいつから刷り師まで兼任するようになったのか、部屋で絵を刷って床中に散らばらせていた。茜色の振袖に鮮やかな青の襷紐をからげ、顔に絵の具を付けて奮闘している。春信の握るバレンが大きく見えるのは手が小さいからだ。非力な彼にはしんどい作業だろう。
 と、「ああん、もう!」と悲鳴に似たため息と共に、今刷った絵をぐしゃぐしゃと丸めて放った。
「よう。おんしが力仕事とは珍しいのう」
 当然手伝うつもりで、戸を開けた。
「利兵衛殿のところは、刷るとこまで自分でやるしくみになったんかいの?」
「バカ言わないでよ。多色刷りを試してんのよ。板元で六色分彫ってもらったんだけど、色がズレちゃうのよね」
 刷り絵は普通墨刷り絵(単色)で、多色絵は刷った物に筆で色を加える。二色の紅刷絵もあるが、いたってシンプルな物だ。春信の描く繊細な絵で、六色も色を重ねようなんてただごとではなかった。
「丁寧に線に合わせても、擦る時にズレてっちゃうのよ。それに、百枚二百枚刷るのに、いちいち神経質に線に合わせてたら日が暮れちまう」
「この、紙を停めたい部分を彫って、紙に引っかけたらどうじゃ?」
「え?・・・あ、そーかっ!源内ちゃん、さっすが、アタマいいね!」と、春信は顔を輝かせて、版木を国倫に差し出す。
「・・・なんじゃ?」
「だから。彫ってよ。鑿や小刀なんて使って、手を怪我したらどーすんのよ」

 陽が落ちて、春信は行灯に火をともした。
 国倫は、絵の具を乾かす時間を考え、作業を行った。一枚目の版木の端に"L"の形を彫っては刷り、乾くのを待つ間に二枚目の版木に彫り目を入れた。薄紅だけ色を入れた紙をするりと二枚目の版木に滑り込ませる。今度は山吹色だ。国倫が力瘤つくって刷っても、版の切れ目で紙が止まるので、紙が動くことはない。
「ほうれ、どうじゃい?」
 剥がした絵は、ぴたりと決まった部分に色が収まっている。
「すごい、すごい!これならうまく行きそう」
「行きそうと違う、絶対うまく行く。わしの案じゃけん。手落ちは無い」
「成功したら、酒樽一個奢るわよ。この前持参した御神酒樽。この事を相談しに行ったのよね」
 国倫がまだ三枚目の版に細工するうちに、春信は樽を手に下げて持ってきた。「早く乾杯しようよ」と、もう成功を疑っていない。四色目を擦り終わった頃には、待ちきれずに一人で注いで飲み始めていた。
「酷いやっちゃな!わし一人に作業させおって」
「源内ちゃんの分は取っておくから、大丈夫よん」
「最後の一枚は、おんし自分で刷ってみ。感激が違うけん」
 そう言われ、春信はしぶしぶ立ち上がった。既に茶碗で一杯空けていて、首と頬がほんのり赤くなっていた。
「ほれ。もっと力を入れんかい。最後の黒が綺麗に出んと台無しじゃぞ?」
「わかってるわよ、そんなこと。それより、少しでもズレてたら承知しないからね」
 女みたいに細っこい春信だが、襷がけであらわになった二の腕は、バレンに力を込める度にきちんと、しっかりとした瘤を作った。胸板も薄いわけでなく、女性でも子供でもなく青年の体躯だった。赤い袂が振れて揺れるのが美しくて、一瞬見とれた。
 久々に、心が騒いだ。
 袖には金の雲と鶴か鷺が描かれていた。袖が動くとその鳥も飛ぶようだ。

 四方八方全部こすり終えた春信は、国倫を振り返った。目に戸惑いがあり、自分で捲るのを恐れている風だ。髪がうるさくて手でぬぐったのか、頬と唇に黒い絵の具が付いていた。
「ようし。捲ってみい。わしが太鼓判押す。うまくいっとるって」
 国倫の言葉を聞いて、ためらいがちに細い指がゆっくりと紙を上にあげた。少しずつ少しずつ、板と紙が離れていく。そして剥がし終えると紙の縁を握って静かに返した。
 遊女の豪華な着物が多色刷りで色鮮やかに輝いていた。衿の色の重なりも全く滲まず、帯の模様も着物の柄も、色が混じっていない。
「ほうれ見ろ。・・・いや、しかし。思った以上にみごとじゃの。元絵がええんじゃ。おんしの絵は、色数が多いと映えるのう」
「・・・。」
 春信は、出来上がった自分の絵を見て感無量のようで、言葉を発しなかった。
「おんし、泣いとるん?」
 からかい気味に尋ねると、「泣いてないわよぉっ!」という言葉と同時に、切れ長の目尻からぽろぽろと涙が溢れた。
「あー、悪かった、すまん、余計なこと言ってしもうた。・・・うまく行ってよかったのう」
 先日相談に来たということは、その前から自分で多色刷りを試行錯誤して、ずっとうまくいかなかったのだろう。誰にも言わず、一人でこっそり、ああでもないこうでもないと、失敗を重ねていたに違いない。
「絶対うまくいくって言ったじゃない!ほんとは自信なかったんだ?」
 春信はわざと意地悪そうに目を細め、口を突き出した。
「恐々擦ったら、綺麗に色が出んじゃろ?」
「呆れた。・・・鼻の下に青絵の具が付いてるわよ!」
 そう言って春信は手の甲で涙を擦った。今度は赤の絵の具が目尻を染めた。
「おんしの顔もな。そこもここも絵の具だらけじゃ」と、国倫は懐中から手ぬぐいを出して自分の鼻の下を拭うと、春信の頬と唇も擦った。顔に触れられた春信が、微かに後ずさりした。
 嫌悪ではなかった。反対に、意識して、恥じらったように見えた。
『・・・・。』
 ダメでもともと。殴られたとしても、春信の小さな手なら痛みもたかが知れている。国倫の指が直接春信の唇に触れた。春信がはっと息を止めた瞬間を逃さず、国倫の唇が覆った。
 たぶん、ずっと待っていた。こんな風に心があふれ出すのを。
 ずっと気になっていた。この美しい男に、惹かれない筈がない。

 衆道ではない、男も女も大キライと言っていた春信は、抱かれた後に国倫の胸に妙に収まりよく頬を当てた。
 江戸者は過去を詮索しないのが約束だが、春信の昔の誰かは確実に一人は男だったろう。だいぶ長い期間、大切に愛されたようだった。春信の閨でのふるまいには品があり、優しさや慈しみに満ちていた。若き日の彼をそう育てた、大人の男が居たのだ。
『あーあ。国倫さんも、けっこう休みナシですねえ』
『恋多き男とでも呼んでやれよ』
 あきれたように呟く鳩渓と李山の声には、でも幾分か祝福が込められていた。




第31章へつづく

表紙に戻る