★ 私儀、甚だ多用にて ★
第四十九章
★ 1 ★
秩父の雪が溶けると、大和町の家を武助と福助に任せ、国倫はまた幸島邸へと出かけて行った。
たたら製法ではどうがんばっても鉄鉱石を扱うことはできず、事業は頓挫していた。砂鉄が出ないだけで山からは鉄鉱石は多量に採掘できたが、製鉄の為の燃料(コークス)が無く、施設も無い。
国ぐるみで取り組めば、かろうじて何とかなると国倫には思えた。田沼へはその旨を進言し、ここの鉄で剣を作って贈ったりもしたが、費用も莫大、プロジェクトとしての規模も莫大なせいか、老中の反応は鈍かった。しかし、利益も莫大になることは、国倫にはわかっていた。千両投資しても二千両利益が上がる事業なのだ。
単純な利潤だけでない。西洋風の製鉄を試みれば、その技術がこれからの日本の得になる。
それなのに、何故田沼がすぐに腰を上げないのか、国倫には不思議だった。田沼は忙し過ぎるのかもしれない。一段落ついたら、きっとこの鉄山開発に幕府ぐるみで乗り出してくれると信じて疑っていなかった。
国倫が秩父へ着いて数日後には、川越藩の役人が訪れ、鉄山の閉山を告げた。ひと夏製法の工夫を頑張る心づもりだった国倫には、寝耳に水だ。田沼からの返事もまだ貰っていないのに。
川越藩では冬の間に話し合いがなされていたようで、共同事業主の岩田三郎兵衛も藩に同意していた。知らないのは江戸にいた国倫だけということだ。川越藩では、かえって幕府に介入されるのを恐れていた。幕府が関われば、利益が吸い取られ、人事もあれこれ言われ、止める続けるさえ藩の意志でなくなる。その前に閉山してしまえ、ということのようだ。
目の前に宝の山があるものを。
西洋の技術があれば、この鉄鉱石は鉄に変わるのに。
目先の利益。目先の得。藩も幕府も、それしか考えない。国倫はきつく唇を噛みしめ、役人を見送った。
役人が帰った後、国倫は憤りで拳を握りながら、声を荒らげて「三郎兵衛を呼べ! 奴から何も聞いちょらん」と下男を使いに出した。女中には昼間だというのに酒を命じた。例の愛想のない女中は「切らしておりました。母屋から貰って参ります」と退出したが、ほどなく主人の幸島喜兵衛自らが、五合徳利の酒と盃を抱えてやって来た。
「頂き物ですが、いい下り物が入りました。退屈しのぎに、一緒にいかがですか?」
女が知らせたか、喜兵衛が気遣ったか。以前に荒れて薬を飲んだ時には、彼らにも迷惑をかけた。喜兵衛は様子を窺いに来たのだろう。
国倫は頷くと、素直に座敷に胡座をかいた。乱暴な声を出したことを恥じて、冷静さを取り戻していた。
「秩父の夏は短こうございます。毎年、平賀様がいらっしゃるのが楽しみです」
喜兵衛は照れもなく言うと、国倫が握る盃に酒を満たす。
「ここは涼しいのう。江戸の夏は蒸し暑うてかなわん」
「芝居小屋も見世物もなく、退屈な田舎ですが。夏に過ごしやすいのだけが取り柄です」
喜兵衛は源内と同じ世代か少し年上だろうか。農具を持ったこともない手をしているが、農学についてきちんと学んだ男で、本草も師についた事があるという。学問を納めたせいか、もともとそういう人柄なのか、懐の深い男だった。同じ敷地内に暮らす源内のことは雇い人に任せ、うるさいことも言わず自由に過ごさせた。かといって付き合いを疎むわけではなく、時々母屋の料理や酒にも誘ってくれたりもした。距離の取り方が心地よく、いつも彼の聡明さを感じた。
「おさとに、赤子が産まれたそうです。男の子です」
おさとは、今の中年女の前に源内の身の回りを世話した女中で、当時はまだほんの少女という感じの娘だった。
「そうか。めでたいのう」
先刻までの怒りがすうっと引き、国倫に笑顔が蘇る。
呼び出された三郎兵衛が慌てて離れへと駆け付けた。よほど急いで来たのか、鼻の下に汗の粒が溜まっていた。息を大きく吸ってまさに土下座しようとするタイミングで、国倫が「まあ飲みんしゃい」と盃を差し出した。国倫には、もう彼を問い詰める気は無くなっていた。商人の三郎兵衛が藩の命令に逆らうなどできるわけがなく、『平賀には藩から言う』と口止めされれば黙っているしか無かったろう。
三人で盃を重ね、陽が沈む頃には皆が酔っぱらいになっていた。三郎兵衛も今回の藩の閉山には不満があり、意気投合した。国倫も三郎兵衛も、とことんやってみて駄目だったのなら諦めもついたのだ。気分は未消化で、もやもやした感じだけが残っていた。
国倫は、秩父の材木を木炭に加工して江戸で売る事業を持ちかけた。三郎兵衛は材木商だ。木の扱いには慣れている。秩父で安く買える炭が、江戸では値段が跳ね上がることも知っていた。
「しかし、平賀さん。荷を江戸へ運ぶのは難儀だろう。山道で馬は使えない。人足の賃金の方が儲けより高くつく」
「川を使うんじゃよ」
たたら溶鉱炉に使う木炭は、影森や白久(しろく)あたりで焼かせていた。近くには荒れる川「荒川」と呼ばれる大河が通る。この川は一旦子(ね)の方角へと下っていく。が、国倫はこの川が必ずどこかで江戸前へ流れ込むと踏んでいた。江戸は広い平野で、水は必ず低い方へと流れる。
川で荷を運ぶのは、秋田の二ツ井で精錬所建造の時に用いた案だった。それがそのまま秩父でも生かされるだろう。
鉄山が閉じなくても、炭を船で江戸へ運ぶ案を三郎兵衛へ持ちかけるつもりだった。ただ、河川調査や工事に人手も金も必要で、両方を同時に進めるのは無理かと躊躇する気持ちもあった。しかし今なら、鉄山を解雇された人足が多く残り仕事を探していたし、今年鉄山に投資する予定の資金があった。
国倫の話を、面白い法螺話のように聞いていた三郎兵衛も、現実味を帯びた緻密な計画であることに気付き、だんだん身を乗り出していった。酒でなく興奮で顔が紅潮した。鉄山事業の解散の宴だった筈が、すっかり別のプロジェクト立ち上げ祝いの会になっていた。
「早速明日から調査じゃのう。深酒はしておられん」
国倫はゆっくりと盃を伏せた。
また新しい事が始まる。うまく行かなかった事業をいつまでも憤怒しても仕方ない。走り続けよう。走って風を感じる高揚感が国倫は好きだった。
★ 2 ★
秩父の夏は短い。数日後には国倫は人を手配して荒川の調査を始めた。国倫は筏の先頭に立って水しぶきを浴びて指示を出し、時には人夫のように諸肌を脱いで汗だくで歩き回った。予想通り川は途中で大きな半円を描いてコースを変え、午(うし)の方角、つまり江戸へと向かって下っていく。そして幾つもの支流を統合し、なんと、やがては浅草川・・・大川となって両国橋をくぐる。。
途中には段差による滝も有り、浅すぎる場所も流れが急すぎる場所もあった。このままでは船は通せないが、江戸へと通じていることがわかり、工事を進めるメドもついた。工事は幕府やそれぞれの土地の役人への届けも必要なので、実施は来年になるではあろうが、それでも現実に遂行できそうな計画で、国倫は胸を撫で下ろした。
雨期には江戸へ戻り、福助と武助を連れて両国の見世物小屋へと遊びに出かけたりもした。
評判の霜降花咲男の屁ひり芸に、福助は大笑いして喜んだが、武助は「下品でがんす」とぷいと横を向いた。
茶屋で腰を下ろしつつ、李山は袖に腕を突っ込んだまま苦笑していた。武助は粋のわからぬ男だ。冗談や戯れを理解しない。
福助も座って広いスペースを占領すると、武助の態度を責めた。
「屁で笛の音や鶏の鳴き声を真似るなんて。武助さんはすごいと思わないですか」
感激した自分もバカにされた気がしたのか、福助は頬を膨らませている。
「あげなの、裏で笛さ吹いとるが」
「えーっ!先生、そうなんですかぁ?」
「武助は無粋だな」と李山はため息をつく。
「え。じゃあ、やっぱり嘘ですか・・・」
福助は心底がっかりした様子で、肩を落とした。
「初めの方の、あれは本当だろう」
屁を調子に合わせてひる芸くらいまでなら、人のできる範囲だ。だが、笛の音階を出したり鶏や犬の鳴き声を出したりは、見世物として驚かせ楽しませる為の嘘で、観客も本気にしてはいない。観客は、笑って楽しめれば、それでいいのだ。そしてことさらそれを『偽りだ』などとムキになって暴きたてる野暮もいない。
国倫は川開きにも江戸に戻り、花火へと繰り出した。福助は江戸者だが、武助にはぜひ川開きの賑わいを味わわせてやりたかった。
頻繁に戻るのは、江戸に残した二人が心配だというのも大きかった。近所の長屋の内儀達に頼んだものの、福助はまだ少年、武助は田舎者だ。それに責任感の強い福助と違い、武助はふらりと岡場所へ行って家を空けることもある。武助はどうも落ち着きがない。
その日の武助は腰が重く、川開きへ行くのを渋った。いつももそう騒がしい男ではないが、言葉も少なく気持ちが沈んでいるように見えた。
「仕方ない。福助、二人で行くか」と家を出かけた李山に、福助が首を横に振る。
「先生は、武助さんを連れて行く為に、わざわざお戻りになられたのでしょう?」
「・・・。」
そうはっきり言われても困る李山だった。
「三人で行ければと思っていたがな。だが、武助が気が進まぬなら」
「行くでがんす」と、武助は座敷から立ち上がった。自分の為にと言われれば、まんざらでもない様子だ。複雑なのか単純なのか。李山はやれやれと玄関を出た。
両国橋の辺りはたいへんな人出だ。
「二人ともはぐれるなよ」
福助は長身だが、武助の姿はすぐに見失う。茶筅や本多や島田や桃割や手拭いや頭巾やらに紛れて見えなくなる。李山が不安に駆られ爪先立つと数人後ろに整った顔が見え、安堵してまた人ごみの中を進んだ。
大回りをして裏を歩きながら、夕暮れには予約した料亭へと着き、二階へと案内される。
高級料亭というほどではないが、気の効いた料理を楽しみながら、花火を待った。開け放した障子からは、皿に乗った豆料理のような見物人達が見下ろせた。
最初の一発目が上がった。豆料理達は歓声を上げ、福助もうわあと声を洩らした。
はしゃぎながら箸を止めた福助とは反対に、武助は外を見ようともしない。箸先を見つめたままで、ぽつりと、李山にだけ聞こえるような声で、押し出すように言った。
「そろそろ殿が江戸さ上がるがんす」
唇は殆ど動かず、李山自身がよく聞き取れたものだと思うほどだった。
久保田藩主の参府の時期なのだ。武助は箸を置くと、団扇で胸元に風を入れながら、花火を追うでもなく夜空を見上げた。
李山は武助の肩に手を置いて「上達した蘭画を、殿様に伝授してやるといいさ」と軽く言うが。武助は佐竹義敦と会うのが嬉しくもあり恐くもあるのだ。
「甘酒でも飲むか。福助は?」
「いただきます!」
えくぼをへこませて満面の笑顔になる。
「わたすも」
武助も李山の腕を取り、負けずにねだった。
武助はそう熱くもない甘酒をふうふうと吹きながら、そう好きでもなさそうな様子で飲み干した。薄い上唇に甘酒の泡が溜まっていた。李山は微笑し、指で拭ってやった。
しゅるるると、背後で花火が上がる音がして、武助はびくりと体を堅くした。
「上がった上がった上がった!」早口の江戸弁の誰かが囃したてる。炸裂音と共に辺りがぱっと明るくなった。歓声が挙がる。武助は振り向かず、李山から目を逸らさなかった。
「うわあ。綺麗だなあ。随分と大きいです」
背後では無邪気な福助の声が聞こえた。だが李山も花火へは振り返らなかった。
「久保田の上屋敷さ上がったら、わたすはもう帰らねかもしんね」
「そうか。それはそれで仕方なかろう」
他にどう言いようがあっただろう。もう、蘭画について李山が教えることはない。既に今の武助は、李山の指示を待たずに自由に蘭書の挿絵を摸写し、阿蘭陀の手法で風景画を描いて過ごしていた。
あれほど華やかだった火華は宙で静かに消え、きな臭さだけを残して、空はさらに深い闇に戻った。まるで愛し合った疲れた夜のように。その闇は次の花火を待つ昂りをつのらせる。もっと大きな花火を、次はもっと綺麗なのをと観衆は貪欲に空を仰いだ。空は次々と期待に応え、徒花を咲かせる。皆は酔いしれる。だが、いつか花火も尽きる時が来る。
数日後には久保田から一行が到着した。翌日早速武助は呼び出され、義敦の待つ上屋敷へと参上した。秋田から持参した道具と、江戸で増えた阿蘭陀の絵の具や筆をも抱え、こちらで描いた何点かの絵も持って出かけた。
まるで冬のような寒い雨の降る朝だった。
その日、武助は帰らなかった。翌日も。そしてその翌日も。李山は嘆いたり悲しんだりするほど子供ではなかった。ただ、毎夜四つが過ぎると、自らの手で戸に心張り棒を施した。
梅雨が開けたら再び秩父へと出かける予定だったが、今年の雨期は長く、大和町で福助と二人きりで家に籠もる李山は欠伸とため息を繰り返した。
春に浄瑠璃で福助に持たせた煙管入れがあまりに評判が良かったので、国倫の指示で鳩渓が五個ほど試作してみた。
福助に与えた物は観劇の一日だけもてばいいと紙で作った。今回は、決め出しで菊を浮き立たせた厚紙の裏にきちんと布を貼り、縁も布で始末した。厚紙も革に似せるためにわざと皺を付けた。
それを、道有と中良と南畝に貸して、遊びに出る時に持たせるようにした。彼らは芝居小屋や花街や料亭では注目の存在なので、いい宣伝になってくれるはずだ。残りの二個は、あの時に福助の煙草入れを売って欲しいとせがんだ者・・・茶屋の主人と結城座の役者に売った。
平賀邸は客の多い家で、福助は忙しく働いていた。客のいない時は鳩渓が勉強を見てやった。真面目な福助は、町人レベルの読み書きはクリアして、武士が学ぶ四書五経にまで至っていた。福助の日常にはそこまで必要ないはずだが、「先生のご本を読めるようになりたいので、教えてください」と自分から学ぶことを欲した。
武助がいない二人きりの家では、雨音と福助の朗読の声が響く。雨が木の屋根を直に叩くのか雨音は大きく、福助の地声もでかい。だが、その大きな声が響くと、よけいに静けさが感じられた。
飯も、福助はもりもりとたくさんの量を食べるが、咀嚼する音も味噌汁を飲む音も、二人きりだと部屋に反響するような気がした。
「ごちそうさまでした。今日もおいしかったです。ありがとうございました」
端切れのいい爽快な声は鳩渓をほほえませる。が、武助の無愛想や悪態も今は懐かしい。武助が居なくて寂しいと、鳩渓でさえも思い始めていた。
李山は決して武助のことには触れなかった。国倫も鳩渓も、李山を特に慰めたりもしなかった。「李山はさぞ淋しかろう」などと思われるのは、プライドの高い李山にはたぶんたまらない筈だ。そういうのは大嫌いな男なのだ。
梅雨が明けて、再び秩父へ荒川の調査へ出かける準備を始めた。
「ひと月ほど家を空けます。一緒に来ますか?福助なら一人でも安心して家を任せられますが、でも寂しいでしょう」
「いえ。私はこの家をお守りしますよ。武助さんが戻るかもしれませんし」
自分が武助を待っていることを、福助は何となく感じているのだろう。
「そうですか。では、蘭書は、また千賀の蔵に預けておきましょう。火事でもあれば、福助が逃げるだけで精一杯でしょう」
「先生!その時は、命をかけて私が運んで逃げますよ」
細い目をいっぱい開いて訴える福助に、鳩渓は笑って首を横に振る。
「何言ってるんです。福助の命の方が大切ですよ?本は預ければ済むことです」
福助は目をぱちくりとさせた。普段は頬の肉で細く見える瞳だが、見開くと丸くて意外に大きい。命が大事と言って貰えたことが嬉しかったのだろう。息を止めて、黙ってしまった。
鳩渓が、ぶ厚いヨンストンやドドネウスを本箱に丁寧に詰めると、福助は背中に負って、よく知る千賀邸へと出かけて行った。
河川調査は、工事申請をする為のものだった。実際の着工は来年の春になる。幸島邸の離れでは、国倫は小銭稼ぎの執筆に忙しかった。見世物小屋で見た屁ひり男をモチーフにした論文やら、花街についての論評やらを書いて、江戸へ送った。
国倫の手際よさで河川調査は早く終わり、涼しくなる前に江戸へ戻った。福助を一人で残しているのも不憫だと気にかかっていた。
★ 3 ★
江戸へ足を踏み入れたからと言っても、国倫はいつもすぐには家へ帰らない。顔なじみが多い茶屋で一息付いたり町の湯屋でひと風呂浴びたりして、江戸へ戻ったことを皆にアピールする。直接の知人には会わなかったとしても、口コミで伝わり、数日のうちには皆が家に集まって来るのだ。
この日も界隈で一時ほど時間を潰し、最後に須原屋の店頭を覗いた。
「お。出たのう」
最前列に、『解体新書』が積まれていた。須原屋は学術書を専門に出版する本屋だ。そこのイチオシがこの本ということだ。
「はい、出ました」と、顔なじみの店員が笑顔になった。
「うちの本ではないですが、お世話になっている平賀先生のご本です、前の方に積んでおりますよ。売れ行きも上々です」
国倫は『解体新書』しか目に入っていなかったのでその答えを不思議に思ったが、横を見ると『放屁論』も平積みされている。国倫は片方の眉だけ上げて苦笑した。
「玄白さんの本の方は、どげんじゃ?」
「うちでは予約で完売しました。これは見本で、お売りできません。他の須原屋にはまだ数組ありますので、お取り寄せできますが」
「いや、この本はわしが買うても用なしじゃ。しかし、売り切れとは。よう売れたの」
「宣伝も兼ねて、約図を出したのがよかったかもしれません。杉田先生はなかなか商売上手ですよ」
あれは商売の為でなく、発禁にならぬかの様子見だったと聞いている。が、慎重な玄白のやり方に思わぬオマケが付いて、喜ばしいことだろう。
「ちいと見せてみい」と、国倫は一巻を手に取った。
「・・・。」
国倫は、眉毛が顔から飛び出すかと思うほど仰天した。表紙絵は、キリシタンの教えの中にある世界最初の人間、あだむといぶと思われた。大理石らしき門の左右に裸体の男女が立つ。男は片手に丸い果実を掲げ、もう片方の手は葉で性器を隠す。国倫は、長崎の幸左衛門の家で何度かバテレンの経典や絵本でこれに似た男女を見ていた。蛇に惑わされて林檎の実を食べたとか、イチヂクの葉で局部を隠したとかいう話も、聞いていた。
「出版されて、何日たつ?」
「ええと、半月でしょうか 」
問題なくまだ店頭に並ぶということは、何のお咎めもないということだ。玄白も、これを描いた直武も、この男女がご禁制とは知らぬだろう。だが、取り締まる側もバテレンの経典など見たことがなく、頭に布を被ったまりあという女ぐらいしか知らないのだ。
玄白に知らせたら卒倒しかねない。教えないでおいた方が親切かもしれない。わざわざ告発する者もいないだろう。それは自分がバテレンに詳しいと暴露するようなものだ。
国倫が大和町へ帰った頃には、路地にはもう影が長く伸びていた。
ガラリと戸を開けると、福助の「おかえりなさい!」という声が耳に飛び込んだ。源内が江戸へ帰った噂は、福助にも届いたらしい。
玄関には武助の草履があった。
「武助が来ちょるんか?」
絵の具でも取りに戻ったのだろうか。李山が国倫を突き飛ばすようにして舵を取り、慌てて草鞋を解いて部屋へ上がった。
「武助さんは、三日ほど前にお帰りです」
三日もここに滞在しているというのか?奥座敷の襖を開けると、福助の声が聞こえていたのだろう、武助は文机で描いていた手を止めて「おかえりなさい」と頭を下げた。
唇は切れて腫れ上がり、左眉の上には布が貼られていた。
「その顔は、どうした?」
「・・・。」
武助は答えない。
『うちに戻った時には、こうでした。手当ては、杉田先生のところでしてもらいました』
福助が小声で李山に伝えた。
「転んだがんす」
暫くしてから武助の不機嫌な返事があった。どう見ても殴られたような傷なのだが。
「いつまでここに居られる?」
「もう藩邸さ帰らねがんす。殿の仕事はこごがら通うだ」
藩邸の長屋は狭くて汚いし、規則もうるさいのでもう嫌だと言った。上屋敷で何かあったのかもしれない。高松藩もそうだったが、下級武士が大きな仕事を成すと必ずやっかむ者がいる。
「義敦様には本は見せたのか?」
「へえ。進呈さ、すますた」
「喜んでくださったことだろう」
「・・・。はあ。まあ」
もともと口の重い男だが、特に端切れが悪い。嬉々として語るべきことを、下を向いてくぐもった声で返答した。
唇の腫れもあって言葉はいつもより聞き取りにくい。ゆっくりと武助は続けた。参府で江戸へ随行した武士の中に、蘭画を教わりたいと申し出た者たちがいるとのこと。
「わたすが教えでもええがね?」
「久保田の藩士なのだろう?殿が良しと言えば俺に聞くことはないさ」
「殿が、せんせに許可さ得でがらとおっしゃっだで」
藩主が一介の浪人に許可を求めるなど異例のことだ。だが、武助の話では、義敦は平賀源内の孫弟子であるという姿勢だそうだ。
変わった藩主だと、李山は眉を下げる。
「玄白殿に祝いを述べてくる。おまえの治療の礼も言わんとな」
下駄をつっかける李山に「あ、先生、お食事は?」と、竈の前に立つ福助が声をかけた。
「食うよ。秩父では、福助のうまい味噌汁が恋しかったんでな」
「はい!」
福助はえくぼを作って立ち上がった。「行ってらっしゃいませ」と大きな声が背中で聞こえた。
玄白の家の前では、登恵と乳母とが赤子を抱いてあやしていた。赤子は暖かそうな着物に包まれ、髪もだいぶ生えて人らしい様子になっていた。未熟児だったわりに体は小さくはない気がしたが、赤子らしい精気はなかった。表情が殆どなく、枯れた老人にも似ていた。一月に産まれた子なので、もう八カ月だ。声を出して笑ったり、きょろきょろ周りを見たりしてもいいものだが。
内儀と挨拶を交わす時にちらりと玄関を見ると、数名の下駄やら草履やらが重なりあっていた。登恵らは、客が多くてこうして家から逃れて来たのだろう。
「暫く待つか」
「狭い家で申し訳ないです」と、登恵が詫びた。もう夜の闇が忍び寄って来る。客もそろそろいとまの時刻の筈だ。
「登恵殿はお寒くないか?」
李山は、体を壊して早産した登恵を気遣う。その声が聞こえたかのように、客達がぞろぞろと玄関を出て、登恵に軽く礼をして去った。五人のうち三人が儒者頭を結っていた。
「ご本が出てから、こんな調子です。さ、中へどうぞ」と、登恵はほほえんで李山を招いた。
玄白は疲れた様子で瞼の下を弛ませていたが、李山の姿を見て笑顔になった。
「秩父からいつお戻りで?」
「きっきだ。須原屋で本が出ているのを見たのでな。おめでとう」
「ありがとうございます。あ、私も、国倫さんの本を読みましたよ。花咲男の」
生真面目な玄白に言われ、中では国倫が困ったように首を曲げた。表に出る李山は冷笑しただけだったが。
「私や良沢殿は解体新書を出版したことで、唐の医学の五臓六腑説を否定し、東洋先生の臓志さえも間違っていたことを明らかにしました。今までの知識で医学を行っている医師からの反発も多く、動揺を与えたと批判もされています」
国倫は『放屁論』の中で、先人の教えにだけ頼り新しい真実を見つけようとせぬ愚行について痛烈に批判した。玄白はそのことに触れているのだろう。
だが、各地で医師の腑分け見学も行われるようになった。玄白の本が正しいことは、じきに皆が認める。今は風当りが強いだろうが、ずっとではない。
李山がそう言って玄白を励ますと、玄白は笑顔を作りながら、「そうだといいですが」とため息をついた。
「武助さんの傷は、藩士達といざこざがあったようです。殿にあやかしの絵を伝授していると言われたそうで」
「・・・。」
「手を庇ってその男を蹴飛ばしたら、殴られたみたいです」
武助が先に暴力を揮ったのか。呆れたやつだ。
「よく処分されなかったな」
「まあ、武助さんは、相手の脛が赤くなった程度でしょうし」
「あやかしの絵か」
「私の本は、あやかしの医学、でしょうかね」と、再び玄白が笑った。が、そこには自嘲はなく、正しい事へ進んでいる自信が浮かんでいた。
「時間がかかりそうですが。でも、たあへるを手に入れて、翻訳本を出すまで三年半かかりました。それに比べたら、今の風に耐える期間など、きっと短いものでしょう」
自分に言い聞かせているような言い方だった。
新大橋から大和町へと戻りつつ、李山は思いを巡らす。蘭画をあやかしの絵と忌み嫌う者もいるのか、と。人は、今までと違う物に出会うと、拒否反応を示す。好奇心に溢れる者もいるにはいるが、ほんの一握りなのだ。
夏の遅い夜の訪れと競争しつつ、李山は早足で路地を抜けた。焦れるような、哀しいような下駄の音が響いていた。
第50章へつづく
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