★ 私儀、甚だ多用にて ★

第三十九章

★ 1 ★

 日本版どどねうすを刊行する。
 生涯を掛けた仕事になるだろうとゆったりと構えていたが、その『生涯』が、いつぷつりと途切れるかもしれぬ。
春信の死は、国倫に腰を上げさせた。
『阿蘭陀の本を訳せたら』と若き日に熱く語った玄白との疎遠も、決意の強さに拍車をかけた。もうあの日には戻れず、関係は修復できないかもしれない。それでも・・・本草図譜の翻訳へと向かうことで、またあの道へ繋がるような、そんな想いもあった。
 情熱は変わらない。確かに、色々なことに手を出し、随分とまわり道した。だがあの時と同じ道を目指し歩いていると、信じたかった。

 次に通詞が来る来年の三月迄など、待っていられない。翻訳を依頼するにしろ、阿蘭陀語を習って自ら訳すにしろ、膨大な時間がかかるはずだ。
 長崎へ、行こう。
 挿絵は、以前、衆鱗図などを頼んだ三木文柳を考えていた。事前に手紙で依頼し、長崎の往復で小豆島へ寄って細かい指示を出そう。志度へも戻り、桃源や久保桑閑に新たな資金援助を頼もう。手紙で頼むより、会って伝えた方が気持ちも伝わる。実家で商売としていた焼物も、よんすとんの獅子図や世界地図など、面白い図案を脇田舜民に焼かせよう。志度にはもう何年も帰っていない。母にも里与にも会いたかった。婿の権太夫にも、桃源にも。志度の海をもう一度見て来よう。決意すると心ははやる。文柳や桃源に文をしたためようと筆を握るが滑って畳に取り落とす。拾おうと屈むと、今度はコツンと文机に額を打った。
 行くことは決めても、今日すぐに江戸を発つというわけにはいかない。国倫は冷静になって筆を握り直した。
 夏にはまた秩父へ出向かねばならない。鉄山はすぐ取りかかりたいが、その資金を長崎への旅費に回さねば、金は無かった。

共同経営者の岩田へ頭を下げ、長崎行きを告げた。長崎には、鉱山操業や製鉄についての阿蘭陀の書も有るかもしれない。新たな情報を得られる可能性もあった。岩田自身は材木商という家業があり、一年二年操業が遅れる事を承諾してくれた。
「旅費はともかく。あちらでお勉強なさるのですよね?滞在費や書物を買う金は大丈夫なんですかい?」
「・・・。」
 岩田の指摘に国倫は口ごもる。
「故郷に資金援助を頼むつもりじゃけん」長崎でも、鉱物や本草の見立てをして稼いでもいいかと思っていた。正直、資金の面はかなり心細い。
 岩田は、「それでも行こうとする、先生の心意気がいいね」と、大きな口を開けて笑った。材木商というのは、気っぷのいい仕事だ。岩田もそういう男だった。
「おんしにも、援助を頼むことがあるかもしれん。そんときゃ、お願いしますけん」
「任せときなさい!」と、岩田は胸を叩いた。
 たたら製鉄では木炭がたくさん必要であり、たとえ鉄山でたいして儲からなくても、炭焼き業者に材木を売ることで採算が取れる。鉄が出るのか出ないのかという切羽詰まった思い込みは無く、国倫も一緒に仕事をするのに気が楽だった。

 もう一つ、国倫にはやることがあった。幕府から、どんな内容でもいいから長崎行きの名目を受けることだ。
 旅のことだけ言えば、浪人の場合、町人同様に大家に「往来手形」を書いて貰えば済む。だが、あちらで通詞や長崎奉行所に貴重な資料を見せてもらう場合、幕府の権威が必要だった。
 田沼には会うのさえ大変なわけだが、国倫は意外にすんなりと『阿蘭陀本草翻訳御用』を取り付けた。資金援助は不要と申し出たのが、簡単に許可してくれた理由かもしれない。これでだいぶ仕事はやり易くなる。
 国倫がどどねうすを翻訳したからといって、幕府や田沼個人にメリットがあるとは思えなかった。これは、「平賀源内に便宜を計った」ということか。田沼の真意は読めない。平賀に恩を売ったのか、それとも「応援している」という意志表示か。
 それでも、この幕府のお墨付きは、国倫にはありがたかった。

 八月には、二作目の浄瑠璃『源氏大草紙』が開幕した。これもなかなかの好評で、三作目の依頼も来た。肥前座の来年の正月公演ということだ。早急に書き上げて、直しは長崎への道中で執筆して渡す約束で、江戸を発った。
 既に十月になっていた。
 行こうと決めてから二カ月たっていたが、あれだけの量の引き継ぎや準備をこの期間で終えたのは、源内であればこそだった。

 荷を運ぶ人足を雇う余裕もなく、高価な阿蘭陀の図譜を運ぶとなれば人足も信用できず。国倫は大きな図譜を行李で背負って出かけた。
 本はそう重いとは思われなかった。ただただ自分の決意だけが重かった。

 歩みの早い源内は、十一月には大坂に着き、船で小豆島に渡って文柳と図譜の挿絵について打合せをした。
 どどねうす原本の挿絵を示し、又は江戸の絵師に写してもらったよんすとんの獅子なども見せ、このように詳細に描いた絵が欲しいことを告げる。自信が無いと及び腰の文柳に、手法についてはこれから長崎で調べるところで、帰りにはもっと詳しく伝えられるだろうと説得した。試しに、数枚、現地調達できる本草の絵を頼んだ。
 衆鱗図製作の際には、暴漢に襲われても降りずに描き続けた男だ。難しい仕事であっても、文柳ならうまくやるだろう。

 志度へ戻って故郷で正月を迎えることにも惹かれた。が、時間が惜しかった。
 国倫は小豆島から直ぐに大坂へ戻り、船で長崎へと向かった。

 懐かしい港町は昔と変わらず、店屋や旅籠の軒先では唐風・阿蘭陀風の飾りが異国情緒を掻き立てた。雑貨屋や土産物屋には異国の物が並び、その色合いは目に刺さるようだ。潮の香りさえ、江戸とも志度とも違う気がした。
 かつて、全てがここから始まった気がする。
 初心に帰り、また始めよう。一番やりたかったことを。

★ 2 ★

 幸左衛門が仕事より帰る頃に家へ伺おうかと思い(あの奥方と顔を付き合わせて帰りを待つのは御免だった)、以前泊まったのよりだいぶ格が落ちる旅籠へと足を踏み入れる。湯で旅の埃も落としておきたかった。
 値段を聞いて高いので驚いた。最近は長崎は流行りの町で、学者やら幕府の勉強中の役人やらが多く訪れ、全体的に物価が上昇の傾向にあるとのことだ。
 予算の見積もりが甘かったかもしれない。
「なんでも、高松藩の学者がこちらへ遊学なさって。その後江戸で大活躍されたそうでねえ。西の藩では『有能そうな新人は長崎へやれ』、江戸の学者も『長崎へ行け』という風潮だそうですよ」
 女中が茶を置いて笑ってみせた。
「・・・。」
 自分のせいで、長崎の物価が上がってしまったというわけか。

 暮れ六つになる前に幸左衛門宅を訪ねた。
 居候させてもらった家でもあり、場所ははっきりと覚えていた。だが、その家を見て国倫は道を間違えたかと思った。
 門の屋根は消え、石壁の門柱の上には白く丸い飾りが付いていた。阿蘭陀風だ。
狭い庭には所々に西洋の石像が置かれた。松や桜の大木の隙間に、羽根の生えた子供の像や、布を被った女の像が点在する。二階の窓には障子の桟は見えず、阿蘭陀の挿絵で見た屋敷のように、大きな布がひらひらと揺れていた。色は深い緑で地味だが、赤や青の大きな花の柄が織り込まれているのが見えた。
 応対に出て来た奥方は国倫を覚えていて、「ご立派になられて」とお愛想を言った。奥方の着物が特に華美になった様子は無いが、首には数珠を長くしたような装飾品をぶら下げていた。
 幸左衛門は帰宅しているそうで、中へ通された。

 かつて廊下の両側に広がっていた襖は、透かし飾りの有る木製の戸に替えられていた。奥方が手に持つ手燭は、これは挿絵で見たことのある西洋のものだ。
 二階へと案内された。かつて座敷だった部屋は、畳が取り去られて柔らかい布が敷かれ、国倫が足を乗せると足袋が沈み込んだ。幸左衛門は、出島でも見た背の高い大きな布団のようなものに、ゆったりと座っていた。細長い机に茶器が置かれる。
「いらっしゃい。長旅、お疲れではないですか?」
 幸左衛門は江戸で会った時と変わらず、礼儀正しく丁寧な態度だ。服装もありふれた羽織袴で、奇異なところはない。蘭癖の富豪の中には狂ったように西洋の服装を取り入れる者もいると聞くが、幸左衛門は正気に見えた。
「驚いた。まるで阿蘭陀屋敷じゃのう」
「阿蘭陀人に色々と貰うんですよ。酒や食べ物を用立ててやると、お礼をくれる。金でやりとりをしてはならんので、お互い贈り物の扱いです。蔵に仕舞い込むくらいなら、こうして飾って楽しんでしまおうと思って。
 勉強に来た学者さんはたいていうちへ来ますから、喜んで貰えますしね」
 なるほどと、国倫は納得した。長崎に学びに来た者へのサービスなのだ。それなら、幸左衛門らしい。彼はどちらかと言えば生真面目な、遊びの少ない男だ。
 国倫が宣伝したせいでもないだろうが、知人もだいぶ長崎へ学びに来た。師である藍水を始め、長子の西湖、久保桑閑の息子の久安。そういえば、あの前野良沢も最近まで居たはずである。
 窓辺に置かれた天体望遠鏡。棚の上の地球儀。顕微鏡。自鳴鐘(チャイム付時計)。折りたたみ式日時計。写真鏡。ギヤマンの花器。壁にかかる海図。本棚に並ぶ洋書。蘭癖でなくても、ため息が出る収集品だ。自分が富豪なら全部買い取るのにと思う。

「今回の目的は、阿蘭陀絵の本の購入ですか?」
 三月に長崎屋で言った事は、きちんと幸左衛門に伝わったらしい。
「出島で数冊確保してもらっています。明日にでも運んで来ますね。あ、いや、ご自分で出島で選んで貰った方がいいかな」
 明日は長崎奉行所で役人たちに紹介してくれるという。もし許されれば、助手として出島同行も可能だそうだ。
「私の助手の人数も多くなりましたから、出島の検問ではわからないと思います。・・・以前はご不便をかけましたが」
 幸左衛門は掌を顔の前で立てて拝むしぐさをした。遊女や蔭子と混じって出島に潜入させたことを詫びているのだ。
「助手と偽らんでも、わしは今回田沼様の御用で来ているんじゃが、それで出島は入れんかのう?」
「田沼様の?幕府のお仕事でしたか。・・・阿蘭陀絵の研究が?」
「いや。名目は『翻訳御用』・・・どどねうすの翻訳じゃけん」
「えーーーーっ!」
 幸左衛門は一尺ほど腰を浮かした。
「私はやりませんよっ!絶対手伝いませんから!絶対無理!私には無理っ!」
「・・・。」
 最初から、二つ返事で受けて貰えるとは思っていなかった。じっくり説得するつもりだった。しかし、この激しい拒否反応は・・・。
「おんし、試みたんか」
「惨敗ですよぅぅぅ」
 幸左衛門は両手で顔を覆った。
「父がかつて幕府の依頼で、訳す手伝いをしたことは知っていました。なので、父の背中を追う想いで、試みたんです。でも、普段使わない言葉が多すぎるし、本草の知識のない私は、言葉の流れから不明の語句を推測することさえできませんでした。いえ、例え語句全部がわかって段落の直訳ができても、日本語の文として意味が通らず、何のことを言っているのかわからないのです。それでは翻訳になりません。
 もともと、通詞は喋るのが仕事です。読む方は得意ではないのです。それでも、軽い戯作や子供向けの図譜なら何とかなります。どどねうすは本草の専門書です。専門の言葉は私には手に追えませんでした。
 わからない語句は阿蘭陀人達に訊ねました。でも、彼らも本草については殆ど知らない。お手上げでしたよ」
「そんな・・・」
 長崎まで、遠い道のりをやってきた。鉄山もほっぽって来た。それがすべて無駄だったというのか。いや、何年も心で温めてきた仕事、それが、全く無理なことだと否定されたのか。
 国倫は頭から冷や水を浴びせかけられたように、頬が寒さでこわばり、肩も小刻みに震える気がした。歯がかたかたと鳴らぬよう、きつく食いしばる。
 いや。諦めるのはまだ早い。やってみなければ、わからないではないか。
 国倫は、両手で幸左衛門の肩を掴んだ。
「・・・本草学者がここにおるけん。わしがおったら、また話は違って来よう?」
 幸左衛門の植物音痴はよく知っていた。前回の長崎では、幸左衛門が朝顔と夕顔を同じ種類の花だと思い込んで、カピタンに損をさせた事件に出会った。草木の常識さえ知らぬ男だ。彼が自力で植物図鑑を訳すのは難しいだろう。だが、本草学者が口を添えることができれば、結果は違うのではないか?
「だって平賀さん、阿蘭陀語は全然でしょ」
「アベシくらいは読めるわ」と、大通詞の肩を激しく揺する。
「わ。わかりましたよう。まあ、やってみましょう。
 平賀さんは、日本の本草にも外国の本草にも詳しい。内容を理解できる人がいると、だいぶ違うかもしれませんね。
 何とか時間を作ってみますよ」 
 国倫の勢いに圧された形で、承諾した。幸左衛門は物事をはっきり言う男なので、可能性が無いと思えば受けないだろう。
 彼は小振りな借家も紹介してくれた。明日にでもそちらへ移れるよう手配してくれるそうだ。旅籠の宿代が高いので、ありがたいことだった。

 旅館へ戻り、眠る前に行李からどどねうすを取り出す。雨の用心で油紙に厳重に包まれたそれは、油の匂いが微かに移っていた。
 この美少年は誰をも寄せつけず、読み解かれることを拒んで来た。だがきっと、自分に添わせてみせる。国倫は表紙に指を触れた。
 雨音に気付き、窓の外を見上げる。格子から覗く闇に、隣の旅籠の窓が明るく映える。明かりの中を幾筋も雨が走っていた。
 以前長崎に来た時のような、躍るような気持ちは無かった。肩に乗るものは重い。

★ 3 ★

 翌朝再び吉雄家へ出向いた。長崎奉行所へ同行するのだ。
 長崎や京都のような重要な地は、幕府直轄で管理されている。長崎奉行所は幕府の機関であり、幕府の大名二名が奉行を勤めた。現在は新見正栄と夏目信正である。彼らは一年交代で長崎と江戸とで仕事をする。
 今年の八月に江戸から戻った新見に紹介され、支配組頭・下役・調役等にまで紹介された。遠い長崎の地で自分は無名の学者のつもりでいたが、ここは最も江戸に近い地だった。一年おきに江戸へ上る新見は、平賀源内の名をよく知っていた。長崎奉行は老中の配下であり、実質彼らは田沼意次の部下だった。
 田沼の方からも話が通っていたようで、奉行所内の通詞の詰め所への出入り自由、通詞らが管理する蘭書資料などの閲覧も許された。通詞の助手という扱いで、出島への通行も許可された。異例の扱いである。田沼がどどねうすの翻訳を政治的に切望しているとは思えないので、これも単に源内個人への便宜だろう。田沼がたぶん視野に入れている蝦夷開発の際の、鉱物資源調査を期待するのか。いや、正直、田沼には『開国』という野望さえ見え隠れする。自分をどんな駒として利用するつもりかわからないが、とにかく、自分を便利そうな男として評価しているらしい。

 幸左衛門が教えた借家は、長屋の一画の小さな家だが、こざっぱりして感じがよかった。文机や行灯、夜具、数個の食器などは吉雄家から借りた。
 反対に、どどねうすは、吉雄家に預かってもらうことにした。外出する際に長屋に置きっぱなしは心配だ。翻訳作業はどうせ幸左衛門と一緒に吉雄家で行うので、いちいち持参する必要もなくて都合がいい。
 江戸に置いて来た高価な蘭書は、千賀道隆に管理を頼んである。彼の家には蔵があるし、何より、信頼できる友人だった。

 幸左衛門には、出島へ行くより先に、頼んで西善三郎宅へ連れて行ってもらった。亡くなったのは二年も前だが、遺族は、忘れずに線香を上げに来た源内にひどく感謝し、国倫の方が恐縮するくらいであった。
「阿蘭陀のことを学んでらっしゃる学者様なら。もう目ぼしい遺品はあまりありませんが、何か形見にお持ちになりませんか」
 西も、幸左衛門同様、阿蘭陀人達から舶来品をたくさん贈られていた。確かに、形見としてはどうだろうというものばかりが残っていた。欠けた石膏像やレンズの無い顕微鏡。半分しかページの無い子供向の蘭書。悪いが、がらくたばかりで、食指は動かない。部屋に飾る彫刻など貰っても仕方ないし、顕微鏡は「レンズの有る」ものを幸左衛門から安く買えることになっていた。
 茶箱のような大きい箱は、元は赤や緑の華やかな色で塗られていたようだが、塗料も剥げ、木も所々朽ちていた。変わった大きさだが、これは阿蘭陀の物入れなのだろうか。蓋には真ん中に穴が開いている。好奇心に駆られ、蓋をずらして中を覗いた。
 びいどろ瓶の破片と引きちぎれたような紐が散乱する。木製の円盤もぱきりと二つに割れて破片の上に乗る。よく見ると横には、回す為の把手が付いていた。この形状には、覚えがあった。
 真剣に覗き込む国倫に、跡を継いで大通詞となった息子が答える。
「それは、何かのからくりらしいのですが、ええと、父は何と言っていたかな・・・」
「エレキテリセイリティ・・・」
「そうそう!それです!」
 医療器具として、同門の後藤梨春の「紅毛談」にも紹介された器械だった。
「しかし派手に壊れちょるなあ」
『それにしろ、それに』と、李山が珍しく声を上げた。李山はこれをいじってみたいようだ。
「これを頂いていいかのう?」
「壊れてますよ?」
 壊れていないものなど無いと思うのだが。
「直してみたいんじゃよ。西殿への弔いにもなると思うけん」
 国倫はそれを長屋へ持ち帰った。高価なものにも見えず、これは置きっぱなしで平気だろう。

 翌日は、吉雄の弟子として出島へと連れて行ってもらった。 
 商館長は交代して初対面のダニエル・アルメノーになっていたが、医師のイカリアスは三月に江戸で会っていた。
 阿蘭陀流の手を握り合う挨拶を交わし、早速絵画の本を見せてもらった。分厚い図鑑のような本、薄い小冊子、子供向け、色々取り混ぜ5冊ほど用意してくれていた。
 一冊ずつ、丁寧にページを捲る。専門外の本であり、どの本が自分に必要なのか、いまいち選択が難しい。
 今年の商館長は、趣味で絵を描くのだという。
「そりゃあ、ありがたいのう!」
 彼の忠告や意見は、きっと参考になるだろう。
 だが、カピタンの背後で、幸左衛門も医師のイカリアスも『いやいや』と手を振っている。
「・・・?」
「趣味で、描くだけです。彼の描く馬は猫かと思ったし、牡丹の花は林檎かと思いました」
 幸左衛門は、早口の日本語で説明した。
 アルメノーは多趣味で、運動もやるし楽器もたしなむ。芝居を見るのが好きで、出島にいる阿蘭陀人らを動員して劇を上演したりもするそうだ。阿蘭陀人による音楽会もよく開かれるとのこと。
 幸左衛門が小声で『阿蘭陀人達は、出島に押し込められて、退屈しているので』と囁いた。
「絵の本の方は、江戸へ戻るまでに決めればいいのですし、ゆっくりご覧になって選ぶといいですよ」
 自分の売り物でもないくせに、幸左衛門はそんな風にも言った。

 二度目の長崎での生活が始まった。
 昼は、幸左衛門が出島へ向く時は連れ添い、彼が仕事をする間に絵画の本を物色した。それ以外の時は、幸左衛門に紹介された薬問屋で本草の鑑定をして働いたり、街の輸入雑貨屋で阿蘭陀産の絵の具を調べたり。日本に絵の具として代用できる鉱物は無いかと街の外へ出て土を調べたりもした。だがまあ、昼はのんびりと過ごしていた。夜からは、吉雄宅でどどねうすの翻訳作業を行う。こちらは神経を集中して仕事をした。
 長崎の物価は江戸より高い。だが、食事はたいてい吉雄家でいただき、家には寝に帰るだけなので、生活費はあまりかからない。外で一杯という時も、幸左衛門か通詞の誰かが奢ってくれた。
 江戸の享楽の中で、遊ぶように学ぶ日々も決して嫌いではなかったが。ここで真面目に暮らしていると、江戸での騒ぎは夢だったような気さえしてきた。あれは、いつも酔っぱらって夢うつつで、値に足が着いていないような毎日だった。
 素面で日々を過ごすと、見上げる空は高く青く見えた。




第40章へつづく

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