★ 私儀、甚だ多用にて ★

第三十八章

★ 1 ★

 夏の初めには、また中津川の幸島家へと籠もった。
 表向きは金山の閉山作業で出かけたが、実質は、岩田三郎兵衛と鉄山開発の打合せだった。
 候補地を二人で実際に少し削って、岩盤を検証する。一カ月も歩き廻り、その中からふさわしい土地を選んだ。赤岩峠の南、小倉沢付近に当たりを付ける。剥き出しの岩が濃い赤紫に染まるのは、鉄が多く有る証だった。坑夫の宿舎建設に向く平地も有り、源内が拠点とする幸島家ともそう遠くない。
 幕府への届けも出し、来年には検分に来てくれることと思う。金より鉄の方が現実的だ。出ないということは無い。
問題は、鉄の質と、精製の方法だろう。

 今年から源内付になった幸島家の女中は、愛想のない年増女だった。無駄話はせず、余計な質問もしない。幸島家の女中達が「江戸から来た学者様」に興味津々だというのが本当ならば、今回も主人はいい人選をしてくれたのだと思う。国倫が夜に書き物をしていると、そっと茶を置いていく。気付いて振り向くと、一礼して去る。
 庄二郎が江戸から荷物を持ち帰る際には、必ず平賀宅に届いた書簡も確認してくれた。今回、大坂からのものがあった。戸田旭山の弟子からで、師匠が亡くなったとの知らせだった。
 長崎屋で幸左衛門と話した時にも、世話になった西善三郎が没したことを聞いた。師や知人の訃報が届く年齢になった。もう自分も人生を折り返していることを意識する。
 体が弱いという玄白が、よく『私はいつ死ぬかわかりませんし』と言っていたのを、急に、思い出した。

 三月の仲違いから、結局一度も接する事なく秩父へと来た。
 彼と仲が良かった鳩渓の嘆きは大きかった。事あるごとに国倫を罵倒し、嫌味を言い、泣き言を言った。
 とにかくもう一度会って、心から詫びを言おう。自分は許してもらえずとも、鳩渓とは話をしてもらえるように。

 秋になり、国倫は江戸に戻った。荷が多いので、庄二郎も江戸での買物のついでに運び手となってくれた。
「おや、先生。遠回りになりますが?」
 神田の家へ向かうのに、辻ひとつずらして日本橋を通る道を選んだ。
「ちいと、歩きたいけん」と言い訳する。
 玄白へは、帰って旅の荷物を置いたら、直ぐに謝罪へ行こうと決めていた。だが、帰り道にも何となしに、玄白の医院の前を通って様子を覗こうと思った。
「・・・えっ?」
 医院の戸には外から板が打ちつけられ、借家の貼り紙が貼られていた。貼られてもう十日二十日はたっているようで、紙は日焼けて黄ばみ、雨にも遭ったのか墨は滲んで文字の線が流れ出した跡が有った。
「・・・。」
 家屋が残っているので火事ではないだろう。玄白の身になにかあったのか?
「庄二郎、すまんがわしの荷物も持って、家へ運んでおいとってくれんか?」
「え、それはいいですけど。先生は?」
「ちょっと急いで寄るところが出来たけん」
 大風呂敷に包んで背負った行李を降ろし、庄二郎の「私は、ご帰宅を待たずに帰りますよ」の言葉もろくに聞かずに、田村邸へと駈け出した。同じ小浜藩の純亭がいれば何かわかるだろう。いなくても、田村一門の誰かが知っている可能性もある。

 果たして純亭は田村邸に居て、何か書き物をしているところだった。純亭だけでなく数人の門人がいたが、国倫は挨拶もそこそこに、純亭の袖を強く引っ張って廊下へと連れ出した。
「な、なんですか、源内さん。着物が切れてしまいますよぅ。江戸へお帰りになってたんですね」
「杉田医院が無くなっておったが。どうなっておるんじゃ?」
「え?・・・ああ、そうか。玄白さん、医院を閉めたんですね」
 医院の件は純亭も初耳の様子だった。
「ずっと臥せっていたお父様が亡くなられて。跡を継がれ、藩医として新大橋の中屋敷へ転居されました。もう町医師の仕事もできないので、医院もたたんだのでしょうね」
「お父上が。・・・お気の毒なことじゃ。じゃが、玄白さんに何かあったと違ごうてよかった」
「ああ、『草葉の影』ですか?」と純亭は笑った。
「源内さんともあろう人が、あんなの間に受けてたんですか?私は子供の頃から聞かされてますからね。あの人は絶対長生きしますよ」
 国倫の肩の力が抜けた。そしてすぐに、純亭にとんだ間抜けのような言い方をされて腹もたった。
「帰るけん」
「えっ。あれえ。ただそれだけの為に来たんですかぁ?」
 純亭にそう言われて、さらにむかついたが、秩父からの旅で疲れていたこともあり、返事もせずに立ち去り、家へと向かった。

 小浜藩の藩邸に越したということは、近くに来たフリをして気安く訪ねるなどは無理となった。門で所属と名前を訊ねられ、名と時刻を控えられ。玄白に会う前に「どのようなご用件で」と聞かれる。門番の役人に「土下座をしに」と告げるわけにはいくまい。
 さらに玄白が遠くなった。

 平賀宅へ着くと、庄二郎が先に荷を解くなどの作業は済ませてくれていた。江戸に戻る事は友人たちに告げていたので、座敷には数人が集まっていた。町で姿を見かけた誰かが「源内さんが江戸に戻ったよ」と別の誰かに告げ、噂を聞いてやって来た友もいた。
 彼らからの情報では、国倫が江戸を留守にしていた間に、師事した国学者の賀茂真淵が没し、最初の長崎屋入りに協力してくれた青木昆陽も亡くなっていた。
 高齢だったとは言え、尊敬する人々の相次ぐ死に国倫は茫然と立ち尽くす。
 自分も四十二歳になった。折り返しどころでは無い。次は自分の番かもしれない。時間はそう残されてはいないかもしれない。
『わしが本当にしたいことは、何じゃ?』
 指先が冷たく凍えてゆく。

 ただし、明るい知らせもあった
 田沼様が老中格にご出世なされたとのことだ。ますます力をつけ、国倫のような者には良い時代が来るように思えた。少なくとも、図譜に阿蘭陀語表記を付けて出版しても発禁にはならないだろう。
『図譜の出版・・・』
 まだ江戸へ出てそうたたぬ頃、藍水のどどねうすを純亭と捲り、これを翻訳できたらと二人でため息をついた。どどねうすのような本を作りたいと『物類品隲』を刊行した。だが、まだまだ及ばぬ。
 桂川邸からの帰りに玄白や純亭と熱く語ったことを、懐かしく思い出す。もっと阿蘭陀の学問を学びたい。阿蘭陀の本草、阿蘭陀の医術、阿蘭陀の器械(からくり)。桂川家には多くの蘭書が有り、あれがすらすら読めたらどんなにいいだろうと、三人ともきりきりと切なく、そして甘い想いで一杯になったものだ。
 壮大な図譜を刊行するとしたら、金がいる。『物類品隲』は頼恭に出してもらった本だが、それよりも更に金がかかるだろう。その為には稼がなくてはならず、金山だの鉄山だの、戯作だの浄瑠璃だのと、どんどん翻訳から遠のいていく。

 桂川甫周が近々御典医として本丸に上がるというのも、明るい話題に入るだろう。
「薬品会で初めて甫三に会うた時に、手を繋いでいた童子(わらし)がのう。わしが歳を取る筈じゃけん」
「うわっ、その言い方が何より年寄りくさいです」
「黙れ。そん時、おんしはわしの膝に粗相したんじゃ」
「・・・。もう何十遍も聞きましたよ(うんざり)」
 元服してからお漏らしの話を聞かされるのは嫌なものだ。次男の友吉も十六歳になり、森島中良という大人の名になった。『桂川』というのは医者家系としての名字であり、跡を継がぬ中良は本名の森島姓を名乗った。立場が自由なせいか、最近は時々平賀宅へ遊びに来る。
 優等生然とした美形の兄に比べ、顔立ちはよく似るものの、中良はくるくるとよく動く瞳の元気な少年だ。赤子の時のやんちゃさそのままに大きくなったようだ。
「わしはそんなに言っとらんぞ?」
「父と兄から死ぬほど聞かされましたから」
 座敷にいる者らもつい笑った。中良は快活で元気で、まだ子供っぽさが残って可愛らしい。
 衆道の者も多いこの場で遊ぶのを、よく甫三が許可したものだと思う。
『長男への護りは堅かったがのう』
 自分も衆道のくせに、国倫は、中良を狙う助平共を牽制して、悪さをさせぬよう気を配らねばならなかった。こういうところが、分別くさくなり、歳を取ったと言われる所以かもしれない。

★ 2 ★

 翌年、明和七年。今までは上方の人気演目を上演していた江戸の浄瑠璃が、初めて新作を掲げる。外記座の正月公演は、江戸の地名が題名にも織り込まれた『神霊矢口渡』。舞台が江戸なら、セリフも初の江戸言葉だという。福内鬼外という新人脚本家のデビュー作だ。
 この人を食ったペンネームの人物が誰なのか、年末に撒かれた引き札を見た江戸の者達はよく知っていた。本を読む者も読まぬ者も、江戸で人気の戯作者・風来山人の名を知らぬ者はいない。あの河童先生が書いたものだ、つまらないわけがない。芝居好きたちの期待も高まる。
 茶屋経由で取る桟敷席は師走の初旬には売り切れ、土間や切り落とし席も初日の夜中から列ができた。人出を見越して物売りも集まり、寒さの中で朝の開幕を待つ人々は蕎麦や熱燗で暖をとる。この時期なら辺りがまだぼんやり暗いうちに木戸が開く。客たちは凍えた爪先で足踏みしながら、背を屈めて次々と小屋へ飲み込まれていった。

 知らせの拍子木。替名(役名)の読み立て。幕開いてより更にどよみ。花道の出場(出場所)、手打ちの祝儀、下り(上方から来た)役者の謁見(めみ)えには、披露目の取り成し(仲介人)ひいきを願い、座附きの口上、玉を連らぬ。
・・・堺町の外記座でも『根無し草後編』に有ったような光景が繰り広げられていた。
 諸見物の心々、響きの声に応ずるがごとく、りきめばりきみ、泣けば泣き、私(ひそか)に感じ顕(あらわ)に誉め。はずみの掛け声、人並のヤンヤ、鼻毛延び涎(よだれ)ながる。しっぽりの濡れ事には、女中(奥女中)の上気、耳を熱がり、老女も昔に遷らまほしと思う。

『神霊矢口渡』は、渡守・頓兵衛宅に一夜の宿を求めて、新田義峯(モデルは新田義宗。新田神社に祀られた義興の弟である)と妻のうてなが訪れるところから始まる。二人は追っ手を逃れてきた。頓兵衛の娘・お舟は義峯に一目惚れするが、彼が新田の落ち武者と知る。父は義興を陥れて賞金を手に入れており、自分は仇の娘だった。だが、かなわぬ恋と知りながら、追手の足利に味方する父を裏切って、命をかけて二人を逃した。頓兵衛は娘のお舟を斬り捨て後を追うが、天から飛んできた新田家重宝の矢(水破兵破)が胸を貫く、という物語だ。
 義峯を捉えた知らせとして鳴らす太鼓、これを鳴らせば追っ手は欺かれて戻る筈だ。お舟は瀕死の体で梯子に昇り、太鼓を鳴らして息絶える。このシーンでは女たちのすすり泣きが聞こえた。
 戯作では奇抜な物語で楽しませた風来山人だが、文吾(二代目吉田冠子)と相談し、王道の勧善懲悪と悲恋の物語を作り上げた。
「意外やなあ。おなごの心、ようわかっとるんで驚きましたわ。女のお客はん、きっと泣きよりますよ」
 文吾にからかわれたつもりでいた国倫だが、桟敷で見下ろすと実際に客は泣いている。客達は、笑わそうとした場面では笑い声をたて、怒らそうとした場面では眉をつり上げ、矢が刺さるクライマックスでは驚きの声を挙げた。
 国倫は鳥肌がたった。自分の筆が、これだけ大勢の心を自由に揺り動かしているのかと驚いた。芝居の作り手側になって初めて味わった感激だった。戯作では、面白かったと告げられる事はあっても、読み手の反応はこれほどには伝わって来ない。

 この浄瑠璃は初日から大入りで、大評判になった。上方言葉でなく、江戸言葉であることが特に好評だった。耳に慣れた生きた言葉に感情移入する者も多く、江戸弁のテンポの良さも彼らの好みだったようだ。
 ひと月たっても、客は減るどころか口コミで益々増え、ここ数年なかったような大当たりとなった。やがて福内鬼外に別の座から執筆依頼が来た。肥前座は外記座より大所帯で小屋も大きい。
 芝居小屋に棲むのは菩薩か閻魔か。国倫も、この魔に魅入られそうだった。やみつきになりそうだ。

 文士や絵師の友人だけでなく、学者友達までが芝居を見てくれたのは、嬉しい事だった。
 愛妻家の甫三は夫婦で訪れたそうだし、藍水もお内儀に話題の芝居を見たいとせがまれて一緒に出かけたと聞く。
「私も見ました!面白かったです」
 純亭もはしゃぐ。最近、彼も平賀宅で文士らと混じるようになった。いつも一緒にいた玄白がずっと屋敷勤めなので、遊び相手がなく退屈なのかもしれない。
「純亭も奥方様とご覧じゃったか?」
「いえ。妻は赤子の世話が忙しいので。玄白さんを誘いましたが、あのひとは絶対に悪所へは付き合ってくれません」
「・・・。」
 玄白は見てくれてはいないのか。遊里も芝居小屋も悪所と呼ばれ、堅物らからは忌み嫌われた。確かに玄白も悪所を嫌っていたが。友が書いた芝居くらい、見物してもよさそうなものを。・・・やはりもう、友と思っていないのだろうか。
「あーら、純ちゃん、野郎一人で小屋に行ったのかい?お寂しいことだねえ」
 また裏庭を抜けて来た春信は、窓から身を乗り出して桟に肘を付く。
「そういう春信さんだって。あなたは独り身でしょう」
「アタシは弟子をみーんな引き連れて、大勢で桟敷で宴会しながら見たわよん」
 座敷に居た峻がすかさず「先生はお酒が過ぎて、お舟さんが太鼓を叩く場面で舟を漕いでいらっしゃいました」と口を挟んだ。
「ふんっ。でもちゃんと見てたわよっ」
 前からそう色白ではなかった春信だが、陽に当たっている筈もないのに妙に肌が鉛色だった。以前、健康に留意するよう促したが、あれから何も改善されてないように見えた。
「おんし、相変わらず顔色が悪いぞ。
 ちょうど医者もいる。純亭。ちょっと春信を・・・」
「あ、アタシ、仕事があるからさっ!」
 春信の医者嫌いには理由があるのかもしれない。彼はまた子猫のように裏庭の木々を抜けて帰って行った。

 春が来て長崎屋の季節がやって来た。だが、国倫には今年はつまらない年だった。大通詞は幸左衛門ではなかったし、食指の動く蘭書も無かった。必要な図譜は買い尽くしたのだと思う。座敷の隅に積まれた本より、国倫が持つ図譜の方が優れている風に見えた。もう阿蘭陀の図譜は購入の必要を感じなかった。あとは、手持ちの蘭書を使って日本で他になかったような図譜を作り上げることだ。
 その為には必要な本があった。図譜ではなく、阿蘭陀の絵画や挿絵の手法について書かれた書だ。
 蘭書の凄さはそのまま挿絵の凄さだった。まるでそこに有るように、紙に写し取ってある。影の付け方で、動物の胴体にも植物の茎にも厚みを感じる。そして驚くほど細い線で刷ってあった。これらの手法を記した本が欲しいと思った。
 今年の大通詞・楢林重兵衛に告げると、長崎にならそのような本は幾冊かは有ると言う。来年の参府の際、カピタンに持って来るよう伝えようと約束してくれた。

 国倫とは対照的に、蘭書の山に前のめりになって、何冊かをお買い上げモードで真剣閲覧している男がいた。前野良沢だった。彼は蘭書は阿蘭陀語の勉強に使用するとのことで、内容に関してはあまり考慮せず選び、汚れや切れたページを見つけてはカピタンに値切りまくっていた。
 今年は、玄白は顔を出さなかった。藩医の仕事が忙しいのか。それとも国倫と会うのを避けたのか。
 去年幸左衛門が言った通り、何冊かの医学書も有った。医師達は争ってページを捲ってみたが、誰も購入に至らなかった。阿蘭陀語が読めないのだから、大金を出して買っても仕方ないのだ。もっと図譜が多い本でないと、日本の学者には無理だろうに。阿蘭陀人も、考えて持ってくればいいものを。
 純亭もため息をつく。「私が、阿蘭陀語がすらすら読めればなぁ」と、阿蘭陀語でぎっしりページが埋まる本を眺めながら。
『阿蘭陀の本が訳せたらねえ。どんな有意義なことが書いてあるんでしょうか』
 かつて、甫三の屋敷の帰り、夜道に響いた玄白の声が、耳によみがえった。

★ 3 ★

 皐月の昼下がり、珍しく平賀宅は国倫一人だった。昼のひどい雷雨に、皆が外出を諦めたのかもしれない。梅雨入りの標の雷だったろうか。あの後も雨は降ったり止んだりで。また蒸し暑い季節がやってくるのか。
 誰もいないのを幸いに、国倫は二階でなく下の座敷で書き物をしていた。秋にかかる浄瑠璃の脚本『源氏大草紙』の追い込みだ。原稿はほぼ完成していて、あとは細かい訂正作業だけだった。人気のある義経を主人公に、彼が蝦夷へ生き延びたという伝説を下敷きにした物語だった。
『皆、ひいきの人物には、生き延びて欲しいと願うものらしいな』と、李山が内で呟く。皮肉っぽいニュアンスが込められていた。義経は、さらに蒙古へ渡ったという説まで有る。
『死んでこんな伝説を作り上げるくらいなら、生きているうちに助けてやればいいものを』
 李山は特に義経に思い入れがある風でもなく、世間ってものが嫌いなだけだ。義経の蝦夷伝説は、義経を惜しく思う人々のあかしだ。そして、義経を死なせてしまった『時代』に、自分ら庶民もどこかで繋がっていたという負い目の現れだったろう。

 窓の雨戸を叩く音がする。ここから来るのは猫か春信かだ。慌てて開けて、「すまんのう。雨じゃったから、閉めっぱなしじゃ」と言い訳した。
「凄い雷さまだったものねえ。ま、アタシは嫌いじゃないけどね」
 雷鳴は、恐怖も伴うから余計に空に映える。このいかずちの一突きが、大木をも斬り裂くかもしれない。人を撃ち、黒焦げにするかもしれない。そんな畏れが稲妻をさらに美しく見せる。・・・綺麗なものは何でも好きな男なのだ。
 せまい裏庭を抜けて来るので、雨の後の木の葉に触れたのか、春信の髪や肩に水滴が丸く留まっていた。国倫が手ぬぐいで払いのけてやった。
 珍しく、振袖を着ている。売れっ子になってからは、巨川が作ってくれた着物を皮切りにずっと誂えた男の着物を着ていたのだが。
 国倫が着物に視線を止めているのに気付いたのか、「ああ、これ?お節句は過ぎちゃったけど、久しぶりに着てみたくなってね」と笑う。深い青紫の菖蒲が描かれている。
 あの頃金が無くて、古着を買って着るにも、少年の振袖か女の着物しか体に合わないと華やかな色柄を着たのは、単なる言い訳だったろう。
「書き物をしてたの?浄瑠璃のホン? ・・・邪魔しちゃ悪いわね」と帰る素振りだったので「もうほぼ仕舞いじゃ」と肩に触れて引き止める。
「今度は判官の話じゃよ。義経が平泉で果てんで」
「おっと、待ってよ。しぃぃ」と、国倫の唇に、春信は細い人差指を押しあてた。
「観る時の楽しみを減らさないで。いつから?八月からだっけ?」
「おう。立秋を過ぎた頃、秋になってからじゃ」
「今からわくわくするわね。どの着物を着て行こうかな。秋の初めなら、撫子柄かしら。紅葉じゃ早いわね」
「・・・おんし、女物を着て来るんかぁ?」
 春信が男の着物を着ていたのは、巨川が派手な着物を嫌ったからだという噂を弟子から聞いていた。蔭子を連れているようで、きまりが悪いのだろうということだったが。
 そういえば、『神霊矢口渡』も弟子たちと観たと言った。巨川とでなく。
「大久保様とは・・・別れたんか?」
 国倫は率直に訊ねた。
「とっくよ。だってあいつ、うるさいんだもん。
・・・アタシとお仙ちゃんができてるって疑ってさぁ。馬鹿言ってんじゃないわよ。描いた相手全部と寝てたら身がもたないよ。だいたい、お仙ちゃんなんて、娘みたいなもんじゃない」
 お仙は、三大美人に数えられる、谷中・笠森神社の水茶屋の娘だ。浅草寺奥山の楊枝屋「柳屋」のお藤、二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」のお好の二人は色っぽい大人の女だが、お仙は化粧っ気もない清楚な娘で、春信は好んで彼女を描いた。それは春信の画風とお仙の雰囲気が合っていたからだ。
「でも、一番の理由は、アタシの仕事に口出ししたからかなあ。笑い絵を描くなとか、艶本の挿絵を描くなとか、ね。
 そりゃあ、俳句や古典の見立て絵もいいけどさ。それだけじゃつまんないでしょ。花を手折ってやる美少年だって、その子とやることやってるってば」
 人には閨の内も外も有る。春信は『人』を好きで、『人』を描きたいのだ。

 ポツポツと、また雨が降り出した。
「中へ入らんかい。濡れるけん。おんしくらいなら、窓から引き上げちゃるぞ?」
「う〜ん、でも仕事に戻らないと」
「おんし、仕事しすぎじゃ」
 顔色は相変わらず悪く、酒を多く飲む彼は五臓のどこかが悪いのではないかと国倫は疑っていた。だが、診てもらえとあまり言うとうるさがられ、逆効果だろう。
「春信。おんしが今受けている仕事が一段落したら、わしとひと月ほど温泉でも行かんか?」
 言ってしまってから、国倫は頭を巡らす。自分にそんな時間が取れるだろうかと。
鉄山の件で秩父に入るのは温泉の後でもいいだろう。実は既に三作目の依頼も来ていた。いや、大丈夫、湯治の宿で書いてもいい。春信をゆっくり休ませることの方が大事だ。
「いやあねえ、アタシと温泉に行きたいなんて。源内ちゃん、イヤラシイ事、考えてるでしょ」
 雨足が早くなる。春信は、先刻国倫が使って手に有った手ぬぐいを奪い取ると、頭から被った。豆絞りが作る影が、春信の瞳に艶っぽさを加える。庭は雨の匂いがした。
「そりゃあ、おんしのようにいい男と一緒なら、欲も出るかもしれんの」
「よく言うよ」と、春信は長屋の女房が笑うようにケタケタと笑った。
「今のやつが終わるのは来月の頭くらいかなあ」
「六月か。梅雨が明けた頃に出かけまい。ええ季節じゃの」
「そうよねえ。ちょっと羽休めは必要ね」
 雨を防ぐのに手拭いの端を握る両手が、肘まで剥き出しになっていた。目に染みるような白い腕だ。その効果を十分承知するように、春信は流し目で「考えとくわ」と答えた。
 お互い、嫌いで別れたわけではない。春信を援助する巨川に国倫が遠慮した形だった。巨川に心を移した春信には後ろめたさも有るだろうが、国倫が手を伸ばせば、恨みに思っていない気持ちも伝わるだろう。
「じゃあ、仕事が終わったら、連絡するね」
 そう言うと、庭に伸びる枝をうまくよけながら小走りに帰っていった。
「おう。夏になあ」
 国倫はその背に呼びかける。
 そして、春信には夏は来なかった。

 鈴木春信、明和七年六月没。
 仕事中に倒れ、意識が戻らぬままこの世を去った。苦しまなかったのが不幸中の幸いだと、弟子の峻は唇を噛んだ。昏睡しながらも、一言、うわごとのように「あの首の向きを直さなきゃ」と言ったそうだ。

 師は大抵年上であり、高齢の為に覚悟もあったが。今度は友が逝った。
 春信は三つ違いの四十六だ。まだまだ描きたいものがあっただろうに。筆を握ったまま逝ってしまった。
 峻が「あの世でもたくさん描きまくるのでしょうね」と言うのを、国倫は激しい口調で否定した。
「あの世なんぞで、描けるか!」
 死んだら仕舞いじゃ。生きとるうちにやらんで、何とする。

 国倫の中で、図譜を作る決意が固まった。今やらんで、いつやるんじゃ、と。
 春信を逝かせてしまった、怒りにも似た強い後悔が胸を突き上げた。



第39章へつづく

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