★ 私儀、甚だ多用にて ★

第六十章

★ 1 ★

 梅雨明けを待って、源内は大和町から引越しをした。李山も国倫も鳩渓も。福助が居ないことに耐えられなかった。馴染んだ家の全てに福助の思い出があり、柱を見る度に傍らに立つ福助を思い出し、床を見る度にそこを拭く福助を思い出した。
 新しい住居は橋本町で、今度の家は借家でなく購入した。顔の広い千賀家や桂川家(主に中良)が骨折って新居の口利きをしてくれたが、新たに平賀邸となったのは道有も中良も顔を顰める履歴の屋敷だった。
 まず、この家で男が死んでいる。裏で金貸しをしていた浪人が、理由は知らぬが腹を切って自害したそうだ。その後に住んだ検校の金貸しはあまりにあくどい取立をしてお縄になった。検校の子はその祟りか井戸に落ちて死んだと言う。
 そんな曰く付きの家なので、格安で購入できた。浪人が血で汚した畳はとうに替えられているし、井戸も子は引き上げられ供養されている。既に井戸には板が打ちつけられ、危険は無い。李山は曰くなど気にしなかったし、他の二人も同じだ。その分安ければトクだとさえ思った。
 文士や絵師の友が反対するのは予想していた。平秩は「そんな気味悪い家は、もう遊びに行かねえぜ」とつむじを曲げた。武助も「わざわざそんだら家さ買わんでも」と口を尖らす。
 李山は冷静に反論する。
「だが、築年数もそうたっていない家だ。このまま誰も買い手がいなければ、家屋は取り壊して、新築するのか、それともさら地にしてごみ捨て場か墓地、ああ、両方同じ意味か。まあそうなるわけだ。せっかく使える家屋があるのに。俺が住めば、無駄にならんぞ」
「ちっ、風来先生にゃ口じゃかなわねえよ」
 
 そう家財道具のある家でもなかったが、大和町借家には長く住んだせいか、荷物も多くなった。布団だけでも数組有り、蘭書は冊数も多く大きく重く、エレキテルやら虫眼鏡(顕微鏡)やら遠眼鏡(望遠鏡)やら精密機器も多い。
「虫眼鏡の類は布に包みんしゃい。着物に包んでええよ」
 引越しのあれこれは、国倫が出て来て指揮を執った。こういうことは国倫が一番向いている。
「ほれ、こうして離して包めば二個包める。これを腰紐で縛って、動かんように」
 引越しの手伝いには文士や学者の友人はあまり役に立たないものだ。ああだこうだ言うだけで、殆ど動かない。要助だけが黙々と働くことになるが、彼は愚痴もこぼさなかった。門人の中でも町人の丈右衛門や若い鳥海玄柳はよく働いた。
 大八車二台に荷物を積み込むのにも、国倫は生き生きと指示を出す。布団は一組は一番下に敷いてとか、この荷物はもっと上へなどと声を枯らすうちに、だんだん気力を取り戻していた。忙しく走り回ることが、国倫の元気の素なのだろう。いつまでも福助の死を悲しんで暗く暮らしていても、福助は喜ばない。
『のう、鳩渓?』
 おんしも、新しい家で暮らすようになったら、ちっとは元気出せぃよ?
 昨日まで自分も沈んでいたくせに、国倫は鳩渓のケツを叩いた。

 橋本町の家は、小さいが庭も有り(一応井戸も有るのだから)、垣根と質素な木の門もあった。室内は大和町の借家より広く、ひと部屋だが二階にも部屋があった。玄関の横に傾斜の急な階段が付いている。下の間取りは次の間と奥座敷、厨房の隣には独立した三畳の下男部屋があった。
 だがこの家は大和町とは他にもだいぶ違った。まず、風が通る道ができていて、障子と玄関を開け放つと心地よい風が吹いた。縁側もあった。障子も襖も借家の物とは質が違い、良い木と良い紙を使用していた。普請もきっちりしているのか、歩いて床が軋むこともない。襖の声が丸聞こえという無粋さもない。二階の音も響かなかった。
 李山はこの家が気に入った。ここなら武助を二階に泊める事もできる。武助は基本は上屋敷勤めで義敦の側で生活しているが、交代で休みがあるので外出も外泊も割合自由だった。
 国倫は、客が多く賑やかな家でも二階で静かに執筆ができると思い、鳩渓も大切な阿蘭陀の本達が人の出入りしない二階に置かれれば安心だと思った。三人とも、この家に満足だった。
 だが、引越しの荷物もろくに片付かぬ頃に、過去住人の履歴を聞いて心配した玄白が駆け付けた。

「お引っ越し、おめでとうございます」と、玄白は引越し祝いらしき花器を持参した。玄白に器の趣味などあるわけもないが、人から勧められたのか銘のある高価そうな品だった。この座敷の床の間に飾れないこともない。但し軸は相変わらず曙山の龍なので、花と合うとも思えない。
「花は、愛でんだろう、俺も他の者も。生で傷口に貼るとか乾燥させて煎じるとか、そんなことしか考えたことはないぞ?」
 李山は苦笑して桐の箱から壺を取り出した。夏が始まったばかりの午後、日差しは強いが縁側の風鈴は音が断えない。玄白は往診のついでと言うが、ついでにはこんな重い物は持って出ないだろう。
「お庭では薬草だけを育てるのですか? うちは花も植えていますよ、妻が好きなもので。今度、お持ちしますね。部屋に花を飾ると、気分が違います」
 玄白は、こんな家をわざと借りた李山らの精神状態を窺いに来たのだ。
「お二人は・・・どうしてますか?」
 引越しの忙しさは国倫を少し元気にさせた。ばたばたと走り回っているうちに、すっかり気持ちの整理ができたようだ。
「鳩渓の方が、まだな。福助を一番可愛がっていたからな」
「そうですね。無理はいけません。無理に明るく振る舞う鳩渓さんは、見るのがつらいかもしれません」
「あいつは、しないだろう、そんなこと」
 李山は皮肉っぽく唇を歪めた。自分のことしか考えない鳩渓が、沈んだ気持ちを抑えるような社会的な態度が取れるわけがない。それをするのは国倫だ。
「国倫に会っていくか?」
 えっ、と戸惑い、玄白が返事をする前に。床の間を背に胡座をかく男の表情が変わった。唇が微笑みの曲線を作る。
「壺、ありがとなあ。李山はあかん。薬草にもけっこい(きれい)なのがあるけん。使わせてもらうわあ」
 国倫だけが、こういう気遣いをする。ちりんと風鈴が鳴り、国倫の笑顔は変わっていない。大丈夫だ。玄白は胸を撫で下ろした。
「庄十郎はうまくやっちょるかいね?」
 荒井庄十郎は吉雄幸左衛門の甥に当たり、元は西善三郎の養子だったが今は通詞職を辞している。最近江戸へ出て来たので、国倫が玄白の天真楼塾への就職を世話したのだ。
 人の様子を尋ねるのも、国倫の気遣いだ。玄白は、何故庄十郎が通詞を辞めたのか、何故長崎を去らねばならなかったかは知らない。本人が話さぬ限り尋ねるつもりもない。だがその事情の重さは感じていた。たぶん国倫も同じだったろう。
「はい。庄十郎さんのお陰でとても助かっています。塾には、私も含め、阿蘭陀語がきちんと話せる者は少なくて」
 講師たちも発音や抑揚は通詞には叶わない。それに、医学用語でない日常語を知らず、戸惑うことが多いのが現状だった。現在は講師たちが彼から会話を習っている。
「髪が。汗で」と、国倫が手を伸ばし、玄白の額に触れた。儒者頭のほつれ髪が額に垂れていたのだ。直してやると、玄白は赤くなって礼を言った。少年のようにうぶなこの反応に未だに慣れない。国倫の方までどぎまぎする。
「お元気なようで、安心しました。私はまたすぐ医院へ戻らねばなりません」
 玄白は慌てて立ち上がった。
「うん。もう、あげん無理はせんから。あん時は心配かけたけん。もう、絶対に、せんから。約束する」
 玄白は頷く。薬草や毒草を目茶苦茶に口に入れた、あの時のことだとわかった。

 玄白の乗った駕籠を見送る国倫に、李山が『とっとと押し倒しちまえばいいものを。童子であるまいし』と侮蔑のため息を洩らす。
『ほっこなこちゅうでないで!』
『そうですっ! 玄白さんに対して、なんて失礼なことを!』
 ずっと膝を抱えていた鳩渓までが、憤慨して顔を起こした。
『やれやれ、二対一か』
 李山は苦笑する。
『鳩渓。そろそろ出て来て、二階を片付けんか? 貴様がやらんと、本草の仕分けができん』
『整理整頓する時だけ、わたしが呼ばれるんですねえ』
 膝を抱えて泣き暮らしても、福助が悲しむだけだ。国倫が自分に言い聞かせて来た言葉を、同時に鳩渓も何度も聞いていた。
『だいたい、花を貼ったり煎じたりしか考えないなんて。言いがかりですから! わたしはそんな無粋ではありませんっ』
 随分前に李山に言われたことに憤慨してみせた。
『さ。さっさと舵を貸しなさい。日暮れまでずっと片付けですよ』
 どこかでまたちりんと風鈴が鳴った。

★ 2 ★

 丈右衛門の親しい友人に大工の久五郎がいた。彼も戯作が好きでよく一緒に大和町を訪れていたのだが、今回新居の簡単な手直しを頼んだ。二階への階段が急すぎて、老いてきた体には昇り降りがつらいのだ。昇り始めを玄関ギリギリに伸ばし、踏み板を広くしてもらった。好きに直せるのも持ち家の良いところだと国倫らは少し得意だった。
 久五郎は江戸者で、なんと秋田屋の息子だと言う。秋田屋と言えば有名な米屋だ。久五郎はそこの御曹司なのだが、跡継ぎではないので自ら大工に弟子入りしたそうだ。本来なら働かなくてよい身分だ。
 国倫はその志をベタほめした。すると、「とんでもないです」と謙遜した後、「源内先生こそ、本来なら讃州のご実家を継ぐご身分でありながら、勉学を究めるのに江戸へ出る為に、家督を妹婿殿にお譲りになられたのでしょう? 先生の方が、余程素晴らしい志です」と、ひれ伏さんばかりにあがめたてた。ものは言いようだと国倫は苦笑する。
 久五郎ははたちを少し過ぎた若い男で、すらりと痩身だが顔だけふっくらして福助と同じ頬にえくぼがあった。金持ちの息子らしく教養もあり、戯作は好きだが算術も好きだと言う。将来は、阿蘭陀風を建てられる大工になりたいのだそうだ。国倫は、以前歩き回って調べた建築の、見学しただけではわからなかったあれこれを尋ねたりもした。

 丈右衛門の方は、伊豆之守側用人からの書類などもことづかって来ることがあった。厳重に封をされたそれらは、弁才船の設計図や、材質や、船の構造についての資料だ。帆や舵の設計を知るには操縦方法も知らねばならず、それの解説書が届くことがあった。船の操り方などは本になって売られているのだが、平賀源内がそれらの本を買えば目立つので控えてくれ、必要な資料は揃えるので、とのことだ。怖い程の念の入れようだ。田沼はとことんこの船のことを秘密にしたいらしい。

 福助のいない日々は、静かにまわり始める。見慣れぬ襖絵の部屋が馴染んでくる頃、少しずつ悲しみは和らいで行った。
 国倫は雑文を書き、李山は本草図譜の絵をまとめたり描き足したり、鳩渓は薬草や奇石の見立てをして暮らした。福助がいないことが不思議な、今まで通りの日々だ。階下ではいつも客の談笑が絶えず、屡々国倫も酒に付き合った。
 秋田銅山での成功は各藩にも轟き、いまだに銅や鉄の吟味や精製伝授の依頼が来た。だが老いたせいもあって、もう遠方に出かけてしかも登山をする気にはなれなかった。鉱石を届けてもらい、吟味とその精製のアドバイスだけを行った。

 七月には仙台藩の依頼で和賀仙人山の鉱石を吟味し、トタン(亜鉛)の存在を予感した。下屋敷内の炉で精製の指示を出し、今回はうまくいった。『天工開物』に載っている方法であり、国倫のやり方は間違っていなかった。以前秋田でも試みたが、成功しなかったのだ。
普通、高温炉では亜鉛は気化してしまい、採取できない。が、密封容器に鉱石を入れ、容器ごと加熱、自然冷却後に容器を壊して採取する。銅鉱石にはトタンが含まれることが多いが、秋田の物には無かっただけだ。国倫は自分の判断と指示に自信を持った。そして日本で亜鉛を発見できたこと自体が嬉しい出来事だった。
 真鍮は古くから仏具などで使われる金属だ。錆びないし加工もしやすい。銅と亜鉛の合金で、日本でも真鍮は作られ、加工品も作られる。だが、日本はずっと亜鉛は唐から輸入していた。
国倫の生き方は若い頃と変わらない。東都薬品会を開き、『物類品隲』を出版したのも、同じ想いからだった。
 知識と技術があれば、我が国が損をして輸入などしなくていいものを。
 歯噛みするほど悔しくて、少しでも何とかしたいと思って生きて来た。生涯の夢である大博物事典も、その想いから出た物だ。紆余曲折があったし、何でも屋のようなこともしたが、その想いは何十年もブレたことは無かった。

 しかし、国倫の少年のような理想は、いつも打ち砕かれる。
「・・・トタンの精製はせん、と? なんでな?」
 国倫は、留守居の銅目付役に食ってかかった。
 仙台藩の麻布の下屋敷では、真夏にも関わらず炉に頬を焼かれつつ作業を見守った。トタンの抽出に成功したのだから、仙台藩はこのまま事業を進めるのだと、国倫は疑いもしなかった。だが、銅目付役からは信じられない言葉を聞いた。
「お願いしたのは銅の精度を上げる事です。トタンは要りません」
 目付役は木蔭で作業を遠目に眺めていた。鼻の頭が日焼けで皮が剥けた国倫とは違い、額も頬も白いままだ。まるで、『頼まれもしないのに余計なことを』とでも言いたいような口振りだった。
「日本でやっとトタンが採れるようになるんじゃぞ? 真鍮を自国で作れるけん。我が国が輸入に頼らんでも・・・」
「幕府のことは幕府のことです。我が藩に必要なのは、銅採取の効率を上げる事ですので」
「!!!」
 国倫が役人の襟首に掴みかかろうとした時、『やめておけ』と、李山が内で国倫の肘を掴んだ。舵を握る手は止まる。現実の体は、袴の上で拳を震わせたまま硬直した。怒りで歯が震えていた。

 この国は。この国の藩体制は。役人は。
 こいつらは、国が滅びるまで阿呆のままなんだろう。
 この国は底に穴の空いた船だ。皆自分の荷物だけ腕に抱えて一歩も動かず、少しずつぶくぶくと沈んでいく。

 駕籠を断わって、歩いて帰った。こんなクソ藩の駕籠なんぞに乗れるか。江戸言葉の呟きを、供として付いて来た要助は聞いた筈だが、彼は聞こえないふりをした。
 濃い青に澄んでいた真夏の空は、まだ夕暮れには早いのに真っ黒な雲がうごめき始めた。一瞬で辺りが暗くなる。
「あかん時はあかんのう」
 稲妻が光り、雷鳴より先に小石のような雨が顔に当たった。立ち止まって空を見上げる間に、土を跳ね上がらせる程の驟雨が始まった。麻布は大名や旗本の屋敷ばかりで、雨宿りする水茶屋もない。二人は慌てて近くの寺の門に飛び込み、軒を借りた。
 寺の中では葬式が行われていて、豊かな商家の誰かが亡くなったようだった。読経は雨で聞こえないが、激しく号泣する中年女の泣き声は雷の音より大きい。あまりの泣きっぷりに、他の参列者が困ったように目配せしあう。
「とんだ場に遭遇じゃ」
「悲しみも過ぎると滑稽ですね」
 要助がぽつりと気の効いたことを言った。
 もうすぐ福助の新盆だ。

 穴の開いた船であるならば、その穴を塞ぎたかった。世界の海を縦横無尽に。すいすいと走って欲しかった。
 だがこの船はもう、駄目なのかもしれない。

★ 3 ★

「あ、いらっしゃい。いえ、お客は数名ですよ。・・・そうですか。先生にはお会いには? わかりました、伝えておきます」
 玄関で要助の声がする。客が来て、座敷が混んでいるからと言って玄関先で帰ったようだ。要助が座敷で皆に茶のお替りを出す時に「誰か来たんか?」と国倫が問うと、「大田南畝様がお見えになったのですが」と語尾を濁した。町人文士らの雪踏ばかりで、居心地が悪そうだと思い、退散したのだ。席にいた男たちはそれに気付き、にやにやと目配せする。幕府直臣である御家人の大田は皆から煙たく見られがちであり、実際彼が居ると皆は冗談を言うのにもブレーキがかかる。大田の方も、ここに集うヤクザな町人文士らを好いてないのがありありとわかる態度であった。最近大田は寄ることが少なくなっていた。

 平賀邸には久五郎以外にもう一人大工が出入りしていた。家の建築を見回った頃に知り合った男で、和泉屋和助といった。この男は烏亭焉馬と名乗る戯作者・狂歌師でもあったが、一応は棟梁という地位にいて、他に足袋や腰巻を売ったりの商売もしていた。だが、真面目に堅気の仕事をしていればいいものの、根っからの見世物好きで見世物小屋に入り浸りだ。両国にいなけりゃ、平賀邸で酒を飲んで見世物の噂をしている。
 そして、見世物好きが高じて、去年は両国で自分で興業までやった。両国回向院で信州善光寺阿弥陀如来の開帳があった際、「これに引っかけて、何かおもしれえことができねえかね?」と国倫に持ちかけて来た。国倫は仔牛を用意させ、脱色剤で「南無阿弥陀仏」と描いてやった。『牛にひかれて善光寺参り』の縁起を作ったのだ。和助は名号牛と名付けて見世物に出し、儲けたようだった。
 偽物や詐偽行為に敏感な大田は、この事にも批判的だった。和助は人を騙して金儲けをした、と。源内先生が片棒を担ぐのは危険な事だと忠告までした。
 馬鹿言っちゃいけない。和助は騙してなどいない。見物人は、あれが細工だと承知で金を払っているのだ。洒落として。弥七の偽エレキテルと同じだ。
 かえって、本当の事の方が、民には受けが悪いかもしれない。ニセモノとわかっていても、面白ければ、それでいいのだ。
『国倫さん・・・』
 内で、鳩渓が悲しそうな声で名を呼んだ。あなたは以前はこんな風に考える皮肉屋ではなかった、と。町の人々を愛した国倫。彼らに裏切られた傷は深い。

 秋も深まった頃、大田が友人を連れて来た。風来山人の崇拝者だと言う。何度か様子を覗きに来たのは、彼を平賀源内に紹介する為らしい。
「風来先生のお宅にいるなんて、まだ信じられないです。目の前に先生がいらっしゃるなんて」と、男は可愛いことを言っている。国倫も最初はまんざらでもなかったが、「これが風来先生がいつも飲んでいらっしゃるお茶でございますか」「この畳をお歩きになるのか」と、おべっかも度が過ぎたので、だんだか腹が立って来た。馬鹿にされている気がしてきたのだ。
「わしの戯作で、何が好きかいね?」と尋ねると、「もう、全てでございます」と畳に額を擦る勢いで平伏する。
「全てのう。『根南志具佐』や『痿陰(なゆまら)』と、『荒御霊新田新徳』、同じに好きか」
「はい。先生の作品は全て」
 国倫はふんと鼻で笑うと、「わしが最近得意にしちょる絵があるけん。おんしの為に、とっときに描いてやろう」と、筆を持って文机へ向き、さらさらと美濃紙に絵を描いて渡す。男より先に、国倫の瞳を通してちらりと覗いた李山が顔色を変えた。岩の上に立つ男の尿(いばり)を頭に受けた男が、手を合わせてありがたがって泣いている。
 これは、あまりに辛辣過ぎる。毒も過ぎて、失礼だろう。男は、一応大田の友人であり、大田が連れて来た者なのだ。大田はこの絵を見て顔を赤面させ、男の手を引いて即座に帰って行った。顔の赤さは、怒りの為か、恥ずかしさの為だったか。
『馬鹿。貴様、やりすぎだ』
 国倫はにこりともしない。国という器にも人という中身にも絶望した男は、ただ日々が過ぎるままに生きている。

 しかし、国倫は、決して『人生』に絶望したわけではなかった。

 その数日後だった。千賀邸に呼ばれて行くと、意知との会食が用意されていた。門前に大名駕籠が無かったので、意知はお忍びで来たのがわかる。
 幾度か会って気楽に話せる間柄になっていた意知だが、今日は明かに緊張していた。盃を何度も持ち替え何度も唇を嘗め、何度も咳払いをした。重要な使命を帯びて平賀源内に密会しに来たのだろう。若い意知は父親ほどポーカーフェイスはできぬようだ。そして、千賀親子でさえも同席が許されなかったのが、何よりの証拠だ。
 料理を一通り楽しんだ後、国倫の方から、「今日は余程御大切な御用事のようですね」と切り出した。国倫は意知へも綺麗な江戸言葉で話した。
 意知は困ったように笑うと、「私ははかり事は下手なのです。単刀直入に言います」と盃に残った酒を空け、居住まいを正した。
「阿蘭陀へ渡って、阿蘭陀の造船技術を学んで来て戴きたい」
 国倫の盃の酒が波打った。国倫は青ざめて意知を見上げる。それは扉を閉ざした国の政治家が言うセリフではなかった。国倫はここまでのことは予想していなかった。せいぜい、開国を見越して大きな船を造れと言われるのかと思っていた。
「それは・・・阿蘭陀へ密航しろと?」
 意知は国倫の視線をしっかりと受け止め、頷いた。
「阿蘭陀船の船長には話はつけてあります。商館長らは知らない。あなたには通詞を一人付けます」
 破格の申し出。阿蘭陀へ渡れるなど、まるで夢のようだ。しかし、と国倫は唇を噛んだ。今まで、どんな厳しい状況に遭っても国の禁を犯したことなどなかった。士分として恥ずかしくなく生きて来たつもりだった。
 だが、田沼意次はこれほどの危険を冒してまで日本を変えようとしているのだ。国倫は、ある意味感動さえした。
 もちろん、計画が知られたり、失敗した場合は、源内一人が罪を引っ被るのだろう。田沼に命令されてという言い訳は通用しない。いや、違う、失敗すれば、関わった人間が最後の一人まで追求される。田沼親子にも、協力する少数の長崎の役人や通詞にも危害が及ぶ。自分以外に何人斬首され何人切腹すれば済むのかわからない。絶対に失敗できない計画なのだ。そして、だからこそ源内が選ばれた。
「予定では、あちらに一年ほど滞在して学んでもらいます。長崎の船大工も数名乗せますが、彼らでは理屈を学べない。余力があれば、建物の建築や鉱山事業、本草も学んでください」
「本草!」
 国倫は身を乗り出した。阿蘭陀本国になら、植物学に詳しい学者がたくさんいるだろう!
 ツュンベリーのような者は一人ではないはずだ。膝が震えた。がくがくと膝が動いて畳を小刻みに叩いた。諦めていた博物図鑑編纂の夢が、いきなり現実のものとなって蘇った。
 体の中では、鳩渓も阿蘭陀で本草を学べる可能性に頬を紅潮させ、両手で顔を覆った。肩が震えていた。李山も、『本格的に絵画を学べる!』と両の拳を握った。
「出島が参府で手薄になる三月頃に出航します。それまでに長崎へ」
「随分具体的に決まっていますね」
「以前から密かに計画を進めていました」
「私はまだ受けるとも言っていないのですが」
「断わる筈ないでしょう?」
「・・・確かに」
 国倫は破顔した。断わるなんてとんでもなかったが、もしそうしたなら、秘密を知った以上、殺されるだろう。そして別の男にチャンスが転がり込む。
「ご家族や親しい方にもご内密に」
「それは無論。しかし、長崎行きは明かしてよいのでしょう?」
「はい。長崎迄の費用は、再びの翻訳御用ということで、父の方で出します。但し、正式な翻訳御用の依頼があるまでは、長崎行きもご公言なさらないでください。少なくても年明け迄は。江戸を二月に出発すれば間に合いますから」
「二月・・・。これが、夢で無いことを祈ります」

 国倫はぱちりと目を開けた。二階の天井が映っている。障子の外はまだ薄暗く、梁も板の木目も黒い影の中にあった。明け方は既に寒くて、足が冷えて目が醒めたようだ。眠りも浅かったのかもしれない。
 落ち着かなくて、国倫は着物を羽織って寝床から出ると、障子を開けた。千賀家を出る時、ぼうっとしていて指を戸に挟んだ。割れた爪の痛みが、意知とのやり取りが幻では無かったことを告げる。
この痛みがなければ、未だに信じられない位だ。あれは、つのる夢が見せた幻だったのではないか、と。
 窓からは、ちまちまと重なり合う低い屋根ばかりが見えた。道にはもう仕事へ行く者達が行き交う。要助が、家の前を掃き終えて門をくぐり、国倫に気付いて「おはようございます」と一礼した。息が白かった。
 そろそろ冬が来る。そして、春になれば・・・。
 また春を待つことができる自分が、国倫は嬉しくもあった。



第61章へつづく

表紙に戻る