★ 私儀、甚だ多用にて ★

 第五十二章 

★ 1 ★

 上野の池辺りでは紅葉が映えて「秋が深まった」程度の気候でも、秩父には既に雪がちらつく。炭が一番売れるのは当然冬だ。この冬から販売せねば儲けを逃す。
 極寒には秩父の川も凍り、舟は通れぬ箇所もある。事前に割って進むことになるが、それが可能かどうかはやってみないとわからない。今回、源内には初めての秩父の冬となる。
 武助と福助だけを江戸に残すのは、前回のいきさつもあり心配だった。武助を説得して藩邸預けにして、福助は連れて行った。

 夏に試作した木炭は、幸島家や久保家で使用したが特に問題なかった。炭焼き窯の温度も強度もよく、施設として成功していた。職人の技術も十分だった。国倫を待たずに秋から炭焼きを始めていた。
 運搬には、国倫は船底が平たい『ひらた舟』を使うことを提案した。猪牙のような早さは出ないが、浅い川でも進むことができる。
 秩父では、国倫が工事する以前も木材の管流しや筏での物資送付を行っていた。が、筏では安定が悪く積荷を濡らすことも多い。管流しは、筏に組み立てる筏宿が必要になり、必要な本数を待つ煩雑さもある。難点が多かった。しかし底が深い舟や大型の高瀬舟では浅い川は通れない。そこで、江戸の舟大工を呼んで、筏しか作らなかった秩父にひらた舟造りを伝え、何艘かを造らせた。
 荷出しの最初の半月を見届け、正月までには帰る予定だった。淋しい秩父で新年を迎えるより、江戸の仲間とわいわいと正月を楽しむ方がいい。しかし、出発予定の頃は天候が悪く、吹雪が続いたので断念した。
 福助を江戸へ置いて来なくてよかったと、国倫は板戸の隙間から積もる雪を眺めながら思う。子供に独りで正月を過ごさせるところだった。また長屋の女や道有に叱られる。

 正月の仕度は幸島家で用意してくれることになった。年末に福助は母屋の大掃除を手伝い、大いに感謝された。仕事であちこち飛び回った国倫と違い、福助は暇で退屈だったようだ。女中らから簡単な料理を教わり、縫い物まで指南された。素直で行儀のいい福助は、年配の女たちに受けがいい。
 国倫が家に居る時には、鳩渓が代わって福助の勉強を見た。今回の秩父では国倫は執筆の仕事は無く、在宅の時は殆ど鳩渓が舵を取っていた。
 源内居には下男部屋もあるが、寒さのことも有り、一室に火鉢を囲んで二人で居ることが多かった。福助には僅かながら給金も与えているが、雇い人というより家族という意識が強い。そんな鳩渓の態度が誤解されたのか、最初は母屋では「源内先生が江戸の恋人を連れて来た」と思っていたようだ。母屋の風呂を、鳩渓の次、主人よりも先に勧められ、福助は仰天した。「下男の分際ですので」と丁重に断わっていたが、鳩渓は隣で聞いていて、『また女中達がくだらぬ噂を楽しんでいるのでしょう』と察した。福助の知性の高さや物腰が下男に見えなかったせいもあるだろう。
「ここには、家に風呂があるのですね。すごいなあ」
 江戸では藩邸以外の家にはまず内風呂は無く、富裕な商人も旅籠の客も大抵は湯屋へ行く。地方では、大きな家は風呂を持っていた。内風呂は初めての福助は、まず風呂に窓があるのに驚いたとはしゃいだ。その窓から、外の人が話しかける。「ぬるければ炊きましょうか」という男の声が、最初はどこから聞こえるかわからずきょろきょろと見回してしまったのだそうだ。湯上がりに上気した頬をつややかに輝かせ、福助は面白そうに鳩渓に話して聞かせた。
 大掃除で汚れた髪も洗い、風になびくままに乾かせている。鳩渓の髪は白髪のせいで太くなり、福助のようにさらさらと柔らかにはなびかない。
「福助の髪は、櫛で梳けばたくさんエレキが起きそうですね。ちょっとやらせてください」
 玄白からギヤマン瓶を借りて修復したエレキテルは、鎖の部分でエレキは発生するものの、それを箱の外へ導き出すことができなかった。壊れた箱の中がどうなっていたのかはわからない。だがきっとその為の工夫が有った筈だ。国倫は諦めてはいなかった。
「先生が私の髪を梳かしてくださるのですか?そんな、もったいない!」
「いえ、なに、親切でするわけじゃありませんから」
 静電気の実験に過ぎなかった。国倫は江戸で柘植の櫛以外に、象牙や玳瑁の櫛を使って自分の髪を梳かして、試してみたりしていた。いい歳の男が、白髪混じりの洗い髪を垂らして、遊女が使うような贅沢な女物の櫛で髪を梳く姿は滑稽でさえあった。
 鳩渓は、福助の髪が完全に乾いたのを見越して、前に座らせた。柘植櫛で、毛先の方から細かく梳いていく。福助の髪は肩を越すくらいしかないので、扇のように広がった。
「うわっ。何やら、耳元でぱちぱちと音がするんですが。首が、針先でちくちく触られるようです」
「あ、すみません、痛かったですか。髪は一番エレキが出やすいですね」
「・・・。」
 福助の返事がないので、顔を覗き込むと、涙ぐんでいた。
「そんなに痛かったですか! 申し訳ない!」
 鳩渓は慌てて櫛に椿油をつけ、もう一度髪を梳かし直してやった。ふわふわと宙に浮くよう広がった髪は、落ち着きを取り戻す。
「違うんです。おっかさんを思い出して。よくこうして髪を梳かしてもらいました」
 鳩渓は困惑して梳く手をとめた。五十男が『おっかさんみたい』と懐かれるのも、情けない心持ちだ。
「年が明けてひとつ大人になったら、そろそろ大人の髷をと思っていたのですが。福助はまだ子供ですねえ」
「す、すみません」
 福助は、睫毛にたまった涙を手の甲でゴシゴシと拭い去った。
 雪は音もなく降り積もり、時々窓の障子に軒から落ちる雪が映る。
「私、ずっと先生の側にいていいですか?」
 福助の言葉に、自然に表情が優しくなるのを感じた。
「居てください。私からも頼みますよ」
 福助は頷いて、甘えるようにこつんと額を鳩渓の肩につけた。
 その時、がらりと玄関の戸が開いた。
「源内先生、煮物のおすそ分けですが・・・」
 母屋の若い女中が、大皿を抱えて訪れたのだが・・・二人が肩を寄せるのを見ると語尾が小さくなり、「お邪魔しました! ここへ置いておきます!」と三和土へ皿を置いて慌てて立ち去った。
「誤解されたみたいですね」と、鳩渓が笑いながら福助の髪を撫でた。
「え?え?何ですか?」
「いえ。いいんです」
 福助は賢いが、ませたところは無い子で、それがさらに鳩渓の気に入っていた。あと何年かしたら男っぽく変わってしまうのかもしれないが。だが、しばらくは鳩渓に安らぎを与えてくれることだろう。

 年が明けて、三が日を過ぎてからやっと雪が止んだ。炭焼きの初荷を見届け、鳩渓らは山を降りた。
 荒川を使う炭焼き事業は当たった。運搬費が格段に安く済むので、炭の値段を下げてもかなり利益を上げることができた。秩父での借金も綺麗に返済し、道有から借りた生活費も返せた。エレキテル用の瓶も鎖も幾つも買えるほどの余裕が出た。
 
★ 2 ★

 椿油の滲みた櫛で髪を梳かすのが、最近の福助のお気に入りだった。まだ大人の髷も結わず、女のように櫛で前髪を絡めて器用に上げていた。
 櫛は女物なので、赤い花や青い蝶の飾りが施されていた。美しいが、しかし堅気の少年がするには艶っぽすぎた。「新しいのを買ってあげますよ」と鳩渓が言っても、「これがいいのです」と笑う。
「とてもいい匂いがするので」
 椿油の香りのことだろうか。母親の思い出と重なるのかもしれない。
 江戸には華やかで凝った髪飾りはいくらでも有り、小間物屋には色の派手さや細工の細かさを競った櫛や簪・笄が並んだ。上方で散々見かけた、雅で華美な飾りだった。くだりものなのか、それとも意匠だけ真似て江戸で作られるのか。
 だが、李山の美意識は違和感を感じていた。国倫の江戸言葉の浄瑠璃が喝采されたように、江戸は上方と決別をはかり、独自の文化を築こうとする意識が強いように思う。最近見られる地味好みの着物もそのひとつだ。京都の雅と対照的な、すっきりした縞柄や、藍や茶や鼠色が女にも好まれた。
「渋好みの、でも香りのいい櫛を作ってあげましょうか?」
 鳩渓の言葉に、福助はにっこりとえくぼを窪ませてみせた。餅のようにふっくらだった福助の頬は、少し大人びた輪郭に変わってきた。

 伽羅香木で作った櫛というのは、画期的だった。飾りは殆ど無く、銀の枠と梅鉢の紋だけだ。梅鉢は学問の神・菅公の紋である。彩色はせず、伽羅木のそのままの地色を生かした。派手さはないが、それがかえって知的である。菅公の紋を入れたのも、知的さを売りにする為だ。
 戯れに福助に作ってやったものだが、これも煙草入れの時同様に色々なところで問われた。作った鳩渓は意外な反応に驚いたが、李山の『どうだ?』の問いに、国倫も頷いた、これは売れると。
 商品として作る時、歯は象牙にした。この方が髪との滑りがよいし、伽羅は細く加工すると強度に難がある。
 国倫はこの櫛の試作を吉原の一番人気の花魁・花扇に贈り、宣伝に使った。『菅原櫛』と名付けられたこれは、二分(五万円位)という高価な価格設定にも関わらず、注文が殺到した。

 武助は、去年の夏には義敦が帰ってしまったので、もう指南の勤めはなく、暇を持て余していた。結局またこの小間物作りを手伝わされることとなる。高価な伽羅香木や象牙の細工は素人には手の余る作業で、国倫は職人を雇って大和町に通わせた。武助と福助が彼らに指示を出し、作業をさせた。
 国倫の方は、やっと、エレキテルの修復を再開した。が、日本は阿蘭陀よりだいぶ湿気が多い国だとカピタン達も言っていた。欧州のこのからくりは、乾燥を必要とする。欧州用に作られた物をこのまま使っても、江戸の気候では巧くいくかは怪しい。日本にある材料で、もっと相応しい物はないか、試行錯誤していた。また、鎖から発生する静電気を逐電するしくみにも頭を悩ませていた。壊れた中身は、いったいどうやってエレキを貯めていたのか?
 
 藍水から頼まれた高松藩の衆鱗図の件は、老中の木村から色よい返事を貰った。木村から、驚く情報も聞いた。佐竹出羽之守からも、借りたいとの要望があったとのこと。
 あれらの図譜製作は自分は途中で放棄してしまったし、つらい思い出ともつながる。あれが平賀源内の仕事であることは、武助にも義敦にも話したことはない。
 本丸の中のあれこれは国倫は想像することしかできないが、各国の藩同士に情報の交流があるのだろう。そして、自藩の事業を誇り、人材を自慢しあうのかもしれない。田沼意次が早くから自分の名を知っていたのも、頼恭からの情報に違いない。久保田藩は美術的意義からこの図譜を見たがったにしても、源内が関わった事は知っていたろうか。
 木村の言葉では、貸し出しに関しては、頼恭の生前も許可していたので大丈夫とのことだった。その良い知らせを藍水に届けるべく、国倫は三月の長崎屋へと向かった。商館長らは上様との謁見を済ませ、今日から学者との会見が始まる。瓶を玄白に返す用事もあったし、阿蘭陀人からエレキテルの情報も得られるかもしれなかった。

 阿蘭陀人が登場するのは昼過ぎであり、午前は学者同士や大通詞からの情報交流の場となる。解体新書は増刷を重ね、時間を経るに従って評価を増し、玄白の周りに集まる人が多くなる。瓶を返すのに近づく余裕も無い。国倫は、袱紗に包まれた瓶をきつく握りしめた。淳庵や甫周に言づけるにしても、彼らも人の輪の中だ。
 玄白らを囲まぬ者は、販売予定の蘭書や舶来の道具を熱心に物色している。若い学者に混じる、白髪の総髪に見覚えがあった。目を付けた大きな本をよいしょと引っ張りだし、丁寧に目次を繰って内容を確かめ、戻す。時々ページを戻り、手元にストックしていた本のページも捲り、見比べる。その背中はどの若者より必死に本を選んでいた。まるで、一つだけ玩具を買ってあげると言われた子供のような熱心さだった。
「前野殿。お久しぶりです。峻は元気にやっとりますかね?」
「峻?ああ、司馬江漢のことか。あいつは駄目だ。勉強には向かぬ男だ。わからんと、考えずにすぐ人に聞く」
 良沢は蘭学の弟子を一言で切り捨てた。
 解体新書に名前を載せるなと言った偏屈な医師は、玄白らが人に囲まれる事にも頓着しないようだ。無理している様子は見えない。
 この男は自分を嫌っているようだが、だが国倫の方は勝手に親しみを覚えていた。どこか『平賀源内』と似たところがある。いや、両極端なのか。右と左。天と地。エレキテルで言えば「♂まあす」と「♀びいなす」。
「まあ、峻は絵師ですけん。
 勉強が忙しくて、最近うちに来んのかと思うとったで。うちには蘭画のいい師匠もいますけん、時々顔を出すようお伝えください」
「腑分け図を描いてくれた小田野君か。平賀殿の弟子だそうだな。杉田君は、そんなことは一言も・・・。まあ、いい。
 すまんが、本を選ぶのに忙しい。無駄話はもういいかね?」
「あ、すまんです」
 苦笑して国倫は引き下がる。良沢に悪気はない、と思う。こういう人なのだ。

 午後からの阿蘭陀人らとの会見では、彼らはエレキテリセイリティのことは知っていたが、その仕組みについては詳しくはなかった。彼らは物理学者では無い。
 今年初参府の医師のツュンベリーは、使い方や効果を国倫に丁寧に説明してくれた(様子だった)。だが、ツュンベリーの言葉の量に比べ、大通詞の日本語は乏しく、どうも不明な阿蘭陀語は省略して伝えているようだ。
「体の悪所から火を取る道具」「体の中には地と天があり、火が産まれる」・・・まるで神話のようで、要領を得ない。
 淳庵が苦笑しつつ、囁いた。
「源内さんはエレキテリセイリティを造っているそうですね。玄白さんから聞きました。
 大通詞でも、専門用語には疎いものです。医学用語も、吉雄殿以外は怪しいもんでしたから」
 人は当てにできない、ということか。国倫は肩を落としてため息をつく。
「そんなにがっかりしないでください」と淳庵は微笑み、「私も甫周も、本でエレキテリセイリティのことを見つけたら、お教えしますね」と励ましてくれた。ずっと子供扱いしていた淳庵が、国倫への思いやりを示す年齢になった。
 本で見たら、と淳庵は言った。当然蘭書のことだろう。彼も甫周も、気軽にそう言えるほどに読み下すことができるのだ。
「中川殿」と、大通詞が淳庵を呼ぶ。
「ツュンベリー殿が、優秀な蘭医をよりすぐって、実地で技術を伝えたいとおっしゃっている。上とも相談して、貴殿と桂川殿のお二人ということになった。会見が終わった後になるが、ご予定は大丈夫ですか?」
『上』とは幕府の役人達だろう。解体新書グループは、幕府も認める阿蘭陀医学のナンバーワンということだ。
「えっ!わ、私と甫周ですかっ」
 淳庵の頬は光栄さに紅潮したが、目に戸惑いを見せて国倫を振り仰ぐ。牛と対面した小犬の目だって、こんなにおどおどしていないだろう。そんな重要な役割を自分が負うのかというプレッシャーと、良沢と玄白を差し置いて?という困惑の表情だった。
「がいなこっちゃ。しゃんしゃんせいよ」
 ぽんと、背中を強く叩いてやる。
「あ・・・はい!」
 淳庵は寺子屋の生徒みたいな返事をした。不思議なものだ。淳庵がどんなに偉い学者になっても、兄貴分はずっと兄貴分なのだ。

 会見が終わり、ぞろぞろと学者らが庭の細い路地を帰る。玄白が一人で帰る背中が見えた。翻訳作業の後半は、医者としての経験が多い自分も役立てたと嬉しそうに語った玄白だったが。幕府が選ぶ『優秀な医者』の中に、玄白は入らなかった。
 国倫は声をかけることができず、その背中を見送った。瓶を返しそびれ、再びきつく包みを握る。
 もう国倫は今年は長崎屋へ来る気は失せていた。瓶は杉田宅へ直接返しに行こう。彼は藩邸から浜町に引っ越して開業した。新居を覗くついでに返して来ようと思った。
 
 半月ほど後、浜町の医院の前を通りかかった。忙しくて、訪れようと思ったこともすっかれ忘れていた。「ああ、ここか」と国倫は立ち止まる。
 窓から、玄白の活気ある声と助手らの行儀いい返事が聞こえる。玄関には患者の履物が溢れてはみ出す。おかげで戸がきちんと閉まっていない。
 淳庵と甫周は、長崎屋会見の連日ツュンベリーに弟子として教えを受け、別れの時には愛用の手術器具まで贈られたそうだ。二人とも国倫の友人であり、誇らしいことだと思っている。
 だが、玄白には玄白の、良沢には良沢の、それぞれの喜びがあるのだ。国倫はかすかに微笑むと、ゆっくりと家の前を立ち去った。

★ 3 ★

 長崎屋に藍水の姿が無く、気がかりだったが。病は予想以上に重く、その月に息を引き取った。五十九歳だった。
 人の死には、慣れない。自宅に届いた訃報。少年の福助や冷淡な武助の前でも感情が抑えられず、国倫は拳を握りしめて嗚咽を洩らした。食いしばっても涙が溢れた。
 どんなに感謝してもしきれない、広い大きな師であった。国倫にとっては歳の離れた兄のような。鳩渓には父にも似た。そんな師だった。藍水の門下でなければ、自分は自由に羽ばたくことは叶わなかったろう。

 気落ちする国倫の様子にも頓着しないのか、菅原櫛作りの職人が辞めたいと申し出て、私も俺もと三人も辞めてしまった。
 弥七という付き合いの長い職人だけが残り、事情を説明した。武助は職人達には普通に接したが、福助への態度があまりに酷く、見ていて愉快なものではなかった、と。彼らが辞めようと決心したのは、皆の前で福助を「罪人の子」とののしったのを見た後だそうだ。
「福助さんは、怒ったりもせず、ただ我慢しておいででした。あっしらの方が腹が立ちました。みんな、武助さんの指示で働くのが嫌んなったんでさ」
 困ったことだ、と国倫は深くため息をつく。心が弱っているせいもあり、怒りよりも悲しみが強かった。
「弥七。よう教えてくれたのう。注文の残りはあと数個じゃ。一人での作業はきつかろうが、頼むけん」
 菅原櫛はそう個数のはける商品でもない。これで終わりにしようと国倫は内の李山と鳩渓へと問いかけた。きっとまた安物の類似品が出回る。その前に辞めた方が懸命だ。
 エレキテルは、蓄電容器を用意すればいいのだろうというところまでは見当がついた。だが、材質は何が適するのか、つなげ方はどうするのかなど、試しても試してもわからない事が多すぎる。
 頭に白髪が増え、目尻と額の皺も増えた。家に籠もっているせいか、目方も増えた。
 
 武助の心の荒れは、国倫にも覚えのある想いで、一方的に批判をする気にはなれなかった。藩を辞めて江戸へ出る機会を伺う25、6歳の頃の、髪を掻きむしりたくなるような苛立ち。あの時の感じは、まだ指先に残っている。国倫は人を苛めたりはなかったが、江戸からの色よい返事を待って待って待ちくたびれて、いつもきりきりしていた。当時仕事をしていた薬問屋の接待で、花街の蔭子ともよく遊んだ。快楽と疲労の中で、考える事を麻痺させたかった。
 愛してくれた藩主の手を振り払ってまで江戸で学ぼうとする自分の修羅と向き合い、殺伐とした想いにも襲われた。幼い妹と従兄弟に家督を押し付け、自分だけが好きに生きようとする、なんとわがままな男であることか。自分は人でなしだと、自らを追い詰める夜が続いた。
 武助は、絵師になりたいのだ。
 軸の為の上品な花や鳥だけでなく、戯作の挿絵や笑い絵を描きたいのだ。生き生きと日々を暮らし、動いている人を。笑い、泣き、閨で悦びを分かち合う人を。
 そう、春信もそんなことを言っていた。人を描くのが好きだ、と。
『藩主の師範が描いた絵』として富豪や大名が飾る為の絵でない、人の心を動かす、人を描いた絵を描いて暮らしたい、『本当の絵師』になりたい。解体新書で人の『中身』までも克明に描き、骨のまま動きだしそうな、内蔵を見せたまま喋り出しそうな絵を描いた武助の肩には、何かが降り立ったのだ。
 だが、彼は季節になると藩邸へ江戸払いの給金を受けに行く。肩には先に、妻と子供が乗っていた。雪深い角館で、武助の帰りを待つのか待たぬのか、扶持で日々飯を食い眠る家族がいた。
 下級武士が藩主に寵愛されると、藩士から僻みや中傷を買う。それらも肩に食い込み、さぞ煩わしいことだろう。人を中傷して己の地位が上がるわけでもなし、放っておいてくれればよいものを。つまらぬものばかりが降り積もっていく。

 福助への中傷の件で李山に注意された武助は、さすがに悪いと思っていたのか、長い睫毛を伏せた。
「福助の素直な様子さ見どると、腹たってく」
 それはひねくれた武助の、精一杯の謝罪の言葉だったろう。

 春も終わる頃、国倫はやっと玄白の新居へと訪れた。
「医院の前の道はよく通るんじゃが、いつも繁盛して忙しそうで、つい遠慮してしもうた」と、長く借りたままだった薬瓶を返した。
「医者が繁盛しているのは、あまりいいことじゃありませんよね」と、玄白は笑う。
 医院が閉まり、玄白が寛ぐ時刻だったが、他にも数人客がいた。解体新書以来、玄白のところには客が絶えないようだ。
 客の中に久しぶりに会う顔があった。安藤峻改め司馬江漢となった男は、玄白が持つ阿蘭陀の医学書の挿絵を写しに来ていた。
「骨の仕組みを知れば、絵が上達すると蘭化先生に言われたので」と、相変わらずの無表情で淡々と告げる。
『蘭化』とは、良沢が中津藩主から賜った号だという。『阿蘭陀の化け物』という意味だそうだ。化け物と言われて喜んでいる良沢に、皆が苦笑しているらしい。
 しかし、絵の上達と骨の組立の関係に気付くとは、彼はやはり知性の高い学者なのだ。李山は長崎で蘭画を習ったりライレッセの本を見たりで気付いたが、絵を描かない良沢が気付くのは凄いことだ。
「うちには、武助がおる。暇を持て余してるけん、蘭画を指南してもらいに来たらどうじゃ?」
「え、いいんですか!」
 表情の固い江漢が、珍しく笑顔をみせる。
「蘭画に関しては、あれはわしの弟子じゃけん。わしがいいと言えばいい。
 っちゅうか、長崎屋で良沢殿におうた時、おんし宛に伝言したんじゃが。あのおっさん、蘭書のことで頭が一杯で、人が頼んだ事は右から左じゃのう」

 玄白からは、エレキテルについて、甫周が本を見つけたらしい旨を聞いた。
「そう、確か、使用する瓶のことでしたかね。数日前に会った時に、話していました。弟の中良さんから聞きませんでした?」
 玄白は返された薬瓶を行灯の明かりで透かしながら、硝子越しに国倫を窺った。そういえば、最近、中良はうちへ来ていなかった。以前は毎日のように顔を出していたのだが。
「久しぶりに、築地の甫周の家でも訪ねてみては?甫三殿とも暫く会っていないのでしょう?」
「・・・そうじゃのう」
 国倫は、若い頃に玄白らと毎晩のように通った桂川御殿の門や離れや書庫へと想いを巡らす。記憶の中の甫三はまだ三十代の面影で、甘く優しい光を放つ。
「楽しかったですね。よく一緒に伺いましたよね」
 玄白も目を細めた。
「翻訳事業で挫けそうになる時、いつもあの時の想いが私を支えました。あなたとも、帰り道に何度も何度も語り合いましたね、何とか蘭書を翻訳できないかって。
 甫周から、あなたの長崎行きは翻訳御用だと聞いて。とても嬉しかったです。ああ、同じところで繋がっているんだ、と」
 あれは玄白と仲違いしていた時期のことだ。国倫は、桂川家へ通った頃へ戻れという切ない想いで翻訳に向かった。玄白も似た想いを抱いていたのだろうか。
「まあ、わしは、すぐに挫折したけん。わしには無理な仕事じゃった。やり遂げた玄白さんらは、ほんま偉大じゃ」
 国倫は自嘲的に笑う。どどねうすは、大通詞の幸左衛門どころか、商館長らにも難しい内容の本だったのだ。今年のカピタンが物理に疎かったように、あの時の阿蘭陀人らも植物は門外漢だった。
「いえ、そんな」と玄白は照れた後、「そういえば、淳庵らを指導した医師は、植物学者でもあるそうですよ」と、爆弾を落とした。
 えっ、と、国倫は腰を浮かした。毎年、植物に詳しい阿蘭陀人が赴任するのを、心待ちにしていた。田沼にも進言していた。だがずっと願いは叶わず、諦めていた。
「何故じゃ!なしてもっと早く教えてくれんかった!」
 玄白に詰め寄った。襟首を掴み兼ねない勢いだった。江漢の方があっけにとられて国倫の慌てぶりを見上げた。玄白は動じず、静かに眉を寄せた。
「淳庵らも、知ったのは最後の日・・・。送別の晩餐会に甫周と二人が特別に呼ばれ、その時の雑談で知ったそうです」
「・・・。長崎じゃ。長崎へ行かんと。どどねうすを持って」
 何年も前の作業なのに、尋ねたい箇所が次々と思い出された。頭の中を、書きかけの翻訳文の空いた四角が渦巻く。あそこも、ここも、あれもこれも。一箇所、二箇所のひっかかりを解けば、一文が完成する。あの日本の花に似た挿絵。あれが本当に日本のと同じ物なのか。中国にしか無いとされる草と似た花、あれは同じものなのか。
 脳裏を、完成した自作の大図鑑の姿がよぎった。植物だけでなく、魚も鳥も獣も網羅した、日本語でも唐の言葉でも阿蘭陀語でも引ける、壮大な百科事典。
 背にぞくぞくと雷が走り、居てもたってもいられなくて立ち上がった。長崎であの医師に会えれば、色々な謎が解けるに違いない。
「あ・・・。また金を貯めんといかんのう」
 すぐに冷静になり、その場に胡座をかいて座る。この前の長崎では資金繰りに苦労した。行きも途中で浄瑠璃の脚本を書いて報酬を受け取り、帰路は路銀さえ尽きて大坂から江戸へ戻れなくなった。
「そうじゃ、早くエレキテルを完成させねば。
・・・甫周んところへ行って来る」
 国倫は、再度立ち上がった。
 江漢が「金儲けの為に造るんですかぁ?医学の為じゃないんだぁ?」と抑揚の無い声で突っ込んだ。「うっ」と国倫は返答に困る。いや、だいたいが、玄白との友情の為に造ると、目の前に居る親友に宣言したのだった。
 玄白は下を向いてくすくすと笑う。突っ走る国倫の様子を見て、どこか嬉しそうでもあった。

 甫周からは、『らいでん瓶』というものの存在を教えてもらった。阿蘭陀のライデン大学でのエレキの研究から生まれた瓶なのだそうだ。エレキを貯める為の仕組みだそうで、まさに国倫が試行錯誤して欲していた物だ。
 ただ、どのような形状でどうなっている物なのかは、甫周もわからないと言った。本にはそこまで書いていないのだ。
「長崎から『らいでん瓶』を送って貰いましょうか。まず、値段を問い合わせてみます。長崎奉行でなく、ツュンベリー先生に直接手紙を書くので、返事も早く来ると思いますよ」
 また高いことを言われるのがわかっていた。国倫はため息をつく。長崎へ行く為の資金にエレキテルを造ろうとして、その為に長崎から輸入品を高く買って。もどかしくて、歯ぎしりしたい気持ちだった。
 甫周はもともとツュンベリーに礼の手紙を書くつもりでいたそうで、ライデン瓶の価格だけでなく、形状やしくみのことも、ついでに問い合わせてくれるそうだ。長崎は幕府の直轄地であり、継飛脚が出ている。田沼のツテで、甫周の手紙も早く阿蘭陀人医師の手元に届くことだろう。
 それとは別に、国倫は田沼に頼み、長崎の唐人使者へ日本の魚や鳥の唐名を問い合わせてもらった。自分の図譜には阿蘭陀語だけでなく唐名も記入するつもりでいたからだ。これは学者でないと返答できない事柄なので、質問を国に持ち帰ってのこととなる。期限を一年ほどと区切ってお願いした。
 諦めかけていた図譜製作が、突然現実味を帯びて動き始めた。その為には・・・やはり必要なのは資金だ。いつもそこへ立ち戻ってしまうのだ。

 江漢に蘭画を教え始めた武助は、少し心も落ち着きを取り戻した。二人は歳も二つしか違わず、師弟というより友達同士のように仲良く絵を教え合っていた。
 そう、反対に江漢が武助に教える場面もあった。江漢は人物は得意だ。春信直伝の美人画は特に見事で、清楚な色香を放つ。人物画は、正しい骨格で描いただけで魅力的に出来上がるわけではない。
 次の間から、時々二人の笑い声が聞こえるようになった。武助は少し明るくなったように思う。




第53章へつづく

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