★ 私儀、甚だ多用にて ★
第六十一章
★ 1 ★
武助の仕事は五日に一度ほど休みがある。側小姓のあれこれより絵の指南が彼の主な仕事だった。休みになると朝から平賀邸を訪れた。
李山がいようがいまいが二階へ上がり、自分の描きたい絵の続きを描くのだ。藩邸では、絵を切られたり画材を目茶苦茶にされたりの苛めに遭うので、指南用以外の絵の道具はここへ置いてあった。
その朝は寒さに無精した国倫が、まだ布団の中で本を読んでいた。たったっと軽快に階段を昇る音がして、武助だとわかったので国倫は本を布団の中に隠した。田沼から極秘に渡された造船技術の本だった。そして体の舵は李山へと渡された。
「おはようござ・・・まだ寝てたがんすか」
左の頬骨が腫れ上がり、唇も切れて膨れていた。また誰かに殴られたのだろうか。
「その顔。藩邸でやられたのか?」
「そうだす。転んだように見えますか」
武助はむっとすると、源内の文机の上に乱暴に画材を広げた。がちゃがちゃと筆や菊皿が当たる音がした。
義敦とて、多忙でいつも武助を気にしていられるとも限らない。苛めを行う者らは殿の隙を見て、ほんの一瞬で武助を叩きのめす。すれ違いざまに脛を蹴ったり、着物を小刀で切ったりも有るそうだ。
「今、薬を塗ってやる」
李山が布団から出ようと腰を起こすと、「たいしたことねだす」と風景画の続きを描き始めた。いつもやられるのより、これはたいしたことはないと言っているのか。
「・・・。」
藩にいる限り、武助への苛めはずっと続くのだ。
「お前、俺が長崎に居る間・・・」
言ってから、李山は言い直す。武助にさえ、長崎行きはまだ秘密だった。
「何年か前、俺は長崎に行こうとしていた。あの時、お前はどうするつもりだったのだ? 福助は子供だから、連れて行く予定だったが」
「ほんたらこと、ありますた?」
武助は、聞き流して筆を絶え間なく動かしている。
「俺がエレキテルで稼いだのは、ツュンベリーという学者に会いに長崎へ行きたかったからだ。結局間に合わず、その医師は帰国したが。覚えてないのか?」
「・・・さあ?」
こいつは、昨日のことも覚えていないのかもしれない。
「そう言えば、エレキテルさ見せる手伝いすただな」
「長崎には阿蘭陀の絵画や絵本もたくさん有る。だが、お前は長崎へ連れて行って欲しいとは一言も言わなかった。あまり興味もなかったか」
「きっとそうだったでがんしょ」
武助は人ごとのように言い放ち、手は止めない。
武助は長崎という土地に魅力を感じていないのだろうか? 確かに、絵画や本を見るだけなら江戸に渡った物で足りる。
阿蘭陀で一年間学ぶ。そして航海には片道一年。李山は三年以上も江戸を離れる事になる。会えなくてつらいのは武助ではない。李山の方だった。
「お前の尊敬する宋紫石も、かつて長崎で学んだ」
「そげんこと!」
武助は手をとめると、きっ、と眦を上げて振り返った。
「まるでわたすに長崎へ行きたかったと言わせたい口振りでがんす。私は久保田の者だす。殿の側小姓だす。せんせと一緒に長崎さ行きてなどと口に出せるわげねだべ!」
激しく言うと、筆を李山へと投げつけた。が、当たってもたいして痛くもないそれは、李山の腕に触れて布団の上に落ちた。唇はきゅっと結ばれ、黒い瞳は揺れていた。それは怒りでなく涙に見えた。
武助は元々感情的で決して冷静な青年ではない。だが、その感情も屈折していて、素直には表に出さないのだ。そのことを忘れていた。福助を連れて行く事になっていたのに自分は声もかけてもらえず、同行したかった等と口が裂けても言う筈が無かった。
「そうか・・・。悪かったな。
そういえば。そろそろ曙山は秋田へ帰る時期ではないのか」
筆を拾って、李山は這うように文机に近づくとそれを菊皿へ戻す。
「秋田はもう雪の中でがんす。出発は春だす」
「そうか。春まで一緒に居られるのか」と、背後から武助を抱きしめた。武助はまるで待っていたように、李山の肩に頬を寄せた。
「痛っ・・・」
「頬の傷が痛むか? やはり薬を貼ってやろうか」
「忘れていた位ですから、大丈夫だす。また、長崎さ行かれるがんすか?」
「いや・・・。だが、行きたいさ。いつも、ずっと、行きたかったさ」
少し、喋り過ぎたかもしれない。長崎を話題にすることさえ意知に咎められるかもしれない。
阿蘭陀船の詳細図を描く者として、絵師を同行させられないものだろうか。その思いつきに李山の心は踊る。花鳥風月だけでなく、武助は解体新書の腑分け図のような絵も描けるのだ。船の図も巧く描くことだろう。
禁を犯して阿蘭陀へ渡ることはもちろん密にし、ただ長崎へ連れて行くだけと言えば、義敦の許可が降りるのではないか。気さくで物分かりのいい殿様であるし、絵の為ならばかなり武助に甘い。可能性はある。
「行く時は・・・曙山に俺から頼んでみる。一緒に行こう」
「殿はわたすを離さねす」
「秋田でも、確かそう言ったな。だが、結局は江戸行きを許された。俺が説得してやるさ。口は巧いんでな」
李山が珍しく冗談を言った。武助が国禁の阿蘭陀行を承諾するとは思わなかったが、それも必ず説得できると思った。
武助はこくりと頷き、今度は痛くないようそっと頬を李山の胸にゆだねた。李山が背に手を回すと、自分から李山の襦袢の衿を緩め頬を擦り寄せる。
「ちょっと待て」
李山は苦笑すると、布団の中の船の本を本棚に戻した。
三年の旅。だが、問題は時間ではない。生死のかかった旅だということだ。
密航が知れた時。嵐で船が難破した時。阿蘭陀での政治異変。もう若くない自分。どこで命が途切れるかもわからないのだ。それを覚悟しての旅だった。五十年生きて、あとはオマケかもしれない。そう割り切って行こうと思っていた。
江戸の友人らとも、志度の肉親とも、もう会えないかもしれない。
長崎へ行く前に、志度へ寄ろう。母にも妹夫婦にも会おう。桃源は元気だろうか。だいぶ老いただろうか。
志度の医者でも解体新書ぐらいは知っているだろう。その絵師を連れて行ったら久保桑閑は驚くだろうか。
李山は、阿蘭陀船の甲板で武助と並んで海を眺める風景を思い描きながら、武助の白い肌を愛した。武助は李山の広い胸で自由に泳ぐ。小魚を手に掬った時のように活きよく跳ねる。今さら、武助と離れての三年もという年月は考えられなかった。
だが、李山の希望は潰える。
次の休みに、武助は橋本町へは来なかった。
何か用事でもあったのだろうと軽く考えていた李山だが。数日後、久保田の藩邸から駕籠が来て、早急にそして密やかに呼び出された。
武助が怪我を負ったという。
★ 2 ★
伝言で武助の命に別状は無いと聞いていたが、駕籠でわざわざ李山を呼びに来るということは大きな怪我なのだろう。痛い思いをしているのだろうか。怪我した時を思い出して怯えていないだろうか。怖い夢にうなされていないだろうか。駕籠で揺れる李山の心は、子を思う母親のように次々と心配で満ちていった。
李山が通されたのは、治療室でも無く、藩士の住む長屋でもなかった。義敦の座敷の次の間に布団が敷かれていた。
「武助!」
腕に添えられた板を見て戦慄が走った。右腕を骨折したのだ。武助は眠っているのか、李山の声には応えず、付き添う義敦と老中が気付いて一礼した。他に二名、側の者が付き添っていた。
「武助は腕を折ったのか?」
「私らが付いていて、申し訳ない」
絵画の師匠である李山に、藩主が頭を下げた。
「曙山殿、滅相もない、頭をお上げください。・・・武助の怪我の方は?」
武助の頬は、先日の痣が治りきらないうちに、さらに殴られ赤く腫れ上がっていた。耳たぶが切れたらしく耳に晒が巻かれ血が滲み、唇の切り傷にも薬が固まって乾いていた。
武助の眠りは深く、大きく胸が上下している。瞼はきつく瞑られる。眠り薬を処方されたようだ。
「命がどうこうという怪我ではではありません。ただ、腕の方は完治まで長くかかるそうです」
「いったいどうしたのです? 縁側から落ちた類の怪我ではありますまい?」
李山は、声から非難の響きを消すことができなかった。また藩士から嫌がらせを受けたのだろう。よりによって腕をやられるなどと。武助の悲嘆はどれほどだろう。
「平賀殿、こちらへ」
老中に隣の部屋へ呼ばれた。藩主の座敷ではなく、側小姓らが休む部屋のようだ。ここが武助の私室なのだろう。四畳半の部屋に着物の行李が一つ、本箱が一つ。質素な部屋だった。
「小田野の怪我のことは、ご内密に」
「・・・。藩士にやられたからですか?」
「いや、その。小田野の為にも公にしない方が」
老中は眉をしかめる。その言い回しでピンと来た。
「武助は・・・辱めを受けたのか?」
老中は下を向いた。返答は無かった。
「犯人はわかっているのか? 処分はしたのか?」
「・・・藩の中のこと。部外者が意見が過ぎませんか?」
「武助は俺の弟子だっ! 腕を折られて、黙っていられるか!
貴様、時々武助が苛められていたのを知っていたよな? 何故、こんなことになるまで、放っておいた?」
李山は老中の襟首を掴んだ。次の間に控えていた供が、ざっと襖を開けてツカに手をかけた。李山は舌打ちして手を離す。
「処分は、しました。だが、小田野の態度も悪かったのです。他の者に対し非常に高飛車で、生意気でした」
「だからって犯していいものかっ!」
「・・・ご尤もで」と老中は萎れてまた畳に視線を落した。
「腕の方はどうなのだ? 元通りになるのだよな?」
「完治に三カ月ほど、と聞いております。ただ、絵を描くのは繊細な作業なので、以前のように描けるかどうかは・・・」
「馬鹿野郎、何とかしろ! 藩主の絵の指南だろう、藩の威信をかけて治してやれ!」
馬鹿と言われて老中の眉は引きつったが、李山の怒りに押されて反論はしなかった。小さな声で「もちろん、良い医者に診せ、最善の治療をします」と答えた。
李山は瞼を閉じた。武助の絵師生命は終わってしまったのかもしれない。なんということだ。可哀相に。まるで描く為に産まれて来たような男だったのに。武助の悲しみを思うと、李山の心までがえぐりとられるようだった。
部屋に戻ると、傍らの義敦が倒れ込むように武助の寝顔を見つめていた。武助の怪我の無い方の手を両手で握り、祈っているように見えた。泣いているようにも見えた。その情けの深さは李山にも同調できる想いだった。
国倫と鳩渓には、義敦が頼恭に見えた。そして眠る武助が自分に。この悲劇はいつも繰り返される。
「曙山殿」
李山の声に振り仰いだ義敦の睫毛が濡れていた。武助はどれほどこの藩主に愛されていることだろう。武助の才能は、その愛に応えるに足りるものだ。だが、愛情も才能も他の者の妬みを買う。きっと解体新書の挿絵画家という名誉な功績も、嫉妬の種となったろう。
「武助の様子は?」
「今は薬で眠っています。しかし、目が覚めていても・・・眠っているように、何も喋りません。ただ惚けたように天井を見上げている、そんな状態です」
義敦は首を横に振ると、うなだれた。
李山は、襲われ寝込んだ時の天井の模様を克明に覚えていた。武助も今、その地獄を見るのか。武助が不憫で、胸の奥から嗚咽がこみ上げるが、こらえ、歯を食いしばった。泣いてなるものか。負けてなるものか。
あの時の感覚が蘇り、ふらりと気を失いかけた。義敦の側小姓が「平賀様!」と背中を支えたので、正気を保った。
「平賀殿、少し休んでいかれるか?」
「否・・・。大丈夫です」と、強く目頭を押した。
「駕籠だけお借りできますか。
それから・・・毎日、見舞いに来て構いませんか?」
「それはもう。門番には言っておきます。人を介さず直接ここへおいでください」
老中は、先刻掴まれた襟元を整えながら答えた。
駕籠の戸を締め外と遮断されて、初めて李山は顔を両手で覆った。頬を涙がつたう。声が外に洩れないよう喉に力を入れた。
鳩渓の悲しみや国倫の痛みも一緒に心に流れ込んで来る。
二十年近く前の出来事だが、あの時の屈辱は今でも全身が震えるほどの怒りと共に蘇ってくる。武助が同じ想いを味わい、しかも大切な腕を怪我するなどど。絵師生命も危ういなどと。
腕は痛いだろう。頬の傷も痛いだろう。また描けることになるかどうか、どんなに不安なことだろうか。体を甚振られた心の傷はさぞ深いことだろう。涙が止まらなかった。
もう、武士はただの役人で士分の気構えなどない。足の引っ張り合いで必死なのだ。才能のある者はやっかみを受け、それでも毅然として媚びない者は暴力で叩かれる。藩の体質はどこも変わりなく、藩という体制も、そしてこの国も、ろくでもない。
「源内せん・・・」
帰宅した李山に、要助が話しかけようとしたが、激しい音をさせて玄関の戸を締め草履を蹴散らして脱いだその様子を見て、言葉を止めた。
座敷には数名の客人が集い、口々に李山に何か挨拶したか武助の容体を尋ねたかしたが李山には何も耳に入らなかった。客人を割ってずんずんと奥座敷へ入り、薄暗く翳った部屋の襖を力任せに拳で殴った。細い組子骨は折れてぼすんと紙に大きな穴が空いた。
「先生!」
「源内さん!」
李山は次々に襖に穴を空けた。あっけにとられていた客人達も、我に返って李山を止めに入った。襖紙は替えればいいが、これでは手を傷める。李山はまるで自分の右手を痛めつけようとでもしているようだった。中良と江漢が片方ずつの腕を抱えて羽交い締めにした。
李山はきつい眼差しで振り返る。中良らは怯んだが、その視線は彼らを通り越して床の間の龍の軸に注がれていた。龍の赤い眼光より鋭く、李山の目は怒りに燃えていた。
翌日も、その翌日も。李山は上屋敷を訪れた。武助は目を覚ましていたが、李山を見ても何も反応しなかった。漆黒の瞳をぼんやりと天井に向けたまま、笑いも怒りもせず、ただ呼吸をしている。
義敦の小姓が交代で武助の面倒を見ている。武助より歳がだいぶ若いが、同僚達だ。李山が様子を尋ねると、丁寧に教えてくれた。
「腕以外に大きな怪我はないので、起きて手水も行きますし、腰を起こして食事も取っています。手が不自由なので食べ物は口まで運んで差し上げていますが、きちんと噛んで飲み込みます。水は左手で自分で飲みます。
ただ、言葉は喋りません。ぼんやりして、心がどこかへ行ってしまわれたようなご様子で」
「武助の心は・・・もう現世には戻らないのか?このまま・・・」
「お医者様は、何も」と、小姓は悲しげに眉を寄せてみせる。
腕を折られたショックが大きかったのか、凌辱を受けた心の傷のせいか。それとも何もかもに絶望したのか。
十日後ほどに見舞いに訪れた際、李山は老中に別室へ呼ばれ、武助を角館へ返すことになったと告げられた。久保田へではなく、角館、つまり家へ帰すということだ。
「心の治療は、家族に任せた方がいいということになりまして。それに、北には傷に効く温泉が多く有ります」
『厄介な存在は返すと言うことか』
李山にも口に出さないだけの良識はあった。
優しい妻と可愛い子供らが武助の心を癒すと言うのだろう。もう描けないかもしれない武助の。もう何も目に映さない武助の。
『さぞ心の慰めになるだろうさ』
武助とこんな形で引き裂かれるなど、考えても見なかった。
十一月の寒い朝。武助は江戸を出て行った。久保田藩では、千住までは駕籠を出し、角館まで身の回りの世話の者二名と手練の供とが付くという念の入れようだ。武助は歩くことは普通にできるので、駕籠に乗せたのは藩の見栄の為だろう。解体新書の絵師が藩邸内で苛めにより腕を折られた等と広まれば、佐竹家の面目が潰れる。武助の腕の板は未だ取れてはいなかった。
李山は上野の藩邸で義敦と共に駕籠を見送った。義敦はほろほろと子供のように涙を流し続けた。李山はもう涙さえ出なかった。
田沼との阿蘭陀行の密約がなければ、角館まで付いて行きたかった。
武助は、既に雪深いだろう故郷への道を、無表情に淡々と進むのだろうか。何も考えず、何も感じず。
あの邪悪で美しい黒い瞳が、もう淫靡に人を誘う事は無いのだ。
藩も幕府も糞くらえだ。国倫とて鳩渓とて、どれほど、あのまま頼恭の側に居たかったことか。あの殿の元で、なんと自由に才能を羽ばたかせたことか。
たかが何石。たかが何扶持。それが増えて、それが人の幸せか。国の幸せか。何故ひがむ。なにを妬く。貴様らの幸せは、そこにしか無いのか。
開国。国を開く。そうすれば、きっと、藩も幕府も変わる。
その為の御用だ。このまま武助に付いて行きたいと強く願いつつ、たくさんの武助を(そして国倫を)きっと救うことになる田沼の仕事を、やり遂げることが武助の供養になると心に言い聞かせた。
あと二十日もすれば師走。そして年が明ければ・・・長崎が待っている。
第62章へつづく
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