★ 私儀、甚だ多用にて ★

第三十三章

★ 1 ★

 江戸に帰っても知人に会えば、金山のことを尋ねられる。鳩渓にはそれが憂鬱だった。次第に内に籠もるようになり、国倫と李山が表に出ることが多くなった。
 この二人は、くよくよなどしていない。金脈に当たる当たらないは富くじのようなものだ。聞かれたら「出ない出ない」と笑い飛ばせばいいことだ。
 親しくなった文士らは常に家に出入りし、平賀宅は長屋でも客の多い家となっていた。酒は家で振る舞うが、肴は客が持参したり、物売りが来たら呼び止めたりの気楽さだ。
 最近は何が流行りか、何か面白いものがあるかというのも、集まった彼らに教わることが多かった。かつて甫三の屋敷には学者らがつどったが、平賀の家に集まる人々は多岐に渡った。長屋の一画というので敷居が高くないせいか、絵師も来たし、蘭癖の商人も来たし、浄瑠璃作家も来た。出版屋・須原屋の従業員も遊びに来たし、彼を探しに来た筈の須原屋が一杯飲んで無駄話をしていくこともあった。
 無駄話の中に仕事のアイデアがあり、若い文士や絵師の見習いが飛びつく。誰かが誰かの序を書くことになり、挿絵を描くことになり。そうして人の輪が広がって行った。

 吉田文吾も、この輪の中にいた。明るく社交的な文吾は、時間がある時はよくここへ来て皆と酒を飲み交わした。この場では一番付き合いの古い友人だ。まだ国倫が二十代の頃に上方で知り合い、当時もよく一緒に遊んだ。彼は同世代で、竹本座という浄瑠璃一座の末端に居る人形遣いだった。
 最初に高松藩を辞め、大坂で江戸へ出る機会を窺いながら医師の戸田旭山の助手を勤めた頃の話だ。田村藍水からの色良い返事をじりじりと待ち焦がれつつ、薬草の知識を蓄えていた。待つ時間というのは長くつらい。国倫は薬草問屋の接待でだいぶ悪所で気晴らしをした。蔭間茶屋も歌舞伎も浄瑠璃も連れて行ってもらった。若かった国倫が自腹を切ってできる遊びではない。
 大坂では浄瑠璃が熱かった。国倫は、生身の人間が演じる歌舞伎よりも、浄瑠璃の方が好きだと思う。表情も変わらず動きに制限のあるはずの人形が、魂を吹き込まれる驚きに感動さえ覚えた。また、浄瑠璃の方が想像の余地があり、自分で世界を広げる楽しみがあった。
 竹本座は上方でも一、二を争う有名な座で、下っ端の人形遣いでもスター扱いだ。見目のいい文吾は、若手の中でも一番人気だった。人形の三人遣いを開発し、今の浄瑠璃人気の基礎を作った吉田文三郎の長子であるというのも、人気の理由だったろう。文三郎は上方でもナンバーワンの人形遣いと言われていた。
 文吾は贔屓のお座敷に招待されることも多かったらしく、料亭では何度か廊下や玄関ですれ違った。この時も国倫は接待の末席という立場である。だが、一緒に遊びに出るほど親しくなったのは、本屋で偶然出会ってからだ。
 文吾の父は吉田冠子という名で脚本も書いた。文吾も当然勉強をしている。竹本座は近松と西鶴という人気作家の作品を浄瑠璃化して喝采を浴びるが、文吾はできれば太平記や唐の古典なども学んで作品に生かしたいと考えていた。だが、たくさん並ぶどの本を選んでいいのか、見当もつかない。居合わせた国倫に色々と本を選ぶアドバイスを受けた。
 文吾は、士分である学者の青年が、芸人(身分は商人以下)の自分に親切にしてくれたので感激したのだそうだ。礼に食事に誘い、話して見ると思いの他に気が合い盛り上がって、二軒目は酒場になり三軒目は蔭間茶屋になった。文吾は衆道ではないが、国倫に付き合って蔭子を買うくらいの遊びはこなした。
 優秀すぎる父を持つ文吾の悩みは深い。客にも座員にも芸を比べられ、褒められることはない。力量が足りないのは、自分でもよくわかっていた。
 しかもその父は座長とはうまくいっておらず、幾度か独立を試みては、すんでのところで引き止められることを繰り返している。息子としても居づらい立場にいた。
 江戸へ出られず焦れる国倫と、波長が合ったのかもしれない。以来、時々、一緒に遊ぶようになった。
 長身で国倫ともそう背の変わらぬ文吾は、体つきもりりしく、顔立ちもきりりと精悍だった。国倫もすらりとした優男なので、二人で街を歩くとその華やかさに人が振り返るほどだった。

 父の文三郎が大もめにもめて竹本座から独立したものの、心労で翌年に死亡。困ったのは一緒に座を辞めた文吾だった。頭を下げて座に復帰させてもらい、二代目吉田文三郎を襲名して暫く花形として名を売る。だが結局は居づらい。円満に座を辞すことができたのは、活動場所を上方でなく江戸とする約束をしたからだ。こうして文吾は、遠く見知らぬ野蛮な土地へと足を踏み入れた。
 その頃国倫は、せっかく出られた江戸から讃岐へ戻る羽目になっていた。頼恭の命で衆鱗図を作っていたのだ。そしてやがて、藩に嫌気が差して、江戸へと舞い戻る。
 お互いに、似た時期に波瀾の時間を過ごした。
再会したのは最近だった。江戸では圧倒的に歌舞伎熱の方が高いのだが、このところ『外記座』という巧い浄瑠璃一座が人気という。上方から来た二代目吉田文三郎のみごとな人形さばきと、古典を料理した話の筋も秀逸との噂だった。そして試しに見に行ったら、それが文吾だったというわけだ。
 昨年出版された『長枕褥合戦』は浄瑠璃本の体裁を取っている。脚本は普通の戯作と違い、細かい決まり事があった。詳細を文吾に尋ねながら書き進めた。
「あんさんのお書きになるものは、おもろいなあ。今度、うちの座にも書いておくれやす」と文吾が言ったのは、国倫は世辞と思って笑って聞き流した。なにせ文吾は今や二代目吉田冠子も継いで、浄瑠璃作家としても大人気だったからだ。

 冬の間の国倫は、平賀宅のサロンで皆と交流しつつ、相変わらず細かい仕事もこなした。いつもの、薬草や石の目利きや広告文の他に、戯作も執筆していた。たいした収入にはならないが、書く事は気晴らしになる。『長枕褥合戦』が意外に好評だったのには驚いた。卑猥な部分を面白がられただけではないのだ。会う人ごとに『格好がいい』『爽快に笑った』と褒められた。同じ路線で、猥雑に見えてそうでない、何か別の事を言っているような、ギリギリの戯作。そんなものを少しずつ書き進めていた。

★ 2 ★

 桜の花びらが髷に張り付いていることも気付かず、国倫は奔走した足を引き擦り、白壁町の家の戸を開けた。借金の工面、仕事の前借り。足も棒のようだが、頭を下げすぎて心もボロ雑巾のように疲れていた。

 座敷に人声は無いが、三和土に草履が二足並んでいた。一つは見慣れた居候の林助の草履だ。もう一つは誰だろう?座敷には、空いた徳利と盃が二個転がっている。
 閉じられた奥の間の襖へ向かい、大きく咳払いしてみる。ごそごそと身繕いをする気配がした後、林助が細く襖を開けた。
「お帰りでしたか」
 隙間から、布団に潜った青年が見えた。千賀の息子の道有だった。千賀父子は蘭癖で有名で、息子は御典医でない気楽さから時々ここへ遊びに来ていた。
「おんしらなあ」と国倫が呆れて眉を下げると、林助は照れくさそうに頭をかきつつ、「いやあ。二人で飲み始めたら、今日は誰も来ねえし、なんかいい感じになっちまいまして」と言い訳した。
 道有は国倫と同じ『女ぎらい』の衆道、完全な男色家だが、林助はそうではない。二人が惚れ合っているというわけでもあるまい。戯作者や絵師らは、普段は友人として接しても、興に乗ると気軽に肌を重ねるところがあった。責めるつもりもないし、国倫自身もそうして遊びで誰かと寝ることもあった。みな、一緒に水練でもしたように後腐れがない。
「お楽しみのところ申し訳無いじゃけんど、夜具を空けてくれんかのう。たたんで大風呂敷に包みんしゃい」
「・・・はい?」
「人手があってよかったけん。奥の箪笥もその文机も、質屋へ持っていくん」
「え?」
「茶箪笥も中の茶椀も皿も、わしの羽織も着物も。本と筆以外は全部じゃけん。あ、使うた徳利と盃も、洗うて仕舞いしまい」
「・・・。」
 林助は驚いてあんぐり口を開けたままだった。

 今年も阿蘭陀人達が江戸へやってきた。商館長はヤン・クランス。彼は数度目の長崎屋であり、江戸の学者達とも面識があった。国倫も知己であった。
 彼らは、学者たちが身を乗り出して欲しがるような、高価な蘭書をたくさん持って来た。 世界地図と魚譜は国倫が買えない値段ではなかった。だが、最後に見せられた『よんすとんの動物図譜』は法外だった。六十両あれば家が一軒買える。
 クランスが開いたページには獅子の挿絵があった。銅版画という技術による絵であることは、とっくに国倫も知っていた。知ってはいても、その現実味を帯びた絵に、皆が嬌声を挙げた。獅子の毛流れの一本一本が、皮膚の弛みが、頬の肉の厚みが、すぐ目の前に有るもののように描かれていた。
 獅子は伝説の生き物でなく、遠い国に存在するのだ。ただ、日本には居ない。日本から出られぬ国倫らが、獅子を生で見ることはない。しかしこの本を手に入れれば、実物に触れるように詳細を知ることができる。獅子だけでは無い。クランスは次次とページを捲ってみせた。国倫は息を飲んだ。縞馬、象、犀、駱駝、麒麟。書物で名前だけ知るもの、架空の生物と思っていたものが、リアルな形で紙の上に息づいている。蹄で紙を蹴って今にも本から飛び出しそうだ。
欲しい。
 国倫はごくりと唾を飲み込んだ。六十両。六十両だ。・・・掌が冷たくなっていく。
 高すぎて、誰も買おうとは言い出さなかった。国倫はとりあえず安堵の息を吐いた。富裕な藩の学者や、自宅が金持ちの医師になら、十分買われてしまう可能性があった。
 春信を、旗本の巨川の財力で持っていかれた苦い想いがよぎる。一目惚れしたこの愛しい本を、誰にも渡したくないと思った。
 この本を欲するのは、私欲だけの欲望ではない。冷静になろうと、震える拳の力を緩め、本が必要な理由を反芻する。この本を自分が所有できれば、他の学者や絵師の為にもなる。これを幕府が買い上げても、一般の学者の目に触れることはない。このままクランスが長崎へ持ち帰っても同様だ。
「五十両にならんか」と、出した声が喉に引っ掛かり、掠れた。

 結局買うと言う者は国倫しかおらず、五十両を商館長らが江戸を発つまでに調達する約束をした。
 始めから五十両のものを六十と言ったわけでないのは、快諾しなかったクランスの態度でわかった。彼も悩みに悩んで、最初は断わろうとした。が、大通詞の今村源右衛門が、「日本には、得意客は優遇する慣例があるが、阿蘭陀には?」というような事を尋ね、それが結果国倫を助ける事になった。国倫は毎年高価な蘭書を買っていたからだ。
だが、それでも、クランスは腕組みを解かず、『五十五両では』などと中間を取ろうとした。
「あのう。三年前・・・この場でタルモメイトルの買い手を募ったカピタン殿は・・・八両と言われました」
 遠い席から、聞き覚えのある声が聞こえた。籠もったおずおずとした喋り方は玄白だった。彼が長崎屋で阿蘭陀人に発言するのは珍しいことだ。
 今村が玄白の言葉を通訳し、クランスは苦笑して、五十両で承諾した。会見の初日に国倫は自作の寒暖計(タルモメイトル)をクランスに献上していたのだ。当時の商館長ウィンケの言い値が適正価格なら(たぶん違うが)、クランスは八両相当の物を国倫から貰っていることになる。
 国倫は、遠く座った玄白を窺い、目が合うと黙礼した。玄白は恥ずかしそうに頷いた。

 寒暖計は、冬場の退屈しのぎに李山が造ったものだ。かつて国倫が、欧州製のタルモメイトルを見て仕組みを即座に看破したのにも阿蘭陀人らは感心したが、実際に造ってしまったのには驚愕した。江戸には専用の部品も材料も無いのだ。日本では何に当たる物なのか、何で代用できるのか。無い物は、どう造ればいいのか(実際に、硝子の細い管は李山が職人に造らせた)。西洋と日本の両方の知識が豊富でなければ、複製などできない。阿蘭陀人だけでなく、居合わせた日本の学者達も驚いたのだった。

 玄白のおかげでヨンストンを値切れたものの、元より国倫に五十両などという大金は無い。冬に働いた分は、世界地図と魚譜の代金で消えた。
 が、もちろん、何の当てもなく購入を希望したわけではない。タルモメイトルは二十台造った。一台はカピタンに渡したが、オランダ人が八両すると言った物だ、三両でも買うもの好きがいるはずだと思った。
 そして、確かに、居た。何人かの裕福な学者や蘭癖の豪商らは、三両出した。しかし、人数が少ないからもの好きと呼ばれるのだ。
 価値を認めても三両は出せない者にはもう少し安く譲った。それでも全部は売り切ることはできなかった。
 あとは、出来るところから出来る限り金を借り、持っている物を売り払うしかなかった。

★ 3 ★

 質屋から借りた大八車に荷を乗せ、林助が引き、背後から国倫と道有が押した。
「河童先生の質草を、なんでおいらが。先生が引いてくださいよ」と、林助は文句を言う。
「わしらは、ケツからが好きじゃけん。・・・のう、道有?」
「平賀さんの冗談は、相変わらず露骨です」
 少年の頃から知っている道有だが、もう二十歳を過ぎ、今は伝馬町の獄医として働いていた。富裕な医師の跡取りであり、将来は御典医を約束されているが、医師を一番必要とする場所での過酷な仕事を選んだ骨太な男だった。真摯な青年である。ただし仲間うちでは、誰とでも寝る男として知れ渡っている。
生活必需品を含めた家財道具は、二両近くはなった。だが、まだまだ、足りない。
「あと幾らですか?」と道有が率直に尋ねる。
「五両」
 所帯持ちの町人の五年間の生活費だ。答える国倫の声もぶっきらぼうになる。文士の林助は日々の小銭で生活する江戸者であり、若い医師の道有も余裕は無い。
「当然、うちの父もタルモメイトルは買わされたのですよね?」
「一番に」
 千賀道隆に金を借りるのはもう無理そうだった。
「うちの"息子"はどうですか?打診してみましたか?」
「そんな。田沼様にたかるなど」
 さすがの国倫も躊躇した。道有の言う『息子』とは、田沼意次のことだ。田沼が寵愛する矢場の女は聡明で人柄も気高かったが、身分が低い。田沼は大名であり、女をそのまま妾にすることはできない。そこで、道隆が口を効いて道有の養女にして嫁がせた。義父より年上の娘ということだ。そして夫の意次・・・義理の息子は、道有の父より年上だった。道隆が自分のでなく道有の養女にしたのは、衆道である息子に子孫が望めないので、あわよくば田沼血筋の男子を養子に貰えればという目論見だったかもしれない。
「たかるわけではないでしょう。タルモメイトルという、貴重な物を売って差し上げるのです」
 義父という立場からか、道有は強気なことを言う。しかし確かに他に手はなさそうだ。

 千賀家から会見を申し込んで裏から会うのでも、田沼が顔を出したのは夜も遅い五つ(八時)を過ぎていた。
「どうした平賀?」と国倫の顔を覗き込んだ田沼は、国倫の心を見透かしたかのように軽く眉を寄せた。厄介事か?という表情だ。
「阿蘭陀でも珍品で八両すると言われたタルモメイトルを、日本の材料で造りました。五両でお買い求めいただけませんか?」
 普段讃岐弁丸出しの国倫だが、田沼の前では流暢な江戸弁を話した。
 田沼は肩を軽く上げた。目立たぬように、くくっと笑ったのだった。
「諸国の珍品をこの田沼に差し出す者は多いが。買えと言ったのは平賀が初めてだ」
「も、申し訳ないです。道有に唆(そそのか)されましたが、確かに他にもう頼れる人がおりません。金が要るのです」
 それを聞くと田沼は、今度は声をたてて笑った。
「カピタンからよんすとんを買った旨、聞き及んでおる」
 田沼は懐紙に包んだ小判を差し出した。
「ありがとうございます」
「で、タルモメイトルは役に立つものなのか?暑い寒いなどは、この目盛りを見ずともわかりそうなものだが」
「おそれながら申し上げます。田沼様は、十日前の暖かさと今日の暖かさと、どちらが暖かであるかわかりますか?」
「・・・?」
「肌で感じる暖かさなど曖昧です。着る物や動く量で変わります。食事をした後には誰でも暑くなりますが、体を冷やす食べ物も有ります。人によっても暑がりも寒がりもおります。例えば、作物を作る為には、人の主観に左右されない数字の積み重ねが必要と思います」
 かつて国倫も、薬園で日誌を付けるのに「暑い」「やや暑い」などという曖昧な記述をするしかなかった。
「熟練した小作人の勘ではなく。資料の積み重ねによって、どの農夫でもよりよい作物が作れるようになります。また、天気を予測するにも役立つと思いますが」
「そういうものを、富豪の医師や商人に売るか」
「・・・。一般化すればの話です。どうせまだ、見せびらかして自慢して終わりって品物ですから」
 田沼はそれを聞いて、嬉しそうにまたくすりと笑った。国倫は自分でも生意気な人間だと思うが、どうもこの物言いを田沼が気に入っているとしか思えず、それが不思議だった。
「ところで金山のことなのですが・・・」
「駄目か?」
「・・・はい。そのようです。金脈に当たらないのではなく、もう金は『無い』ようです」
「そろそろ、閉山にするか」
「実は、ここは鉄が出ます」
「鉄、か」
「今はわしには借金も有り、何もできません。ですが、人手に渡すのは損と思うちょります。そして、理兵衛殿の話では、出るは出るのだが、かなり本気で掘らぬと無理じゃそうです」
 話に夢中になり早口になった国倫の言葉に、讃岐弁が混じる。
「わかった。覚えておこう。
 さて。会見はこれで打ち止めでよいか?よんすとんの代金はこの五両で足りるのか?」
 国倫は頷いた。さすがに夜具まで質に入れたことは口にしない。だが、心を読める田沼には筒抜けだった。そこまでして蘭書に固執する平賀に、田沼は半ば呆れ、半分は感動を覚えていたのだった。

 こうして国倫は高価な動物図譜を入手する。平賀宅にあるこの本を見る為に、さらにまた学者や絵師が集まることになった。
 平賀サロンは勢いを増して拡大して行った。



第34章へつづく

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