★ 私儀、甚だ多用にて ★
第四十五章
★ 1 ★
八月の初めに阿仁銅山に到着。李山らは館岡の宿を拠点にしつつ、採取された銅を検分する。院内銀山の銀の質が悪かったのは銅が多く含まれていたからだが、そう遠い場所でない阿仁の銅山には、銀が含まれていた。李山が予想した通りだった。
秋田には、銀と銅をうまく分離する技術が無かった。李山は銅の質を見て、「南蛮吹き」という手法が一番適すだろうと吉田理兵衛に持ちかけ、このやり方を伝授した。この手法は李山が工夫したわけでなく、大坂方面を渡って蓄えた知識の中に有ったものだ。
銅を鉛と共に溶かし、やがて少しずつに冷却する。鉛がまだ融解しているが、銅は固化する温度に保つ。銅は次第に結晶化して純度の高い固体となって上層に浮かび、金銀を溶かし込んだ鉛が下層に沈む。この融解した状態の鉛を取り出して、骨灰皿の上で空気(酸素)を送り込むと、骨灰の成分に溶けた鉛が融合し、銀だけが皿の上に粒状で残る。純度の高い銀を取り出すことができる。上層の銅も、銀という不純物が覗かれ、純度が高くなるのだ。まさに久保田藩にとっては一石二鳥の手法だった。
李山は一カ月の間に、秋田藩の役人達に南蛮吹きを指導し、自ら精錬場で人足らにも教えた。と言っても、現場へ行ったのは国倫だった。
それまでも、役人への説明でも李山が腕組みしたまま口だけで説明するのを、国倫が何かと口出しするようになっていた。『ちっとおんしがやってみせてやればいいもんを』『見本を見せてやりんしゃい』などと、李山が体を動かさないことに批判がましいことを言う。李山は肉体労働は嫌いなのだ。手が汚れるのも汗が流れるのも、気持ちが悪いものだ。
「面倒臭いから、おまえが行け」
李山は片手を舵から離し、人差指だけを動かして国倫を呼んだ。吹き子達への指導をしたくてたまらなかった国倫は、待ってましたとばかりに飛び上がった。
『そげまで言うなら、やったってもええがね』
現金なやつだ。かすかに笑った李山は、もう片方の舵も国倫に委ね、体を動かすことを許した。椿の羅宇が割れた夜から、三カ月が経っていた。
院内・角館・阿仁と廻るうちに、国倫はだいぶ元気になっていた。山歩きの中で、李山が珍しい本草や石を見つけて採取するのを、彼も一緒に楽しんでいるのがわかった。ここの事業は必ず成功するだろう。国倫もこれに関われば、だいぶ自信を回復するに違いない。
国倫は精錬場ではたすき掛けをして合吹や灰吹の現場にも立ち会った。南蛮吹き現場では、温度調整を知らせる為に、炎の色による温度の目安を教えた。詳細に記録する役人も羽織を脱いで汗をかく現場で、国倫は着物を肩抜きした人夫らに手順を覚えさせた。自らヒキタシを握って、彼らと窯を掻き回してもみた。
国倫に舵を渡したのは正解だったろう。院内の銀山では、人夫達は李山を疑わしそうな目で遠巻きに見ていた。今は国倫は彼らに肩を叩かれ、笑いながら冗談を言い合う。国倫の汗を見て彼らは自分が使っていた手拭いを貸し、手を止めて緩んだたすきを結び直してやる。ここでの作業は長くなる。現場との人間関係を作れる国倫は、水を得た魚だった。
『これから、現場はおまえに任せる』
国倫には、李山の呟きも聞こえぬようだ。夢中で人夫らの指導に声を枯らす。
窯や炉の規模、耐熱を考えると、今の設備では心細い。国倫は先へ先へと考えを巡らす。また、阿仁では水の量も足りない。一応阿仁川が近くに流れるが、将来水車が動力とされる可能性も見越し、別の場所に精錬所を建設した方がいいだろうと思えた。
阿仁から掘り出した銅を舟で運べる土地がよい。水車のこともあり川の側がいいが、阿仁川続きであることも条件だ。作業場だけなので銅山に近い必要はなく、建物は平地の方が建てやすい。
精錬場など藩が許可するかもわからぬものを、国倫の想いはどこまでも先走る。わくわくして高揚し、側にいる藩の平井ら役人達にも興奮してまくし立てる。役人達も、銅から銀が沸く場面に遭遇し、炉の熱に浮かされるように興奮している。皆で酔っぱらったように、声高に騒がしくしながら館岡の宿へ帰ると、下女は困惑と苦笑の混じった顔で国倫らを迎えた。近所迷惑だとたしなめられる程だった。
国倫が部屋を開けると、畳に数枚の絵が躍り、はっと興奮から醒めた。李山の指導の元に、武助が今日勉強したものだ。武助は背を丸めて描いていたが、手を停めて「今、お帰りでがんしたか」と振り仰いだ。
「風邪さお召しだが?顔が赤いだで」
国倫の顔は炉焼けして赤く火照る。
「いたって元気じゃけん。どこまで描きよった?」
どかりと国倫が畳に座ると袴の裾で固まった泥がぼろぼろと落ちた。隣で武助は露骨に顔をしかめる。
「汚ねえだで。泥を落として来てたんせ」
武助のきつい言い方にむっとした国倫だが、確かにこれでは宿の者にも叱られる。泥をはたこうと縁側への障子を開けると、「きゃあ」「わあ」と若い女達の声と、島田や桃割が茂みに隠れるのが見えた。
「・・・。」
武助を覗きに来た娘達だった。近所に住む農家の娘や商家の下働きが、美形の武助の噂を聞いて一目見ようとこうして覗いているのだ。
『おっさんでねが?』『噂ほどでねよ』
囁き声も聞こえた。
「おっさんで悪かったのう!わしはブスケでないけん!」
国倫はますます機嫌を悪くし、縁側の端でぱたぱたと乱暴に袴から泥を払った。娘達は「きゃー、見づがっだで」と笑いさざめきながら逃げて行く。
「ほれ、これでええじゃろ」と国倫が座ると、今度は「汗くさいがんす」と文句を言う。
「おんしは、女くさいけん」
負けずに国倫も言い返す。
「どうせ、わしらが銅山で汗かいておった時、また下働きのおなごと悪さしとったんじゃろ。三枚しか描けておらんのが証拠じゃ」
どうも国倫と武助は相性が悪いようだ。李山は苦笑しながら『代われ』と手を差し出す。
「今日のは少し難しかったか」
体の主が代り、李山が半紙を掲げて目を細める。遠近法のパースがかなり歪んでいる。武助は口を尖らして黙る。巧く描けない苛立ちから、女と遊んだのだろう。
「阿蘭陀の背景画は、算術の素養が必要だからな」
「勉強は嫌いでがんす」
武助は算術は苦手なようだ。いや、算術どころか、読み書きも苦手だ。四男ということもあり、仕官の為に必死に勉強しても仕方なかったのだ。子供の頃から絵ばかり描いて過ごし、それが許されたのだろう。
「こんなことなら、ライレッセを持ってくればよかったな。蘭画の手法を書いた蘭書で、俺は円を球に見せる影のこともその本で見た。
まさか秋田でこんな達者な奴に会えると思わなかったのでな。江戸へ置いて来てしまった」
「蘭画の手法の本だすが。・・・その本、せんせが持っておられっしょ?」
「ああ。武助が江戸へ来れば、見せてやれるんだがなあ」
そう言ってちらりと武助を盗み見る。武助は唇を噛んで、畳に散った絵を集め始めた。彼が江戸へ出たくなっているのは明らかだった。
平井喜六郎は、阿仁鉱山とは別の場所に精錬所を造る源内案に大乗り気で(銅山で源内が試作してみせた南蛮吹きの効果だ)、久保田へと意見書を提出した。自分でも候補地を幾つか絞っているらしく、合川・二ツ井・藤里などの李山の知らぬ地名が口から洩れた。それらの土地を、李山も足で確かめねばならぬだろう。また、険しい山道を行くことになる。鳩渓が『その時はわたしに歩かせてください』とアピールした。国倫が復帰したので、自分もと張り切っているようだ。鳩渓も、国倫が元気を取り戻したのが嬉しそうだった。
平井は概ね源内に好意的で、意見や希望は通る事が多かった。だが、それとなく尋ねた武助の江戸行きは「無理がんしょ」と即答で斬られた。
「武助は殿のお気に入りの絵師だす。殿が手放さねス。参府に連れることぐれはできるかもしんねが。平賀せんせが連れで帰るんは無理でがんす」
藩主の佐竹義敦は曙山という画号も持つ、かなりの絵師だという。武助に絵を習う態度も真剣そのもので、決して藩主のお絵描きごっこではないそうだ。月に一度、指南役の武助を久保田へと呼ぶが、それも、無役の若い藩士を呼び付けるのでなく、師匠をお招きするという待遇なのだとか。
身分が低くても才能のある者が大切にされるのは、悪いことではあるまい。武助は、秋田で、藩主に優遇されて暮らす方が幸福だろう。李山はため息をつく。武助のことは諦めた方がいいのかもしれない。
★ 2 ★
鉱山のある場所にはよい陶土がある。阿仁に滞在する間にも国倫は地元陶土で焼物事業を指導し、「阿仁焼き」と名付けた。白岩焼きの小高蔵人に指導をさせ、角館から陶工を呼んだ。地色が黒に近く、そこに暗雲のような釉薬の模様がかかると独特の風情がある。
また、平井が地名を上げた場所も調べに出かけた。精錬には鉛を使用することもあり、近くに鉛の鉱山がある二ツ井が一番便利だろうと思われた。だがこれは藩の事情もあるだろうし、参考として平井に意見を述べるまでに留めた。
久保田藩から見たら、源内は随分自由に(言い換えれば勝手に)行動を起こしていたわけだが、平井は奨励こそすれ咎め立てすることもなかった。危惧を感じていた吟味役の本山の存在だが、時々事業の事を尋ねたりするだけで、特に嫌がらせや妨害があるわけでもなかった。平井も、杞憂だったと国倫へ苦笑して胸を撫で下ろした。一カ月の作業で、平賀は指導と呼ぶ以上の、多くの利潤を既に出した。低品質の銅から銀を抽出して利益を生み、また、銅の価値も上げてみせた。阿仁で学んだ院内銀山の技師らも、この知識を持って帰って行った。あちらでも、ひと月後には大きな利益を生むことだろう。
館岡では、藩の役人も人夫らも江戸の天才科学者の力量にただただ驚き、道を行けば尊敬と称賛の視線にさらされた。まあ、悪い気はしない。
九月の初めに久保田へ出向き、役人達に挨拶と次第の報告をすることになった。阿仁から久保田へは再び角田弟助が案内した。
城下に近づき、今日の夕刻には久保田に入れるだろうという山中で、一行は賊に襲われた。幸い藩の護衛もいて事なきを得たが、捉えた一人が実は吟味役・本山の屋敷の下男であることが知れた。護衛に彼を知る者がいたのだ。下男は、源内は藩の役人らを阿蘭陀の妖術でたぶらかしていいように操り、藩の銅山施設を我が物にした悪者だと罵った。
下男が主人の無念を晴らそうと先走ったのか、主人からの命令だったのか。しかし男は、城下で目付に引き渡されても、自分一人の考えだったと言い張り続けたのだそうだ。本山は処分は免れたが、吟味役は解かれた。源内と面識もないこの下男に、先入観を与えたのは本山なのは確かであり、源内と協力し合わねばならぬこの職務には不適当という理由からだった。
高松藩でも大いに嫌がらせを受けた。藩などというものは、どこでも同じだと李山は苦い想いで拳を握る。平井や角田は平謝りで恥じたが、恥じる彼らの神経はまともで、彼らに怒る気にはなれない。怒りをぶつける相手は、もっと別のところに居る。
宿で荷を解く一行の元へ、城からお召しの伝令が届いた。源内にでなく、武助にだ。
「殿様には、もう、俺たちが着いたことが伝わったようだな」
「仕事、先月は穴さ開げたがんす。館岡に居たしがら。きっと殿は怒ってるがんす」
藩主の絵の指南の仕事へ行かなかったのだ。
「休む連絡もしなかったのか?」李山は眉を寄せる。
「手紙さ書きたぐねだす。わす、殿宛てのきちんとした手紙など書けねだすから」
「貴様は、童かっ」
李山に頭を掴まれ、「怒らねでくだされ」と、しゅんと首を曲げた。
武助は旅の疲れを癒す間もなく城へと向かった。
『絵の指南を一回休んだくらいで、厳しい処罰なんてないですよね?』
鳩渓が心配して李山の袖を握る。
『平井様や角田殿に、武助が叱られんよう、頼んで貰うっちゅうのはどうじゃ』
国倫まで、余計な知恵を出す。
李山は顔をしかめた。確かに、武助が処分を受けたら自分のせいだ。武助も、同行することに同意はしたが、四十日も銅山に関わるとは考えなかったかもしれない。こんなに日数がかかることを最初に説明しなかった。
平井と角田は久保田に屋敷があり、帰宅しようとするところだった。李山は慌てて引き止め、事情を話す。
「ああ。ははは」と平井は軽く笑い、「処分など、ねだすよ」と何度も頷く。
「殿は、武助に早く会いだがっただけでがんす。平賀せんせから受けた阿蘭陀絵の教えも、早ぐ聞きたぐで」
「んだ。それに、武助は殿のお気に入りだがら」
角田も口を挟み、平井に「よげいな事!」と叱られた。
宿の湯で旅の汚れを落とし、着替えを済ました頃、衝立の向こうに人声が聞こえた。彼らは角館から付き添った藩士らだ。源内を護衛しているというか見張っているというか、そういう役割の下級武士だった。
「ブスケは殿のお呼びでがんすか」
「今夜は絹の布団だすか。うめえもんさ食うんだべ」
「おめさ、羨ましいのだが?わすは、ケツの穴さ出してまでそだな思いしたかね」
嫌な噂話だ。李山はわざと咳払いして話を止めさせた。彼らは李山がいたのに気付き、はっと言葉を止めた。
「先に失礼」と声だけをかけ、濡れた髪もろくに拭かぬままに風呂場を出た。
冷たい廊下を足早に過ぎ、李山は一人の部屋へ戻った。もう、武助はいない。部屋は冷えて暗く、墨の香りはしない。今夜は蘭画を教えなくてもいいのだ。ふうと長い溜息をつき、縁側へと出た。
宿で貸すかいまきを羽織る。久保田の九月の夜はもう冬のように寒い。洗い髪を手拭いでこすりながら、裸足の足をちぢこまらせた。
武助は、藩主の寵愛を受ける者。閨を共にしているかは知らぬが、彼の才能は間違いなく愛されている。下級武士である武助は、他の藩士にはあのように扱われる。まるで、かつての自分を見るようだ。李山の指に力がこもり、手にする晒布がくしゃりと握り潰された。
自分は何に怒りを感じているのだろう。藩という体制か。才能ある者への嫉妬心を止めることのできぬ『人』というものにか。それともこの日本という狭い国にか。
翌日、源内は本方役所にて銅山役らと会見した。この一カ月の成果でかなりの信頼度を得ていた為か、源内が進言した離れた場所へ精錬所を建設する案も通り、藩では二ツ井に場所を決めているようだ。源内は精錬所の立ち上げにも協力を要請された。理兵衛の方は久保田へは出向かず、阿仁から八森へと向かっていた。椿銀山という別の土地の検分を依頼されたのだ。
精錬所の仕事は別契約で、理兵衛と共同でなく源内個人への依頼だった。秩父の立ち上げでも活躍した、プロジェクト・リーダーとしての手腕が買われた。
すぐにも二ツ井へ発たねばならず、武助はまだ城に上がっていた。藩主のお相手の仕事があるのに(しかも前回は穴を開けさせてしまった)、呼び寄せるわけにもいかず。藩の太田伊太夫に武助への伝言を頼み、久保田を発った。
李山の中では、江戸へ呼べない武助は、本気で蘭画を描かせる相手ではなかった。絵師を育てる目的は、自分の側に置いて図譜の絵を描かせることだ。今回の武助への指南は、江戸で誰かに教える為のシミュレーションだと割り切っていた。もうそろそろ切り上げていいだろう。
武助は達者だ。間近で上達ぶりを見れば見るほど、惜しくなる。これ以上関わると、諦めきれなくなる。潮時かもしれぬとも考えた。
二ツ井では、阿仁からの荷を受ける舟付場の整備から、精錬所の設備や人夫らの施設の建設、鉛の輸送ルートなども設定し、わずか一カ月で軌道に乗せた。同行した平井は、源内の才能に鳥肌さえ立つ思いだった。たくさんのことを同時進行で的確に効率よく進める賢さに震えが来た。
十月初めに一度久保田へと呼び出された。理兵衛が八森から久保田へ着き、両名で、今回の院内と阿仁の仕事の報酬を老中から賜るのだ。お互いが五十両を現金で与えられた。これだけの高報酬を与えても惜しくないと久保田藩が思うほど、今回の二人の功績は大きかった。
理兵衛はこの直後に江戸へ戻ったが、国倫はもう暫く二ツ井の精錬所を見守った。同時に鉛を近場で調達する案に駆られ、大館の沼館村で亜鉛山らしい鉱脈を見つけた。白岩から陶工を呼び寄せ精錬を試みるが、これは実は亜鉛でなくマンガンだった為に精錬は成功しなかったが、二ツ井の方はフル操業を開始し、十月後半に久保田へと戻った。
一行が久保田城下へ足を踏み入れると、面前に若い侍が飛び出してきた。護衛らは緊張して国倫を庇って前に立った。以前も賊に襲われたことがあったからだ。だが国倫は、すぐにそれが誰か気付き、前へ出た。
「武助・・・」
「平賀せんせ、わすを置いてぐなんで、ひどいがんす!
絵の指南しに久保田さ来ていたどごだで。せんせが着いだと聞いで、城さ飛び出して来たがんす」
「太田殿宛に伝言を頼んどったが。届いちょらんかったんか?」
「聞いただす。そだけども、わすは納得できねだす」
武助は国倫を見上げ、睨みつける。
「武助!平賀せんせに言葉が過ぎるだ!」
平井に叱られるが、武助はふてくされて立ちはだかる。
「せんせが、仕事に関係ね、おめを置いて行ぐのは当り前でがんす。おめは殿に可愛がられて、奢ったところがあるがんす。こんとこ、目に余るだよ?そだな態度、おめには得になんねだす」
平井のまるで父親のような叱り方に、ふっと高松藩の木村を思い出す。国倫は苦笑し、武助に声をかけた。
「わしら、見上新右衛門殿のお宅に厄介になるけん。まだ教えて欲しければ、訪ねて来んしゃい」
「もう、ええだ!おめさんになど、頼まね!」
捨てゼリフを残し、武助は走り去った。平井は「おい、こら!」と怒声を挙げ、国倫に向き直ると「申し訳ねえだ」と頭を下げた。
「武助は、どんも己の身分さわきまえでね。お恥ずがすだす」
藩主の絵の指南というだけでなく、子供の頃から角館城主の絵のお相手として優遇され、気構えが足りぬところがあるのだと言う。
「持つ者の不幸、じゃのう」
ふふっと国倫が笑うと、平井は「は?」と聞き返すが、国倫は気付かぬ振りをした。
★ 3 ★
結局、武助はその夕方には絵の道具を抱えて見上邸へと姿を現した。国倫の座敷へ通された武助は、酒と女の匂いがした。岡場所で遊んで来たようだった。
床の間を背にした国倫に向かい、袴の乱れを整え膝を揃えて正座した。
「やはり、おすえて欲しいがんす。もっど阿蘭陀の絵のことさ、学びたいだす」
武助は、伏して畳に額を付けた。珍しく、素直で真摯だった。
「時間がねえがす。せんせは、もうすぐ江戸さ帰る。おねげえしますだ」
面を上げてから懇願する瞳も真剣で、白粉の匂いをさせる男とは思えぬ真面目な口調だ。素行も態度もいいとは言えぬ青年だが、絵への情熱に嘘は無いのだ。
国倫は内に居る李山を振り返る。李山は満更でも無い表情で勿体ぶって立ち上がり、国倫と体の舵を代わった。
「では、続きを始めるか」
「ありがだいがんす」と武助は跳ねんばかり李山に寄ると、また深く礼をする。李山の膝頭に武助の髷が当たった。
「・・・そんなに近くに寄るな。貴様はいつも女臭いな」
「もう教えで貰えねだと、ヤケになって」
「それで女遊びをしてきたのか」
「・・・。すまんでがんす」
「お前が自分の金で自分の自由な時間に遊んで、俺に謝ることはない。ただ、俺は女が嫌いなんでな。あまり白粉臭いのは好かんな」
李山は、色の明暗について教えた。形に丸みを感じさせる手法や、遠近だ。これは長崎で商館長に習った。日本画は、遠い景色は色を薄くぼかした色にすることが多い。遠くはぼやけて見えるからだ。だが、「遠くは暗い」ということに、武助は今まで気付かなかったようで、教えると、取り憑かれたように何枚も描き続けた。見上邸の廊下、厨房、廊下から見た座敷。窓からの風景はもう暗転で、描くことはできない。
「山さ描げず残念でがんす」
「いや、この蘭画の色の明暗は、景色より建物の方が有効だ。
・ ・・待てよ、今は何刻だ? 城へ戻らんでいいのか?」
「え。あっ」
武助は思わず筆を止めた。
「・・・。」
そしてそのまま黙り込んで下を向いた。
「見上殿には、おまえが泊まれるよう頼むことは簡単だが。藩主殿が待つのではないのか?」
藩主と言った途端、武助はあからさまに不機嫌な表情になった。
「別に待ってはねだよ。わすがどこ泊まろうが、かまわねがらよ。何故、すたらことを? わすと殿のこと、誰さから聞いたがんす?」
武助の目は反抗的な色を帯びた。美しい形の唇が歪む。李山を睨み付けた。
「おめさんはおなごが嫌いだそだども、わすは男など好かん。だども皆は殿とのことさ当り前のよに噂するがんす」
「・・・。城へ伝令を出そう。きちんと、ここへ止まると連絡はしておけ。心配するだろう?
別にお前が藩主の何かなど聞いていない。俺にはどうでもいいことだ。神経質になっているのは武助ではないのか?」
「黙れ!何も知らねぐせして!」
武助は握っていた筆を李山へ向かって投げつけた。筆は軸の先が李山の顎に当り、思わず掌で覆った。もう完治した筈の顎の傷が痛んだ。
李山の平手が音をたてて武助の頬を打つ。白い肌が赤く染まる。
「このガキめ。自分だけが不幸を背負うとでも思うのか」
李山の言葉に武助は頬を抑えて暫し絶句し、そしてやがてわっと泣き伏した。
「江戸さ行きたいがんす! 蘭書の挿絵さ見たいだす! ライレッセいう名の書も見だい! 平賀せんせさ付いで行ぎだい!
だども、殿はわすを離さねがんす」
江戸へ出たいけん。江戸でわしの力を試してみたいけん。江戸には凄い学者がいっぱいおる。江戸で学びたい。讃岐で埋もれるのは嫌じゃ。一生蔵番は嫌じゃ。
李山は、伏して泣く武助の髪に触れた。指が震えた。これは誰だ? 角館の天才絵師か? それとも・・・讃岐の天狗小僧の蜃気楼か。
以前の李山なら、『泣いて難儀が片付くものか。無駄なことをする前に先へ進め』と吐き捨てたことだろう。だが、李山はそのまま辛抱強く、武助が泣きやむのを待った。暫く涙を絞り出して、やがて気持ちも落ち着いた武助は顔を上げた。綿の着物の袖で子供のように顔をぬぐった。
「すまんがんす。しづれいな事、すますた。破門さしてくだされ」
「馬鹿」と、李山は笑う。
「貴様が失礼なのは、今に限ったことではない」
武助は二十五歳。自分らが最初に藩を辞めた歳だ。武助に同情する気持ちが生まれた。けれど、どうしてやることもできない。李山は、藩に招かれ雇われたただの山師だ。
「藩さ辞めで付いで行ぐこども考えたがんす。禄さ無ぐでも絵師で食っでいけねだか?」
悲愴な決意だ。気持ちはわかる。しかし冷静に考えて、武助が浪人となり絵師としてやっていくのは難しい。
「江戸には、巧い絵師は多いぞ? しかも派閥もある。江戸の中心は擦り絵だが、おまえは違う。よほどの贔屓がないと食えん」
武助は巧い絵師で、秋田ではそれなりの需要があるが、それは藩主と角館城主の絵の指南役という肩書も大きい筈だ。
「食えんのは困るがんす。わすは妻と童を養わねばならんがんす」
「おまえ・・・結婚しているのか」
考えてもみなかったので、李山は目を見開いた。しかし武助は二十五であるし、当然と言えば当然だ。四男で部屋住みでも、これだけの美男なら嫁の来てもあるだろう。
「だったら、ここで絵師として暮らす方が幸福だろう。おまえなら、俺が今まで教えた事だけでも、かなりの蘭画を描くことができる。教えたことを、自分の絵に馴染ませ、生かしてくれ。俺に言えるのは、それぐらいだ」
「・・・。」
武助は唇を噛んで頷いた。
「わす、これから城へ帰りますだ。四つ過ぎても、門番に記録さ取られるだけで、入れでぐれぬわけでないがんす。殿はもうお休みだすが。城に戻るのとそうでねのと、殿のお気持ちも違うでがんしょ」
「そうだな」
李山は納得がいった。武助は、秋田で、うまく立ち回ってそこそこ楽にやって、絵を描き続ける事を決心したのだ。それも一つの道だ。
「お別れだす。今までありがとがんした」
武助は画材を仕舞い、立ち上がった。燭台の蝋燭の火が揺れて、武助の影を大きく見せた。白い障子に武助が映る。音もなく障子が開き、そして閉じた。
武助が廊下を行く音が聞こえる。李山は、もう誰も映らぬ格子を見つめながら、寒々としたその音を聞いていた。
先刻武助が投げた筆が、まだ畳に転がっていた。李山はそれを手に取る。静かなため息が出た。
数日後に、国倫が太田伊太夫宅で役人と精錬所の件で報告会を行った。秋田藩はこの結果と経過にほくほくの様子だ。
その報告が藩主にも伝わり、謁見を許された。源内は来賓の上客扱いで、藩主との直接の会話さえも許された。
佐竹義敦はまだ二十六歳という若き藩主で、十八まで江戸屋敷で育ったので秋田訛りも無かった。はっきりした目鼻だちの垢抜けた印象の青年だ。今回、よそ者の山師を招く事は藩内でも賛否に分かれたらしいのだが、義敦の英断で前へと進んだ。
義敦は源内の仕事の質に大変満足し、銅山吟味の五十両とは別に、精錬所の仕事の報酬を五十両、江戸渡しで与えることを約束した。また、江戸へ戻ってからも、銅山の相談役として年に銀百文の報酬という契約もした。
絵の指南役・小田野直武への阿蘭陀絵指導についても、礼を言われた。
「小田野殿は筋も良く、大変素晴らしい絵師でございますな」
李山が武助を誉めると、義敦は「そうであろう?」と、自分が誉められたように得意そうに笑った。
「畏れながら申し上げます」
李山は腹に力を入れ、拳を握った。自分でも馬鹿な事を始めようとしているのが、わかっていた。
「このまま小田野殿を指導してみとう存じます。江戸の私の所には蘭書も有り、多くの挿絵を小田野殿にご覧に入れる事が出来ます。ライレッセという、阿蘭陀絵の手法を書いた本も有ります。阿蘭陀絵の絵の具も有ります。お許し願えませんでしょうか」
藩主を怒らせれば、江戸渡しの報酬も年銀百もフイになるかもしれない。覚悟して、低く頭を下げた。
「武助からも、江戸で学びたいという希望は聞いた」
李山は、はっと顔を上げた。
「今まで殆ど自分の意志を表さぬ奴であったが。平賀殿の差し金か」
「いいえ、そんな」
「では、平賀殿が武助に言い含められて、私に頭を下げているのか」
「・・・。」
言い含められたわけではないが、広い意味ではそうなのかもしれない。江戸にも達者な絵師は多いし、阿蘭陀絵を描かせるだけなら武助でなくてもいい。だが、あの頃の自分の想いと重なり、武助のことが人ごとで無くなっていた。
人の為に自分が頭を下げるなど。李山は義敦に指摘されるまで、気付かなかった。
「奴は私の指南役だ、手放すわけにはいかない。江戸へは出せぬ」
「私は小田野殿と同じ歳で藩を辞めて讃岐を飛び出しました」
「何が言いたい?」
「江戸へ出る方法は、色々だと言うことです。殿が小田野殿を失う事にならねばよいですが」
「無礼であろう!私を脅すのか?」
義敦は声を荒らげた。老中らの顔に緊張が走る。
「とんでもございません」
李山は義敦の目をしっかり見据え、冷静に答えた。義敦は表情は穏やかなままで、瞳には苦笑さえ浮かんでいた。
「小田野をそれほど買ってくださり、私も誇りに思う。だが、奴を手放す気は無い」
同じ場面が有ったとしたら、頼恭もそう言っただろう。義敦の言葉が、頼恭の声と重なって聞こえた気がした。
「失礼致しました。出すぎた事を申しました」
李山は深く礼を返した。自分ができることはした。もう、仕方ない。
義敦は気分は害したであろうが、以降はそれを表に出す事は無かった。義敦は若さ故の無邪気さからか、謁見とも思えないような事を幾つか尋ねて来た。宋紫石はどんな男かとか、勝川春章は鈴木春信は歌川豊春は、と。江戸に住む絵師達の情報を聞きたがった。春章と豊春は面識が無いので、版元から聞いた人柄の噂話などを教える。紫石は友人で、家に時々蘭書の挿絵を写しに来ると言ったら、身を乗り出して来た。そして、「平賀殿の持つ蘭書は、紫石殿のような偉大な絵師にも、魅力的な本なのだろうな」とため息をついた。
春信とは生前親しく、錦絵の工夫は自分の手によるものだと告げると、更に仰天していた。
「私は、擦り絵の歴史を変えたお人と、こうしてお会いしているのか」
声が震えていた。義敦の絵への情熱や愛情は、李山の予想以上のものだった。もう少し、藩主の心を揺すぶることができるかもしれない。
「実はこんなものも江戸から持って参りました。藩の医師の皆様には何度かお見せ致しましたが」
李山は、『解体約図』を取り出した。義敦はお側用人伝てに手に取り、開いて眺めるが、あまり興味を示す様子は無い。
「医学のことは、よくわからんが・・・。この髑髏の絵は」
「達者でないのは、おわかりでしょう?これでも、江戸ではかなりの腕の絵師です」これは嘘であったが。
「日本画の絵師が、蘭書の挿絵を写した為です。江戸では、蘭画を描ける巧い絵師を必要としています。それも、早急に。
娯楽でなく、医学の為・・・人の命を救う為に」
李山は、義敦の目を見据えた。藩主は一瞬息を飲み、考え込む様子を見せたが。すぐに苦笑すると「だめだ、だめだ。小田野は渡さん」と約図を返した。
「平賀殿は危険な男だな。うっかり聞いてしまった。あなたのような人が、我が藩に居ると心強いのだが・・・」
再び老中らが気色ばんだ。顔を見合せ、殿を遮ろうかと口をぱくぱくさせている。
「平賀はどこへも仕官は嫌でございます。ありがたいお言葉ですが」
「そう言うと思った」と、破顔した。まだ少年の面影も残る若々しさだ。
「今日はお会いできてよかった。私が参府で江戸へ行った時には、また」と言いかけると、老中の一人が咳払いした。義敦は言葉を止めた。そして、やれやれと言うように、李山に微笑みかけた。
「私一人で勝手な約束をすると叱られる。これは聞かなかったことに」
謁見は終わった。銅山の話より、絵師についての方が長かったくらいだ。あの若い殿は、この後老中や側近達に叱られるのかもしれない。気の毒なことだ。
二日後、源内は久保田を発って江戸へ向かった。久保田藩は、荷を運ぶ馬と人足をあてがってくれた。異例の扱いである。駕籠も用意されたが、これは断わった。自力で歩く方がずっと早い。雪が積もる季節になる前に、東北を出なければならない。
江戸には、また面倒なあれこれが待っている。雪崩を寸止めにしていた困難な事柄を、たくさん受け止めねばならぬだろう。だが、国倫も元気になり、来た時とは随分心が違った。
雪がちらつく道を、冬と先を争いながら、北から戻って行った。
第46章へつづく
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